妄想:本土というモノコト

沖縄・首里城の復興が待ち遠しいのです。*****(以降、妄想)

戦後、進駐軍の管理下にあり、アメリカ合衆国の管理下にあり、復帰後も駐留基地問題で二分する世論を持つ沖縄。

ここ4~5年、尖閣や台湾領海で緊張が続く。本土も沖縄防衛に力を注ぐも、住民安全対策など "でちぐはぐ感" が否めない。「また、トカゲのしっぽきりにあうのか・・・」、どこか、そんな思いがよぎるのではないか。

琉球政府(Wikipedia参照):1945年(昭和20年)、第二次世界大戦(太平洋戦争)末期の沖縄戦によって県庁が消滅した沖縄県では、米軍の命令により、沖縄諸島の行政を管轄させるために沖縄諮詢会が成立し、存続していた宮古支庁(宮古列島管轄)や八重山支庁(八重山諸島管轄)は県庁から独立して独自の行政を開始した。1946年(昭和21年)2月2日、北緯30度以南の日本からの分離が決定したため、大島支庁(奄美群島、トカラ列島)が鹿児島県庁の管轄を離れ琉球列島米国軍政府の指揮に入った。これ以降、数度の組織改編を行い、1950年(昭和25年)8月4日には沖縄群島政府、宮古群島政府、八重山群島政府、奄美群島政府が成立した。

「琉球列島米国軍政府の下部組織」として、存在していた琉球各政府。「1950年(昭和25年)に米軍政府が琉球列島米国民政府と名を変えると、その下部組織となった。米国民政府は、これらの政府を指揮監督し、その決定を無条件で破棄できることになっていた。」と、説明されている。

ルーチュー・ドゥーチュー:琉球王国の正式名称。令制国制度でいえば、五畿八道に含まれない(独立した存在と解釈)。

ルーチュー(以降、この名称を使用)は、中国大陸の歴代政権と大和(以降、本土の名称を併記)政権の間に合って、独立を維持してきたと、筆者は解釈する。

台湾:
日本からの歴史的な他称:安土桃山時代=高山国、江戸時代=高砂国。
中国大陸からの歴史的な他称:蓬莱=古代中国で東の海上(海中)にある仙人が住むといわれていた仙境の一つ。小琉球=大陸から見て東方の島々を漠然と「琉球」と呼んでいたのが、後に(大陸からの距離の大小で)、現在の沖縄を「大琉球」と、現在の台湾を「小琉球」と、それぞれ呼ぶようになった。東都・東寧 =大陸から渡った鄭成功が台湾に建てた鄭氏政権による命名。
(以降、タイワンとカナ表記を使用)

本土:本国、その国の主な国土。

文化・思想は、各時代の本土(実質的な支配勢力)から影響を受けてきたルーチュー。だが、ことさら本土の危機に際しては、切り離し可能な領域として扱われてきたのではなかったか。

白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡:2010年までに出土した人骨10点の母系の祖先を知る手掛かりとなるミトコンドリアDNA分析した結果、国内最古の人骨(約2万-1万年前)とされた4点のうち2点はハプログループM7aと呼ばれる南方系由来のDNAタイプであることが明らかとなった。

沖縄の古代人骨:1968年に沖縄県那覇市山下町の山下町第一洞穴遺跡から発見された約3万2000年前の旧石器時代の化石人骨、沖縄県南城市のサキタリ洞遺跡で少なくとも9000年以上前の人骨 などが発掘調査されている。

おそらく、旧石器時代は古モンゴロイド(ミトコンドリア系?)が南から海流に乗って、台湾や先島諸島に流れ着き、やがて、沖縄から奄美へ、九州へ移っていったと考えられる。その間、新石器人や本土で言うところの縄文人(北方系古モンゴロイド?)などとの混血があったのだろうと推察される。

やがて、本土には本土から見て西北より新モンゴロイドが侵入し、先住民(混血古モンゴロイド?)を南北にかき分けるように本土に定着した。大和の祖先であろう。そして混血し現在に至る。

前記「・・・ことさら本土の危機に際しては・・・」が、先の大戦で如実に現れた本土志向。大敗戦後、アメリカ合衆国の管理下に置かれた沖縄を、戦後の復興の象徴として「本土復帰」に目標に置く。アメリカ合衆国の意向による「共産主義の脅威から日本を護る」流れの中で、表裏の合意により、念願の「本土復帰」の目標を達成する。

その途中、ルーチューの願いは取り上げられたのか。

現在に至る「米国駐留軍・施設環境・経済・雇用・安全保障」で二分されたルーチューは、その思いをひとつにまとめることは困難となった。現実と理想の乖離は、やすやすと一つにはならない。

背景は違うにせよ、タイワンも大陸復帰側と独立側で二分され、現実と理想の乖離に翻弄されている。

そして、タイワンの主張する領土と本土(大和)の主張する領土(尖閣諸島)の間で、ルーチューは困難な対応を余儀なくされる。

更に、米国と中国大陸の間で巻き起こったデカップリングによる激しい対立による「ルーチュー住民の生命と財産が危機に見舞われる事態」を目の当たりにすることになる。

よもや、本土と米国と中国政府の表裏の合意により、「タイワンの情勢はタイワン住人にまかせ、混乱があれば中国大陸住人やルーチュー住人との協議により解決を促す」態勢になりはすまいか。そんな "本土の危機に際しては" 的政治・外交をするわけがない。だが、"本土志向" に疑いが残る(最後は護られない)ルーチューの人々にとって、念頭に置かないわけにはいかないのだ。

"よもや" の選択で、"いったん棚上げ的政治・外交" の結論も、一時の猶予もなく中国政府の強力な力でタイワンを自国に抱き込む事態となる。

アンフェア・アンバランスと判断した米国は直ちに政治・外交・軍事を駆使し現状修正に取り掛かる。本土もそれに引きずり込まれ、ルーチューは再び戦場に引き戻される。

「もう、どこも我々を顧みない。であれば、われわれは独立する」

その理想が燃え出ないとも限らないのだ。米国管理下の「有無を言わさぬ」状態にも戻らない。ましてや、大敗戦の最中に見切り切り離した本土にも屈しない。中国政府にも対等に物言う存在でありつづける。そのルーチューでありたい。その願いが強くなっていくのだろう。

「子孫である大和は、親を粗末にする。親はいつまでも黙っていない。」

ウタキからノロの声が響いてくる。

*****

ルーチューの人々は、これより先、現実と理想の乖離が深まれば一気に理想へ比重を移す可能性もあります。「現実選択」は常に厳しかった歴史を鑑みれば、一度でも栄光のルーチューを夢見たいのではないか、そう思うのです。そのシンボルが「首里城の再建」となるのかもしれない。それをみたタイワンの人々も栄光を夢見るのかもしれない。

そんな、妄想を抱いた次第。

#日経COMEMO #NIKKEI

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