大義さえれば、火器は生き残る

大義(ネット参照):重要な意義。大切な意味。要義

厄介なのは、誰が "重要" と考えるかという主体の問題。国家が主体であれば戦争で使う火器となり、個人が主体となれば殺人に使う火器となります。

繰り返される乱射事件。その主犯はなにを重要としたか。ヘイトか、生い立ちに対する不平不満解消か、道ずれ自死か。

戦争に使う火器は大義があり、個人が使う火器には大義がない。その論法で行けば、禁酒法のように「違法な火器」が地下で大っぴらに取引されることになります。

なにがしかの主体が「火器は重要である」という限り、火器はなくならない。作用としては「殺人にルールはない」というとこまでたどり着いてしまう。

ルールは後付けで "犯罪" を明確にするためだけにあって、加害を防ぐ効果はほとんどありません。加害を防ぐには「主体の大義」を変えるしかないのです。

主体が何を重要と考えるべきか。「人を殺さない」。たったこれだけのことだけれど、様々な絡み合いの中で大義を変えるのが大儀となってしまっている。どうにもやりきれないのです。


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