「忖度」の先の話をしよう。

昨今、あらゆる場面で飛び交う「忖度」という気持ちの悪い言葉。海外の人に以前「空気を読む」のコンテクストを説明した際にとても苦労したが、今度は「忖度」をどのように伝えようか。

土地に根を張って暮らしてきた農耕民族としての文化が脈々と染みついているのか、日本ではコミュニティにおける調和が昔も今も重んじられる。阿吽の呼吸は、時に過剰な組織圧力を生み出し、無言の意思表示や身勝手な解釈をもたらす。組織構成員は本音と建前を使いこなし、組織で巧みに生きていく術を身に着けるようになる。内向きな共同体組織は、上を見て仕事をして横(別部署)を見て批判することを助長する。

ガバナンスやコンプライアンスは、内向き組織における自己都合のルールや忖度を解消する上で有効である。客観性や外部性により相互に監査し合うことで、健全な組織運営を促進することが期待される。

一方、ビジョンや未来が語られることなく、ひたすらに政権批判を繰り返す野党の一連のやり取りを見ると少し憂鬱な気持ちになる。たしかに監査機能が必要なことは疑いの余地がないが、将来に向けた山積みな課題が前に進まないことの焦燥感の方がずっと大きい。

政治だけの話ではない。産官学のあらゆるところで、相変わらず出る杭を打ち、失敗を見逃さない風潮がある。そこにつけ、ガバナンスやコンプライアンスという体裁のよい言葉を並べて、ブレーキばかりを強化していく先に明るい未来が待っているとも思えない。

宮内氏の話にはとても説得力がある。

アクセルを踏み込む人が少ないのに、ブレーキの話が先行している現状。このままでは日本企業はさらに沈んでいきかねません。まずは、本当にブレーキをかけないといけないような野心的な経営者を育てるべきです。一心不乱に新しいものへチャレンジして、前に向かっていく経営者がどんどん台頭し、それに応じてガバナンスシステムを作っていくのが本来あるべき流れです。

ガバナンスやコンプライアンスは手段でしかない。「どんな日本にしたいか」「どんな会社にしたいか」といった目的をすっ飛ばして、ブレーキの性能の事に終始しているのならば、私たちはいったい何をしているのだろう。

宮内氏がおっしゃっているように、チャレンジしない人たちに「何もしないことに安住できる立派な盾」を与えることになったら本末転倒である。それよりも、チャレンジする人たちに「何かをすることに勇気を与える立派な剣」を授けることを選びたい。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO28680590Y8A320C1000000/

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