報せ

雨が降った。
雨は嫌いじゃない、アスファルトを濡らした匂いに安心感すら覚える。
今日はあいつらがいない。
いつも4人で歩く帰り道をぼうっとしながら歩いた。
日向は図書館へ行くと言っていたし。
環奈は喫茶店、陽介は寝るって言っていたか...。
いやだとしたら、俺と帰ってもいいじゃないか。
と少し不服になりながら、どうせなら俺も寄り道をしようと思った。

いつもとは違う道を曲がったり下りたりした。
どこか懐かしいような、心地のいい香りがした。
知ってる匂いだ。
甘くて、心地が良い安心する香り。
目を閉じて全ての香りを吸収しようとした。
ここに来たのは初めてじゃなかった。
以前来た時にもこんな香りがしただろうかと不思議に思いながら進んだ。

喫茶店を見つけた。
ん、こんなとこにあったか?店名もかすれてしまっていて読めない。
この喫茶店古いぞ、でも覚えがない。
考えつつもすでに扉を開けて入っていた。

「いらっしゃいませ、おや今日は学生さんの日なんでしょうかね。」
「先ほどまであなたと同じ制服の女生徒さんがいらしてたんですよ。」

優しそうな白髪白髭の長身のおじいさんだった。
おじいさんの言葉を聞きながらカウンターに座った。

「初めて来ました、気付きませんでした。何度か通ったことのある道だと思ったんですけど。」

「ここは、ずっとありますよ。」

おじいさんがサイフォンを乾かしながら答えた。
失礼になってしまっただろうかと不安になったが、すぐ消えた。
気付かなくても仕方ないのだと言い聞かせてくれるように黙ったままのおじいさんが笑いかけてくれた。
熱し始めたサイフォンを前に、おじいさんは豆を挽き始めた。

「さっき、えっと、ここに入るほんの少し前に、良い香りがしたんです。甘くて安心する...。」

「知ってますよ。」

「俺は知ってるんです、その匂い。でもはっきり分からなくて。ただ、その香りにずっとなんか、こう。」

言葉に詰まって続けられなかった、何を言おうとしたんだろう。
漠然とした何かは分かっているのに、言葉にできない。
でも何かが分からない。
ただあえて言うならば言葉を発することがとても、とても嬉しかった。
その香りについて話を共有しようとした訳ではないはずだが。

「この喫茶店は、香りを見つけるお手伝いをしているんです。不思議な話でしょう?
あなたが望んでいる香りをね。」

「この匂いはなんなんだろう...。」

「もちろん、あなたの知ってる香りですよ。安心したでしょう?」

そう答えながらおじいさんは一杯のコーヒーを出してくれた。
美味いコーヒーだった、種類はわからない。
でも飲んだことのないコーヒーだった、と思う。
目を閉じてコーヒーの香りを堪能しようとした。


…き…、ぅき!…ゆうき!!

環奈の声で目を覚ました。

「裕貴寝ちゃうんだもん、ゆすっても起きないし...日向も陽ちゃんも待ってるよ。帰ろ。」

「ん。」とだけ答えて帰り支度をした。

下駄箱には、日向も陽介もいた。
雨が降ってた。

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