妄想:代わりに誰かが復讐してくれる

*****これは、「他人の不幸は蜜の味」の背景にあるであろう因果信奉。日常で優越を得られないと、直接関係のない人の不幸も喜びに変えてしまう。だが、その後は二通りだ。自身を恥じるのか、次の不幸を探すのか。

後者は救われない。より大きな不幸を探そうとする。そうして、優越に浸り幸福感に包まれる。世の中に不幸が少なければ、「不幸を作る」側に回る。インターネットの世界でうごめく感情である。

大脳の中で幸福を感じる。その幸福感が薄れると過去の幸福濃度以上の状態にしたくなる。濃度の高い幸福に浸った後は、幸福が薄くなる速度が速い。相対的な速度として感じる。だから、以前に増して濃密な幸福感を性急に求める。これは、薬物依存と同等の仕組みと仕掛けであろう。この負のループが深刻になるにつれ、後悔という念は遠い存在となる。

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一度味わうと手放せなくなる「他人の不幸は蜜の味」。ドイツ語で「シャーデンフロイデ:Schaden(害)+ Freude(喜び)」というのだそうです。また、エリート増産の近代では、小さな優越を得るために小さめの他人の不幸を探す機会が増えたのかもしれません。その妄想を書きました。

ですが、多くの人はその後に自責の念に囚われ悔恨が居座ります。他人の不幸を喜ぶより自身の悔恨の方が重かったりします。つまり、他人の不幸を喜んだ自身を誰かが復讐したのかもしれない。そう妄想したのです。


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