方言と戦争、反対の反対の反対

中央があるから地方がある。明治以前は各所が中央で都が地方といえる関係で、今の方言は母国語であった。維新前夜、都で母国が打ち合い「平和を目指す共通語」の重要性を知ったのだろうと思う。明治に入って共通語の育成に力を注いだと解釈している。(第一の反対)

共通語にはもう一つの役割がある。中央集権で、大脳から四肢末端に至るまで指示命令が行き届くように仕組まれた "共通定義" という役割だ。文明開化に富国強兵・殖産興業が実態として成り立つように情報を隈なく伝えて理解できるようにする。幼年から生産年齢に至るまで、様々な定義の解釈を統一するという壮大な作業を明治政府はやってのけた。

アジアで飛び抜けた合理的な国民。その物理的な力と優越的な精神論で西欧と対峙し、その後は優越的な精神論のみが強調され、合理的な物理的な欠損を埋めるようになる。結果、信じていたものとは正反対の大敗戦を引き出してしまう。(第二の反対)

転じて、進駐軍の管理下の中で民主主義を学び、「どうあっても、戦(イクサ)は悪である」と心に刻み込み、「中央集権から民の国へ」生まれ変わった。だが、戦後復興の下、国の力が増していく中で「明治的平和主義中央集権」ともいえる志向を編み出す。そして、中央へ人が集まり、昭和の地方は疲弊していく。同時に、アジアの安全保障の中で、国境沿いの島嶼は重要な防衛の要となっていき、チカラの砦としての役割を集中して担うこととなる。

「平和主義中央集権」の中で「個人の権利」が注目され保護されるようになる。敗戦後意識していた「民主主義」が成就しつつある中、「ワタシはオオヤケ(中央集権)には染まらない」という思いが芽生えてくる。島嶼にある安全保障防衛環境の本土移転計画には「住環境に多大な悪影響がある」として反対を表明するようになる。(第三の反対)

一般化した共通言語の中で「個人の権利」は「オオヤケに染まらぬもの」として伝播し受け入れられ、本土の中でほぼ常識となっていく。だが、平成や令和の時代となり、数々の天変地異や疫病を経験する中で、「オオヤケに染まる」ことの重要さを学ぶ。だが、防衛環境の受け入れは反対なのである。

不思議なことに、防衛環境だけ明治以前にあった「抗中央」的方言が生き残っている。「わが町の防衛のために中央の防衛は受け入れられない」という。その方言は国会というミヤコでは互いに理解・解釈できない定義として棚上げされた状態で反目だけが伝統のように映し出される。

令和の島嶼は経済的に疲弊している。「わが町の経済 "復興" のため中央からのカネを上手に受け取るべき。故に防衛環境引き受けやむなし」という志向で本音とは違う所作に出る。

ミヤコからやってきた「抗中央」は、地方の本音の部分ひきだし拡張し拡声器で「戦争反対!民意を守れ!」と宣う。経済優先か本音優先か。毎度、地方はミヤコから突き付けられ、無力であることを再認識させられる。

世界の各所で紛争が起こっている。常に地方である。中央は常に守られ地方は焼け壊され血を流し簡素な墓標だけが乱立する。無力である。本当は「地方が中央で中央が地方」であるはず。そう、本音はいう。過疎化していく地方。人は増えず墓標だけが増していく。

中央とやら。今、何を考えている? 方言で打ち消しあって地方の苦境が聞こえない平和を享受しているのではないか? そこだけ、よく理解できる共通言語がないのはなぜなのか、もう一度、考えてほしい。どうあっても、考えてほしい。


#日経COMEMO #NIKKEI

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