わかってはいる:子育ては社会で行う

儒教の教義(一部):家族や君臣の秩序を守ることなどが挙げられる

とあります。東アジアに広く影響をもたらした儒教。その流れで国が出来上がっているとすれば、記事にある "脱少子化" の国々のように政策が浸透するとはいかないのでしょう。

家族:婚姻によって結びつけられている夫婦、およびその夫婦と血縁関係のある人々で、ひとつのまとまりを形成した集団のことである

族:同じ祖から分かれた血統のもの

家:人々が寝起きして生活を営んでいるところ

国は家族に責任を持たせる。家族は構成員に責任を持たせる。構成員は家族に忠誠を誓い、家族は国に忠誠を誓う。

脱少子化には、”脱族” が必要なのかもしれません。大切にするのは "家" ということ。その定義であれば "脱忠誠" となり、子育てしながら "自由" を維持できるのかもしれません。

家で緩やかに構成される国。自由な個々が忠誠を誓う国。国はその中で "自由な社会が次世代を育む" という "個に対する忠誠" を発揮することになります。

"脱族社会" がその先の国を作る。

そんな気がするのです。ただ、家 "族" 主義の人々には受け入れにくいことでしょう。「家族ある限り構成員の忠誠を求め続ける」ということ。そこに、"脱少子化" の論点がある、そう思うのです。

※文中の定義は、Wikipediaとコトバンク参照

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