その継承者は "永遠" を背負う
どの国家元首も先代からの "栄光" を引き継いで、その重責に喘ぎます。「ここで終わらせようか・・・。」その考えが何度もよぎったことでしょう。君主制にせよ共和制にせよ等しく同じと解釈します。もう一つ、等しいのは庶民の親愛に支えられているということ。
親愛:その人を愛し、親しみを感じていること。
対義語:憎悪・嫌悪
"栄光" を "永遠" に つないでいく。そのためになくてはならない親愛の情。ですが、"栄光" も "永遠" もぷつんと途切れさせるチカラに、憎悪・嫌悪がある。それは、「栄光ははかない夢」であり「継続(永遠)は悪」と憎まれ口を叩くこと からはじまります。
元首たるもの、悪口雑言を必死に隠しながら、微笑みと会釈で重責に打ち勝とうと努力する。それが、国家元首の作法となっているのも、万国共通なのでしょう。
ソーシャルメディア隆盛の時代、元首は憎悪・嫌悪に晒されずに責任を全うできるか。それは "カミワザ" なのでしょう。ですので、宗教的存在になろうとする。ヒトより万能でなければ責任を果たせない。
宗教的な存在になれば、下品な悪口雑言の衝動から釈放される。食事もとらなければ〇ソも〇ッコもしない、そんな空想の存在でありながらソーシャルメディアの中で永らえられる。元首はアバターで微笑み続けながらなにかにつけて会釈を返すのです。
幻想と現実。これより先の時代には、戴冠式を挙げる現実と同時に、幻想で "永遠" の期待に応える "アバター元首" が必須となる予感がするのです。
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