二つの東京五輪、田舎は否か

64年の東京五輪。思わず2020と検索して失敗してしまった21年の東京五輪。

64年の東京五輪は、戦後復興の象徴であり、日本国民は誇らしくあったと思います。新幹線は世界を驚かせ、工業の目覚ましい発展はその後のエコノミックアニマルを生み、"右肩上がりしか容認しない構造" が染みついたゆえに平成不況から復興できずに次の東京五輪を画策して疫病の中でどうにかこうにか開催にこぎつけた、そう感じています。

64年に象徴される高速化。移動に時間がかからなくなった分、田舎から労働力が都会へ流れていきました。敗戦直後は都会の貧しさから逃れるために一時的に田舎に人が流れた揺り返しのように。

スイングしたのだからもう一度揺り返す。

そうはならなかった二回目の東京五輪。そもそも、東日本大震災復興の象徴として開催される企画だったはず。日本の新しい目覚めは東日本から。ですが、東日本の田舎へのスイングバックはなかった。

振り子が左右にきちんと揺れるのは軸が垂直に起立しているから。64年の東京五輪で都会に揺れたとき、軸が斜めになったので揺れてはいるけれど垂直だったころの揺り返し位置には戻らない。

二回目の東京五輪には、「均等な発展」の意図も含まれていたはずですが、すでに傾いた軸は都会の中の均等にしか働かない。田舎には "動" が復活せず "静" しかない。

疫病で田舎が再び注目されるも、やはり長続きしない。若い人が田舎に住んで5年ほどで都会に戻るスイングバックは続いています。この "動" だけは健在なのです。

もはや傾いた日本の軸は元には戻らない。"動" あるところが正しいとするなら、"静" は否。

傾いた軸のまま少子高齢化は進んでいきます。揺れ幅も小さくなっていき、やがて軸は徐々に地面に向かって倒れていく。

自然倒木した大木の天を指さすような大きな根っこ。一度傾けば元に戻らない自然の法則、それに抗うことの無力感。どこか、二回目の東京五輪の姿に似ているのです。

#日経COMEMO #NIKKEI

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