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両親

わたくしの両親は既に2人共他界しております。
どちらもいない母の日、父の日は2回目になりました。
頑丈だったのになぁ。
むしろ死なないんじゃないかとまで思っていたんだけどなぁ。

両親は父の方が数週間誕生日が早い程度の同い年でした。
父が母を呼ぶ時は「おーい」が多かったかな。
母は「あんた」と呼んでいました。
父が友人と話している際、母のことを「彼女」と言うのを聞いたことがあります。
「彼女がそう言うからさ~」と言ってました。
母に伝えたら、ちょっと嬉しそうでしたね。
その母がくも膜下出血で倒れ施設へ入居すると、父は毎日施設に通いました。
「死後の世界 残された者の体験記」でも書いているように父は税理士だったのですが、仕事をしながら毎日です。
雨の日も風の日も雪の日も、確定申告の時期で忙しい時も。
いやまぁ、どんだけ好きなのよって感じでした。
タイトル画像に使った写真は、母の施設で撮った両親の姿です。

その父が癌になり、分かった時には手の施しようがない状態で、入退院を繰り返します。
わたくしは携帯で動画を撮影し、父の動画を母に見せ、母の動画を父に見せました。
母は脳をやられていますから、はっきりと反応できないことも多いです。
それでも笑った顔や、父に話しかける様子を撮影できる時もあり、父も楽しみにしていたと思います。

ある時、母の外出許可をもらい、入院している父の見舞いへ連れて行くことにしました。
その頃、既に父はベッドから起きれることはほとんどありませんでした。
母を連れてくるからねと病室を後にし、施設から母と一緒に病室へ入ったら

なんということでしょう。

父はベッドの他にソファがある個室に入っていたのですが、そのソファに父が腰かけているではありませんか。
しかも「来たね」と片手を上げて笑っております。
さっき出る時、ベッドに寝てましたよね?
起き上がれるとは思えない状態ですよね?
カッコつけたかったんだね笑

母を見送ってから逝きたいと言っていた父でしたが、それは叶わず、先に逝くことになりました。
葬儀の時、何も分かっていないと思われた母が、父の遺影を見上げて手を合わせた姿は、きっとあの2人の絆が見せたものなのでしょう。
今思うと、父が亡くなったのはコロナ前でよかったと思います。
両親がお互いに会いたい時に会えましたから。

父が先に旅立ってから6年2ヶ月後、母が亡くなりました。
自分の誕生日を2日後に控えていましたが、父との年齢差をひとつ広げないうちに母は旅立ちました。

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