アーティスト平川典俊さん略歴

1960年福岡県生まれ

幼少の頃、家には二頭の山羊がいました

大学で応用社会学を学んだ後、1988年にアーティスト活動始めてからこれまで150を越える平川典俊の数々の写真やインスタレーション作品プロジェクトは、世界各地の美術館で発表されてきました(ポンピドーセンター、フランクフルト近代美術館、チューリヒ・クンストハーレ、ニューヨークPS1美術館、東京都現代美術館、横浜美術館、広島市現代美術館、台北市美術館他)
その作品は写真にとどまらず、インスタレーション、映像、演劇、ダンス・パフォーマンスやサウンドなどさまざまなメディアを複合したものなど多岐にわたります

現在までの社会や文化によって規定されてきた人間の知覚の領域を、将来に向けて認識を新たにしたより倫理的整合性の高い個人との関係や意識との流動性が生まれやすいシステムや制度を提案しています

たちが生きている場所での人間活動が文化を生み出し、平川典俊の創造活動はその文化を未来に向けて更に進化させていくために私たちの知覚の領域を拡張していくということを基に活動をおこなっています

著書に「ニュートンのいたみはいらない」(1990年、用美社)
「ここにいてここにいない」(1991年、青弓社)などがあり、
また近年は「覚道への道」(松岡正剛氏との対談、東京アートフェア、2007年)や「人為を越えて」(河野太郎氏との対談、東京ワタリウム美術館、2009年)など「覚道」ということをテーマに講演や対談を各地でおこなってきました

主な映像作品では
「モンペリエの何もない時間」(モンペリエ・ダンス・フェスティバル、フランス、2001年)
「ストリングス・オブ・ライト」(BMWグループパビリオン、ミュンヘン、2004年)「リターニング・オブ・ザ・サン」(ブールム・アンド・ポー画廊、ロスアンゼルス、2010年)があります

2008年、アメリカ人アーティスト、ローレンス・ウィーナーの「ミルクの中に水が存在する」、2009年「ダーティ・アイズ」という映画作品のプロデューサーを務めました
また近年、原爆や水爆の実態を知る作品として「ブラボー」、「ファットマン」(2011年)という被爆者のインタビュービデオ作品や、新藤兼人監督とベニチオ=デルトーロとの対談映像を企画しました(2010年)

現在はより良い世界の未来を築くためのビジョナリーの財団「トゥディ・イズ・ザ・デイ・ファンデーション」を広島(非営利団体をニューヨーク、シンガポール)に設立し、その活動のために世界を奔走しております。
また2012年春、群馬県立近代美術館で「平川典俊『木漏れ日の向こうに』」と題する回顧展(美術出版社よりカタログ『木漏れ日の向こうに』出版)やメキシコシティにある世界遺産バラガン邸での写真およびダンスパフォーマンス・プロジェクト「ユニオン・デ」展が国際交流基金の支援のもと開催されました(ドイツ、カンツ社より写真集「ユニオン・デ」出版)
1993年よりニューヨーク在住


これまで世界中の大学や研究機関等でレクチャーをおこなってきました(一部、順不同)

アートセンター(パサディナ、カルフォルニア)、UCI(アーヴァイン、カルフォルニア大学)、サンフランシスコ・アートインステュツュート(サンフランシスコ)、ハンター・カレッジ(ニューヨーク)、ニュー・スクール(ニューヨーク)、クーパー・ユニオン(ニューヨーク)、プラット・インステュツュート(ニューヨーク)、フロリダ州立大学(タラハシ、フロリダ)、国立アカデミー(アムステルダム、オランダ)、マースリヒト美術アカデミー(マースリヒト、オランダ)、ロッテルダム・アートアカデミー(ロッテルダム、オランダ)、チューリヒ大学(チューリヒ、スイス)、ミュンヘン芸術アカデミー(ミュンヘン、ドイツ)、パリ・エコール・デ・ボザール(パリ)、モンペリエ芸術学校(モンペリエ、フランス)、高等芸術研究所(ゲント、ベルギー)、東京芸術大学(東京)、武蔵野美術大学(東京)、東京造形大学(東京)、千葉大学(千葉)、京都大学(京都)、信州大学(松本)、京都造形芸術大学(京都)、山口大学(山口)、慶應大学(神奈川)、愛知淑徳大学(愛知)、シルパコン大学(バンコク)、バーナードカレッジ(ニューヨーク)他

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