落ちる瞬間

世界一周の旅~出発

2006年9月、香港行きのキャセイパシフィック航空に乗り込む。最終目的地はインドネシア、バリ島のデンパサールであり、今回の世界一周旅行の最初の目的地でもある。

いつからだろう、自分の将来に漠然とした不安を抱くようになったのは。小学校・中学校時代は、両親の勧めや愛読書のBlack Jackの影響もあり、医者になることを目標にしてきたが、高校三年生への進学を前にして、自分が本当に何をすべきかを考えるようになった。

当時の自分の中であった医者のイメージは、患者は殆どが高齢者で、毎日患者をルーティンの様に診察するというものであった。もちろん、(漫画の世界ではあるが)Black Jackのようにずば抜けた技術があれば、普通の人が治せない病気を治すことで世界に自分にしかできない貢献することができるだろう。しかし…そんなことが手先の不器用な自分にできるのか?結局自分もルーティンで高齢者を日々診察するだけの医者になってしまうのでは?それじゃあ、世界に自分にしかできない貢献をする為にはどうすれば良いのだろう?

そこで出てきた答えは、「外交官」というものであった。戦争の是非の判断は後世が行うべきものであるが、2003年当時は既にイラク戦争は失敗であったという意見が大勢を占めていた。イラク戦争は外交努力で何とか止められなかったのか、もっとアメリカとイラクの対話を促すことができていれば、防ぐことができたのでは。勿論、答えは99%以上の確率でNoだろう。ただ、今後起こる戦争に関しては、自分が止めたい。それが高校三年での文転を決心させた。

田舎から上京した身としては、東京での大学生活は全てが刺激的であった。アルバイト、恋愛、サークル、勉強、何でもできる気がした。でも、何でも中途半端に終わった。大学二年生の後半になり、就活の話が出始めるにつれて、再び将来のことを思うようになった。外交官の夢も勿論思い出した。でも、外交に果たしてどこまで意義があるのだろうか。この三年間で世界は外交で少しでも平和になったのだろうか。外務省の人にも話を聞いた。「日本の国益を守る」という理念は大変素晴らしいし、今では外務省の方々は日本へ大いに貢献していると実感を伴って言うことができるが、当時の自分には、外交の意義を日々の情報から感じ取ることはできなかった。

本当に自分がしたいことは何か。考えた新たな切り口は、「誰の為に働くか」というものであった。記憶は遡り、小学校時代に見た緒方貞子さんのエピソードを思い出した。国連難民高等弁務官として難民の為に働く緒方さんを思い出し、世界の本当に助けを必要としている人の為に働きたいと思った。

でも…どうすればいいだろうか?国連機関、JICA、JBIC、青年海外協力隊、色々な選択肢がある。何が一番自分に合っているのか、どうすればそれを見つけられるのか。そこで出した答えが、「現場をこの目で見る」ということであった。実際に途上国を旅して、自分がどのようにして世界に価値を提供して行くべきかを考える、これが世界一周の目的である。大学は一年間休学することにした。

このように堅い意志を持って決めた旅だが、初日のホームシックは想像以上であった。事前に予約したホテルにチェックインするが、部屋に入った途端寂しさと不安が込み上げてくる。携帯で母親に連絡を試みるが、携帯がうまく通じない為ホテルの電話を使用する。一分弱の会話だったが、涙が込み上げてきた。日本にいるときは、「独立したい」だの、「この生活は退屈」だの言っていたけど、そんなけだるい生活から一歩抜け出してみると一日で泣き言を言ってしまう始末。自分の情けなさを痛感した。

メールを確認すると、友人から励ましのメールが届いていた。このようなときに支えてくれる友人は一生の友達になる。

明日からはしっかりと学び、しっかりと楽しもう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?