「寝そべってもいいよ」とならない世の中が苦しい
「しょうがねぇから、寝る・・・」というのが、やるせない若い人たちにひたひたと広がっている、と様々なところで読むことが多くなっている気がします。
「だれも自身を認めない。認められている気がしない。だれかの利益のために消耗している。自身の時間は自身のためには存在しない・・・」
アンチワーク:anti-work:anti:反対の、反対する:work:(自ら)動いて機能を発揮する
自身のために「機能する自身の姿」を夢見て過ごす。
公平:判断・行動に当たり、いずれにもかたよらず、えこひいきしないこと
公平に認められる社会。"満足" を平易(わかりやすく)にする社会。
なんだか、つらつらと思うがままに書き連ねました。どこか、こんなキーワードたちがふわふわと社会の中を漂っているイメージなのです。
「君が悲しいトキ、だれかが喜びを感じ、君が怒っているとき、誰かが笑っている」
「君が苦しいトキ、誰かは楽ができて、君が絶望するとき、誰かは希望に満ち溢れる」
「ぼくは、誰かを助けている。絶望だって、だれかの "夢見る明日" を作っている」
「ぼくらは、昔から量子の世界に身をゆだねていて、自身が1であればだれかが0であり、自身が0であればだれかが1なのだ」
「自身の存在は、誰かのためにある」、それだけが、救いなのかもしれません。
自営業を勧める「アンチワーク」運動 離職増の米国(日経参照)
その働き方、本当に新しい?(日経参照)
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