科学で「循環する平和と幸福」を創生できるか

一時にとどまらない "平和と幸福"。循環して、次の平和と幸福を得ることができる、そんな科学ができれば "ノーベル賞" も正しく幕を引くことができるのかもしれません。

「もう、戦争や国威発揚のための科学はいらない」そう叫ぶような声が、実は世界の庶民から聞こえてくるのです。勝手に想像しているだけですが、この嘘は本当になっていい。本当にならなくてはいけない。そうでなければ、私たちは人類もその他の生物も巻き添えにして一瞬にして終わってしまう、核拡散防止条約:NPTの会議の成り行きを見て思うのです。

結局、科学もNPTと同じ道を歩むのでしょう。"国際" の定義は「一国の反対のために平和と幸福を手放す」という概念に置き換わる。科学も平和利用を推進しようとしてもどこかの国が賛意を示さなければ、幸福への道を歩めない。邪悪が邪悪を呼び込む科学となっていく。

「どこかの国が『ちいさな "平和と幸福" 』を科学で編み出し、それが隣国へ少し波及し、隣国でちょっと膨らんで、その隣国にほんの少し波及する。その隣国に最初の国があって、その国の科学が大きくなって、その隣国の科学も膨らみ、さらに多くの隣国の "平和と幸福" が大きく強固になっていく」

現実主義からすれば「妄想も甚だしい筋書き、フィクションにも値しない」と吐き捨てられるのでしょう。けれども、夢を捨ててしまえば、本当の意味でニンゲンは「現実に負けた現実主義者」となってしまいます。一国の反対で自らの生命を失いかけている "現実" と同等なのです。

"平和と幸福" の小さな循環から、おおきな循環へ。

その夢の実現のために、科学者も為政者も庶民もくじけても何度も目指していく。それしか、地球に住む生物の "為" にならない。科学はそうあってほしいのです。


#日経COMEMO #NIKKEI

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