見出し画像

すもも氏はいい時期に頭角を現した

すもも氏の芯の強さはどこから来ているのでしょうか。それは彼がTwitter/noteで頭角を現した時期のフェミニズム・反フェミニズムの勢力関係に見いだせます。

すもも氏がnoteに最初の記事を公開したのは2019年5月6日のことです。それ以降彼の注目は急激に高まっていくわけですが、その頃のアンチフェミニズム界隈はどのような状況だったのでしょうか。私は一度当時を振り返る記事を出しているので、それをおさらいしてみましょう。

とりわけ日本においては、特に政治の世界において、「反フェミニズム」と言えば日本会議に所属していたりキリスト教右派と太いパイプがあったりする、パターナリズムな保守派・復古主義、あるいは伝統主義的な政治家しかおらず、それ以外の方向からの批判は、もちろん表現規制反対論も含め、完全に在野の少数派的主張でした(その意味では、山田太郎議員はかなり一人で頑張っている感じがあるんですよね…)。
このような状況下ではフェミニズムのレッテル貼りは世間にうっすらと受け入れられるしかありません。だからこそ、こうした誤解をかわすためにフェミニズムに媚びるしかなかった面は大きいと思われます。
このことを憂慮して久米泰介氏が出した声明が次の記事です。
(略)
この声明が出されたのは2019年4月23日のこと。私はこれを初めて読んだ時の衝撃が今でも忘れられません。当時(特に2018年の暮れあたりから)フェミニズムやミサンドリーを批判していたブロガーの一部に、それこそフェミニストのレッテル貼りを裏付けるかのごとく、こうした保守派の思想への回帰を表明する記事が立て続けに出されていました。
久米氏の声明は、まさに私がうっすら感じていたことをピンポイントで指摘してくれたものです。いくらフェミニズムのミサンドリー性・男性差別性が高まっているから、いくらフェミニズム(というよりかは「性の解放」)以前の社会がマシだったからと言って、解放以前の伝統的性規範を取り戻す合理的な理由にはなりません。

そう、当時の(平等主義ないし自由主義的)アンチフェミニズム界隈は久米氏が出した伝統主義的思想を排除する声明のもと、再生が始まっていた時期です。この声明はマスキュリズムの思想の根幹をなすかなり重要なもので、現在そのサイトが閉鎖されているのは非常に残念に思います。そこで今回はあえて、久米さんのほうから文句が出ない限りここに全文を公開したいと思います。

『マスキュリズムの敵 ジェンダー保守派』

マスキュリズムはフェミニズムを批判するため、ある大きな政治的誤解を受けやすい。
それは、男女平等に反対する意味でフェミニズムに反対しているアンチフェミニズムの保守派との混同だ。

これはフェミニズムは半ば故意にレッテル貼りなどで、リベラルの政治の中で自分たちが優位に立つために行ってくるが、また故意ではなくジェンダー保守派も勘違いして近寄ってきやすい。

日本でも、「男と女は違うんだ」「男女平等の”行き過ぎ”は間違っている」と主張する保守派がなぜかマスキュリズムの言説や文献を一部切り取って、理解しないまま利用しているパターンが多い。
実際に、「男性差別への反対に賛同する」と言って近寄ってくる人間で、マスキュリズム系(左派系)はほとんどおらず、大半は保守派である。例外は一定の高学歴である程度大学で思想や学問を吸収してマスキュリズムのリベラル的な本質を理解できる人だけであった。

そもそも日本ではフェミニズムに屈しないリベラルの勢力が弱すぎて話にならないことが多い。
フェミニズムとリベラルは言うまでもなく、完全一致するわけではない。
全ての者の人権を平等に守ろうとするリベラルは、ある部分では女性の権利を守るためフェミニズムと被るが、別の部分ではフェミニズムに都合の悪い(つまり女に不利益を被る)他の者の人権もやはり平等に守るため(とりわけ子供の権利などが顕著だが)フェミニズムと理論上強く対立してきた。少なくとも西洋では。

