2006_1108世界一周part10179

日本とオランダ、より酷いのはどっち?(世界一周の旅~インドネシア⑦(ジャカルタ))

ジャカルタではあまりいい思い出がない。脱水症状になったからだ。写真の枚数も他の地域と比べて格段に減る。

ジョグジャカルタから電車でジャカルタに入る。ジョグジャとは比べ物にならないぐらい大きな都市だ。人の数も、道路の広さも、車の数も、建物の高さも全く比にならない。久しぶりに都会に来たなあとしみじみする。

上記の様な地域を横目に見つつ、安宿街であるジャランジャクサに向かう。正確な金額は覚えていないが、他のインドネシアの都市の宿に比べても安い。ぱっと見た感じ、部屋の雰囲気も悪くない模様だ。しかし、それは地獄の夜の序章に過ぎなかった。

移動で疲れたのでその日はすぐに寝るが、深夜、猛烈な痒さで目が覚める。体を見てみると、手足、首、顔、いたるところを蚊に刺されている。ジャカルタ以前は蚊避けのベープマットの様なものを常につけていたが、起床後必ず喉に違和感を覚えたので、ジャカルタの初日では使わないでいた。早速つけてまた寝ようとするが、それでも蚊が寄ってくる。仕方なく、電気を付けて蚊退治を始めるが、何匹倒してもどこからか湧いてくる。十匹は倒しただろうか、それでもまだ天井付近を飛んでいる蚊を見ることができる。よくよく壁を見てみると、そこら中に蚊を潰した跡が残っている。とんでもない宿に泊まってしまった。

朝5時頃、朝のアザーンで寝不足のまま目が覚める。外に出てみると、もうチェックアウト済みの部屋だろうか、清掃員が清掃を始めていた。その際、ドアが常に開け放たれているのを見て、これでは蚊が充満するのも無理はないと思い、暗澹たる気分となる。

ジャカルタ滞在中も終わりの頃、ふと思い立ってバンドンという町にも旅行し2泊だけしてまたジャカルタに戻ってきたことがあったが、ここではもっと悲惨な出来事が起こる。ジャカルタでの出来事を踏まえ、殺虫剤を買ってホテルの部屋に撒いた。満遍なく念入りにスプレーしたので、これで蚊は大丈夫だろうとベッドで本を読んでいると、そこら中からガサゴソガサゴソと音が聞こえる。一体何事かと思ってみると、ゴ○ブ○が次から次へとあらゆるところから這い出して来る。小さいころゴに飛びつかれてトラウマになっている自分には、地獄絵図以外の何物でもなく、5分程は何もできずに文字通りベットの中心で震えていた。ベッドの中にいなかったのは幸いであった。そこから、なんとかして一匹ずつ新聞紙で倒して行く。10匹以上は倒しただろう。

さて、ジャカルタではその夜を機に体調が劇的に悪くなる。下痢・嘔吐・熱とどうしようもなくなり、保険も入っていたので日本人向けの診療所に向かったところ、脱水症状と診断され早速点滴が施された。日本人の医師にきちんと診断してもらえ、点滴もしてもらえるのは本当にありがたいとしみじみと感じた。その医者とはジャカルタのことについても話した。彼曰く、「金持ちにとっては天国のような場所だが、貧しいものには地獄のような場所」とのことだ。ジャランジャクサに泊まっていることを告げると、「あんなゴロツキのたまり場やめた方がいい」と言っていた。彼も「金持ち」の一員なんだなと感じた。

その後のジャカルタ滞在は只管安全運転。先ずはホテルをワンランク上のものに変え(それでも蚊は何匹かはいたが)、飯はAdidas等の海外ブランドショップも入っているショッピングセンターのフードコートで食べる。露店はバケツに入った濁った水で皿を洗っており、下痢を気にして全く手をつけなかった。ジャカルタ及びインドネシアを嫌いになりつつあったため、スマトラ経由でシンガポールに行くという当初の予定を変更し、ジャカルタからシンガポールへの航空券を購入する。

ただ、全く散策しないのも悔いが残る気がしたので、特にガイドブック等持たず散策することにする。あまり印象が残っていないのだが、「発展途上国」という言葉が文字通りジャカルタを表していた、というような印象を持っていた気がする。建設中のビルやそれに隣接する雑然としたマーケット、まさに発展の途上であった。

