強権国家は最高指導者とともに老いる

国の若々しさ、自由と民主主義国家は代替わりしながらその若さを保つことができます。強権国家は代替わりが進まない。代替わりしたとしても院政のなかで価値観の切り替えができなくなります。

それが何を意味するのかといえば、国民の硬直化だろうと思うのです。硬直化した国民はあたらしい価値観を消化することが困難になっていきます。相対的に世界から取り残された存在となります。

そうすると、厄介なことになります。どんなに今よりすばらしいミライがあるとしても受け入れない。そればかりか、ミライを勧めれば「我々の価値観を崩壊させる」と受け取ってしまう。被害者としての立場を強く主張するようになります。

つぎに、被害を受けにくくするために積極的にテリトリーを広げる行為に走ります。そして自分たちの価値観が世界を覆うことを夢見るのです。

やがて、それを推し進める指導者は老いていく。取り巻きも指導者に受け入れられなければ粛清され、指導者はますます孤独になる。事実を受け入れることができなくなり、無理な指導を繰り返すようになります。

進化しない価値観とともに老いる国と国民。自由と民主主義国家の若さとの差は広がり続けます。若い国は柔軟に課題に対処できますが、老いた国は対処する力が衰え、課題解決できないまま放置して見て看ない国となっていきます。

課題を放置し解決できない国はやがて自壊します。

それは、帝国から一党独裁で少数指導者の継承による強権国家に移り、大崩壊した彼国とおなじでしょう。その後、自由と民主主義を目指した国家づくりに躓き、今日、同じような崩壊への道を進み始めました。

現在の彼国の最高指導者は、無理な指導を繰り返しています。次の段階がなにかは歴史を見れば予測できます。その崩壊への道を疑いもなく歩み始めたといってもよい段階に入りました。

世界の歩みに取り残された孤独感を彼国の国民は閉じた心の中で重く感じています。若い人ほど解放されたい思いがつのります。老いた人はその重さを自身の価値観の重さと勘違いしていき、それが自身そのものとまで思い込むようになります。彼国では、若い人と老いた人との隔絶が、そのひび割れがすでに始まって修復できない段階に入っているのです。

若い人だけであたらしい価値観を追い求める集団が出来ます。ただ、若さゆえにチカラ(暴力)に頼りがちとなります。そうすると、崩壊は一気に進み、老いた人も若い人もその暴れる火の中で命を落としてしまう。

世界は、自由と民主主義の国々は、その有様を自国に飛び火しないように注意しながら見ることになるのでしょう。消火はしない。燃えつくしたところで「復旧にむけ全面的に協力する」姿勢を示すのでしょう。そこにミライの価値観を植え付け、萌芽し実るように整地していくのでしょう。

彼国は、確かに被害者となります。自身の老いた価値観の被害者です。ただ、結果的に相対的に自由と民主主義に敗北した形となり、加害者はだれかが浮き彫りとなります。

荒れた大地で新しい価値観は萌芽するのか。水や肥料を施さなければすぐに枯れてしまう。彼国の国民が思う加害者でいたくなければ、自由と民主主義が根付くように丹念に施し続ける必要があるのです。


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