マスキュリズムの出来た経緯とその思想と理論をもう一度、確認しておきたいが、人類社会において、古来から性役割としてジェンダーが存在してきた。これを進化上の生存適応の結果と考えようが、「パトリアキーの陰謀」と考えようが、いずれにせよ、男女に強力に負荷と制限を設けるものであった。またある部分では男女それぞれに恩恵をもたらしただろう。
これらの性役割やジェンダーを保守したいのが、伝統保守派。そして、これらの性役割の内、女性に不利益を被るものを女性差別として批判してきたのがフェミニズム。そしてそのあとに出てきたのが
男性への性役割や伝統的ジェンダーで男性に不利益を被るものを男性差別として批判しているのがマスキュリズムである。

マスキュリズムがフェミニズムを批判する部分があるのは、一部のフェミニズムがある部分(つまり女性に恩恵がある部分)ではジェンダー保守派になり、その太古の昔からのジェンダーの既得利権を守ろうとするからだ。即ち男性差別的なジェンダー伝統に関すると急に「保守派」になる。

保守派はその逆で、男女平等を目指していることでフェミニズムを批判している。男女平等を徹底しないことではなく。

つまり、保守派はまたマスキュリズムが男性差別的であるジェンダー役割をなくそうとする場合も間違いなく妨害してくるだろうし、実際する。

マスキュリズムはフェミニズムと競争しつつ、またジェンダー保守派とも戦わなくてはならない。

兵役を男女平等にする際などそれが顕著だ。フェミニズムも保守派も共に反対してくる。
それぞれ理論は異なるが、結論は同じだ。男性の生命価値が女性の生命価値より低く扱われることを正当化しようとする。兵役を女性に課すのは間違っている、男性だけに課すのが正しいと言う。どちらもリベラルや平等主義ではない。

基本的に、現状マスキュリストがいるわけないのは当たり前と言えば当たり前といえる。
啓蒙段階なのだから。既存の思想(フェミニズムとジェンダー保守派)と慣れあわず、批判を受けようが、やっていく必要がある。

また当時のフェミニズム側にも、予断を許さぬダイナミックな変化がありました。以下記事で述べた「上野千鶴子の敗北宣言」もとい東京大学入学式でのスピーチがあったのが2019年4月12日のことです。

ここまでの話を踏まえたうえで、2019年東大入学式の上野千鶴子氏のスピーチを見てみましょう。
私にはこのスピーチがエリートフェミニズムの敗北宣言であるように読めました。あえて太字部分(注:「弱者が強者になりたいという思想ではありません。」の部分)のように言っていることから、草の根フェミニズムが地位向上をあきらめたのを暗に認めたことに他ならないでしょう。その意味で言うと、この時点で既にエリートフェミニズムが草の根フェミニズムをきちんと指導できている、あるいは管理下に置いているとはとても言えない状況だったのです。

更に少し後になると、伝統主義的アンチフェミニズムの「首領」たる論客(詳しいことは次回以降の記事で語りたいと思います)、Prof.Nemuro氏がはてなブログからnoteに移籍した上で復活し、前回の記事で述べたように草の根女性を煽動しエリートフェミを本気で潰そうと仕掛けてきました。その結果どうなったかは、ご覧になった方はもうご存知ですよね。

そしてもう一つ、言及しておかなければならない重要なことがあります。それは、この理屈の半分は直接的に「伝統主義的アンチフェミニストが作った」といえるということです。これははっきりと告発しておかなければなりません。
どういうことかと言いますと、かつて伝統主義的アンチフェミの一部論客は、「女性の地位向上・社会進出を進めたエリートフェミが結果的に女女格差を拡大させてきた」と主張し、半ば若い女性・草の根の女性に向けて煽っていたところがあるのです。特に顕著だった一人がProf.Nemuro氏です。

まさに2019年春〜初夏は日本ネットにおけるジェンダー戦争の勢力図が一気に塗り替わった時期だったのです。そんな中に、すもも氏は「平等主義の観点からの反フェミニズム」を謳いネット言論の世界に現れたわけです。

(特に草の根勢力による)フェミニズムの暴走を止めなければならない。しかしこれまでの反フェミニズム思想はあまりにも不甲斐ない。その当時の状況が、彼に揺るぎない信念を持たせるには十分であったことは、容易に想像できるものです。

是非とも是非とも、すもも氏には「テレビに出たり本を出版したり」という所まで影響力を高めていってほしいと思います。彼は「伝統主義的フェミニズム」における期待の星そのものです。