【回顧録】3年間、虹を追いかけて(3)

4.武道館にて


 気持ちの整理がつかないまま、武道館に向かいました。最寄りの九段下駅には、イラストで描かれたメンバーのポスターが貼られていました。スマートフォンでポスターを撮影し、地上への階段を上がりました。

 日本武道館。1966年にビートルズがただ一度の日本公演を行った場所として有名です。アイドルではももクロ(2012)、私立恵比寿中学(2014)、ベイビーレイズJAPAN(2014)といったグループがワンマンライブを行っています。『北の丸公園』という、元々は江戸城北の丸が存在した場所に建てられているため、周囲は深い堀に囲まれています。公園に入るための2つの門はそれぞれ田安門と清水門という名前で、どちらも江戸時代から存在します。大学で日本史学を専攻していた私としては、ぜひ時間をかけて散策したいところでしたが、とてもそんな気分ではありませんでした。

 指定された席について、ステージを見下ろしました。ステージはアリーナの中央に設置されており、それより後ろのアリーナと観客席は使われていませんでした。2階席ということもあり、武道館が八角形であることがよくわかりました。左右を見れば、2階席の前にメンバーの名前が入った横断幕が掲げられています。
――ここが虹コンが目標にした場所か
 実感が状況に追いつきました。
 開演までの時間はスマートフォンで虹コンの曲を聴きながら過ごしました。

 照明が落とされました。いつもの入場曲が流れます。スクリーンにはメンバーの画像が次々と映し出されました。とうとう始まったのです。もちろん、ライブは楽しみでした。虹コンのライブが楽しくないはずがありません。しかし、華鈴先輩とねも先輩の最後のライブであることは意識から離れませんでした。それは、ステージにねも先輩の姿がない(いちおう、ねも先輩が一部出演することが公式ホームページで告知されていた)ことでより強調されました。

 セットリストについては、よく覚えていません。途中からこらえきれなくなり、泣いていたからかもしれません。覚えているのは最後の最後、アンコールの途中でねも先輩がメンバーに呼ばれて登場した時からです。ねも先輩はやつれていました。卒業前に姿を見ることができて良かったという気持ちと、そんな姿は見たくなかったという気持ちが同時に起こりました。
 落ち着くまで待ってくれるはずもなく、ライブはラストに近づいていきました。14人全員で歌った曲は『トライアングルドリーマー』。ライブでは毎回(私が参戦したライブでは、毎回。毎回ではない可能性がある)歌われる、虹コンを代表する曲です。コールが盛り上がる曲なのですが、感染症の影響でコールできませんでした。それでも、心の中で叫び、振りコピできる部分は振りコピしました。どんな状況であっても、『トライアングルドリーマー』は最高に上がる曲なのです。しかし、できれば華鈴先輩とねも先輩にはコールを届けたかったです。
 ラストは『世界の中心で虹を叫んだサマー』。2021年の夏曲です(虹コンは1年毎に夏曲を制作する。それぞれの曲名に元ネタがあるので、調べたら面白いかもしれない)。後で気づいたのですが、このライブのタイトルは『Over the RAINBOW〜なんたってアイドルなんですっ!!〜in 日本武道館』であり、『世界の中心で虹を叫んだサマー』の歌詞が含まれています。『世界の中心で虹を叫んだサマー』は振り付けが歴代の夏曲のものを引用していたり、歌詞がこれまでの虹コンを思わせるものだったりと、一つの到達点である武道館公演のラストを飾る曲として相応しいものです。追いかけていた時間が2年と半年に満たない私ですらこみ上げるものがあったくらいなので、古参のだいすきマンの感慨はかなりのものだったでしょう。
 最後は華鈴先輩とねも先輩が前に出て、2人だけで歌いました。華鈴先輩が途中で歌いながら泣きだしました。次の部分です。

たとえば離れても
何度だってちゃんと逢える
帰ってくる場所はここだ!って歌わせて

『世界の中心で虹を叫んだサマー』

 本来、ここはみゆみゆが歌う部分でした。一度虹コンを離れ、数年を経て戻ってきたみゆみゆが歌うことが深みを与える部分です。しかし、卒業が目の前に迫った華鈴先輩が歌うことで、別の深みを持ちます。華鈴先輩の虹コンへの想いは、ライブやユーチューブを通じて伝わっていました。その想いを、これまでで最も強く感じました。
 私は泣きませんでした。すでに泣いていたからです。ただ、何かが崩れていく感覚がありました。喪失感、というよりは、喪失がいつまでも続いているような感覚です。
 メンバーが挨拶をして、華鈴先輩とねも先輩がステージから去って、ライブが終わりました。大和明桜(やまとあお、と読む。通称、アーオ。青担当)の挨拶が、うろ覚えながら記憶に残っています。このライブを区切りに虹コンから離れる人もいるかもしれないが、いつか戻ってきた時のために活動を続けていく。このような内容でした。

 その夜はカプセルホテルに泊まりました。カプセルの中でツイッターを見ていると、ミユニキのツイートが更新されていました。武道館の前でミユニキとりおにゃんが並んでいました。ふと、虹コンの現場に初参戦した時のことを思い出しました。
――遠くに来たんだな
 当時の自分が別人のように思えました。虹コンだけでなく、追いかけている私も変わっていっていたのです。そのことにようやく気づきました。

 全国ツアーが6月から開催される予定でしたが、参戦する気にはなれませんでした。崩れてしまったものは元には戻りませんでした。

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