ジャカルタの見どころは、ムルデカ広場にあるモナス(独立記念塔)だ。元々はスカルノ大統領の発案で建設が始まったもので、1975年から一般公開が始まったとのことである。

併設の博物館では、インドネシアの歴史に関する展示が行われていた。その中には、第二次世界大戦中の日本軍の「蛮行」についても記されていた。そこでどのような記述が記載されていたかや、自分がどう感じたかは覚えていないが、少なくとも自分の中では「日本はインドネシアのインフラの面で貢献を果たし、搾取の限りを尽くしたオランダとは違う」という思いがあった。実際、この広場で英語を話す老齢のインドネシア人に話しかけられ、第二次世界大戦のことも話していたのだが、「日本はいいこともいっぱいしてくれたよ」というコメントもあった。

ただ、当時のこの心境を思い返してみると、自分が如何に未熟であったかを感じるが、同時に、自分は悪い意味でも丸くなってしまったなと感じる。

そもそも、「日本とオランダ、どっちの方が酷い?」という問いに対して、必死に日本が良い理由を探しだそうとする姿がダサい。団栗の背比べとはまさにこのことであって、こんな結論が出たところでどちらかに対する敵意しか生まれないような問いを真剣に考えること自体が未熟だ。また、自分に都合が良い他人の主張・情報だけを用いていたことがダサい。そういうどちらかを結果的に貶めてしまう議論をするような場合は、全て一次資料に自分に目を通すということはしないまでも、少なくとも反対意見の人がどのようなことを言っているかを認識してから物事を発言すべきだ。

一方で、「十分な情報を知らないから、知っている事実を述べることはできるけど、専門家じゃないと判断はつかないよね」と一歩引いて冷めた目をしている今の自分に対しては、とても残念な気持ちにもなる。時がたつにつれ、何かを主張をするには、「その根拠となる事実を自分で確認すること」、「どのような反対意見があり、どんな事実を根拠としているかを見極めること」が重要だと思うようになり、十分な下調べをしないまま主張をすることが怖くなった。それと同時に、安易に見える主張をする人を馬鹿にするようになった。「十分に調べもしないでよくそんな大それた主張ができるな」と。

最たる例は領土問題だ。例えば、竹島を何故日本が日本の領土であるという歴史的背景を知っている人はどれぐらいいるだろうか。勿論、竹島の場合は「日本が国際司法裁判所に訴える選択肢を留保していて、韓国は現状それに応じる意思はない」という事実から、なんとなく理論的には竹島は日本の領土であるということが正しいと感じている人も多いだろうが、大半は「自国政府が竹島所有を主張しているから自分も竹島は自国領土だと思う」という人なのではないだろうか。自分はこの問題に関し、ある程度の事実は調べたものの、日本の領土であるということに確信があるというレベルには達していないことから、「日本の領土だと強くは言えないよね。結局は外交官や歴史の専門家に委ねるしかないよね」というスタンスだった。そして、深い理解もなしに「日本の領土だ!」と無責任に主張する人を笑っていた。

しかし…これでいいのだろうか?最近自分が考えるのは、「主張することは物事を変える為に非常に重要であり、主張しない人間はつまらない」ということである。結局、主張しないのは、責任の問題ではなく、プライドの問題である。主張をしないということは、結局批判によってプライドが傷つけられるのが怖いのである。ただ、自分は世界に何かしらの変革をもたらしたいと考えている。その為にも、今後は様々な事柄を様々な側面から学び、様々な場面で主張をしていきたい。

その際に心がけたいのは、自分の主張を覆す証拠・情報を提供された時に、非論理的な批判によって自分の対面やプライドを保とうとするのではなく、あくまで柔軟でありたいということである。また、Yes/Noの両方が妥当な根拠を持つ場合に、どのような判断をするかの根本となる自らの理念を確たるものにしていきたい(例えば、「弱者の味方になりたい」等)。

尻切れトンボになってしまったが、このトピックで書き続けると止まらなくなるので、この「主張」のトピックはまた後日。

(後記)

こんな動画を発見:https://youtu.be/doPlKvTdIbA

日本人が作ってるから、どこまで信用できるかって問題はあるけど、日本人としてはこうあってほしいと思うエピソードが描かれている。

再植民地化しようとしたオランダ・イギリスが、戦後全く咎められていない状況を見るにつけ、戦勝国が紡ぎだす歴史の不条理さを憂う。


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