伝統的なコミュニケーションとハラスメント

結論の出ないお話になりそうです。

伝統的なコミュニケーション:目を合わせる、挨拶、握手、肩を抱き合う、頬にキス(真似)をする、頷く、(ある地域では)唾液を掛け合う
ハラスメント:人を困らせること。いやがらせ。

伝統的なコミュニケーションを行うのは、敵意がないことを表明しています。更に、好意を持ってほしいという意志表明でもあります。一方、その行為自体が嫌だと思う場合は、ハラスメントとなります。最初は相手に対して敵意がないにしても、繰り返せば、敵意が芽生えます。

わたしは、朝、出会った人に「おはようございます」と声掛けしています。面倒だと表現する人もいます。そのまま無言ですれ違い、一日一緒に過ごすであろうグループに「おはようございます」という人もいます。「伝統的なコミュニケーションを平等に行う」ことからすれば、やめることは難しい。けれども、「嫌だ」と思っている人に繰り返し行うことになれば、ハラスメントです。「してはいけいないことの平等」に重きを置けば、声掛けはやめなければなりません。けれど、”敵意がない” のと ”仲良くしましょう” を朝一番で表明したい思いは残ります。

「かかわらなければいい」。その通りです。必要な時に、必要な最小限のコミュニケーションをとれば、もっとも平等な行為となるのでしょう。

ですが、なぜ、伝統的なコミュニケーションが存在しているのでしょうか。私の解釈は「共通の敵意の無さ」を認識できるからだと思っています。太古の時代、人と人がであうときは、命の危険が即座に発生する時代でもありました。だから、お互いに殺し合いにならない工夫をしたのだと思います。その経験を後世に伝え、地域で共有し、地域同士で共有し、交流する際に「敵意の無さ」を交換したのだろうと思うのです。

今の時代、敵意のない行為とは、その行為をどのように伝えあうのか。身近にあるのは「Emoji」の交換の様な事なのかもしれません。わたしは、朝、おでこに「にこちゃんマーク」を張り付け、無言で、最初にあった人の目を見ようと思います。けっして、敵意はないのです・・・。




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