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子育てとアウトドア体験の関係

我が家族は、キャンプに釣り、川遊びなど、とにかくアウトドア遊びが大好きな家族なのですが、以前からこのアウトドア体験が子供に与える影響について関心がありました。

感覚的には、そういう経験がない子供と比べるとたくましさというかなんというか感覚的な違いを感じていたのですが、言葉にすることができませんでした。

ということでちょっとググってみたところトップにこんなまとめサイトが出てきたのでそれぞれの意見を勝手に検証してみました。笑
https://matome.naver.jp/odai/2140463281645188201?&page=1


まず、最初の説はこれです。
”「外で遊ばないまま成長すると、「他人との関わり合いが非常に苦手」「相手を認めない」「争いを起こす」という結果が出ていると、環境先進国・スウェーデンの大学教授は発表しています。」”


これは恐らく「外で遊ぶ」=「家族以外の人に接する」という前提条件があり、だから「外で遊ばない」=「家族以外の人に接しない」=「他人との関わり合いが苦手になる」ということだと思うのですが、これはアウトドアやキャンプとの相関というよりも家の中・外という話なのでアウトドアは外に出る一つのきっかけにはなるが自然の中でアウトドア体験をすることの効果ということではないと思います。


次の説はこれ。
”「自然体験の機会が少なくなると、美しいものを見ても美しいと感じる心が育たないということも懸念されています。」”

これはわからんでもないです。
自然の動植物、風景は色彩豊かでそれだけで感動するものがあることは事実であり、人工的に作られた世界の中では感じられない感性が得られるような気もします。しかし、一方で別に自然体験だけでそういう美しいものが見れるというものでもないような気もし、アウトドア体験ならではというには若干厳しい気がします。

続いてこの説。
”「火や石、土、水、木、草、動物との体験、暗闇や飢え、渇きなどの「ゼロ体験」を通じて、子どもたちは探究心や人としての感性を高め豊かな人格を形成していくのです。」”

実際にサバイバル的なアウトドア体験をしていればこれも分かりますが、わざわざ苦しむためにアウトドア体験をしに行く人はあまりいませんよね。
それより実際は、キャンプであってもそれなりに快適に過ごせるように準備をしていきますので、これもちょっと的外れという感じがします。

次はこれ。
”「子どもの成長・発達において、将来、人間的にも学力的にも伸びていくための基礎・基本、土台となるのが「原体験」が内包する教育力に他なりません。「原体験」が、今流行の早期教育よりも子どもの「地頭」を向上させる効果があることは、脳科学者らも指摘するところです。」
「近年、国際社会が模索する「未来型学力」は、現在の学力観における知識量や技量ではなく、将来何が出来るかに重点が置かれようとしています。」
「家族キャンプは、「原体験」だけでなく、「未来型学力」の構成要素となる「問題解決能力」や「段取り力」「社会性・共同性」「主体性」などを育むのに最適です。」”

この「原体験」や「未来型学力」という言葉の定義がよくわからないのですがその構成要素として上記で挙げられている「問題解決能力」、「段取り力」「社会性・共同性」「主体性」というのはしっくりくるところがあります。

キャンプも釣りもそうですが、それなりに「段取り力」が必要であり、さらに何かが足りない、何かが壊れたなど問題が発生することもしばしばあり、手元にある限られたものの中で問題を解決しなければならなくなります。
さらに釣りなんかであれば釣るためにどうすれば良いかかなり考えさせられます。そして、手元にある道具をいろいろ変えるという創意工夫をすることで問題解決しようとします。

また、キャンプは特にですが設営や撤収時にはかなりの共同性が求められます。また、そんな中で主体性を持って取り組まないと家族とはいえかなり顰蹙を買います。笑
しかし、一つ疑問なことはこういう経験は本当にアウトドアの中でしか得られないのでしょうか。

スポーツをしていればもっと上手くなるために問題解決力が求められると思いますし、トレーニングなどにしても一定の計画力や段取り力は求められると思います。
また、普通に学校に通っていれば社会性や共同性は育まれるのではないでしょうか。
つまり、アウトドアだからという観点でみるとちょっとしっくりきません。

次にこれ。
”「自然の中に身を置くと、「創造性」や「創意工夫」が養われると思います。普段ふれることがない色や香り、音、温度などに五感を刺激されるからです。子どもは次々と新しいことを発見し、驚くようなスピードで吸収していきます。」”

自然の中に身を置くと普段触れることがない色や香り、音、温度などに五感を刺激されるというところは全くその通りだと思います。しかし、それにより「創造性」や「創意工夫」が養われるというのはちょっと論理の飛躍を感じます。

次にこれ。
”「親と子どもが一緒になって遊ぶことが非常に大切。親子間のコミュニケーションが減っているこんな時代こそ、親の背中を見せる時間、親が楽しんでいる姿を見せる時間が、今の子ども達にとって必要なこと。」”

これはその通りだと思うが、これもアウトドアではなくとも親子で何かを一緒にすればいいのではないかと感じてしまいます。

最後にこれ。
”「(アウトドアには)大人と子どもとの共同体験の機会がたくさんあります。そうした体験を通じて、子どもたちは自主的に物事を判断できるようになり、いろんなことに自信をもって取り組んでいけるようになるのです。」”

これはどことなく論理飛躍も感じますが、なんだかしっくりきます。また、よくよく見てみるとその前のものと同じことを書いてあるんですね。^^;

実際、アウトドアでは親子の共同作業の機会が他のことよりたくさんあるように感じます。生き物を捕まえることだったり、火おこし、食事の準備、サイトの設営、荷物運びなど様々ですが、なんというか本当に一緒にすることが多いと感じます。
そして、この「親」と「一緒にする」ということがたくさんあることで、親の言動に触れる機会が増え、そこから子供は多くのことを学ぶのかもしれません。

事実、我が家族は親子だけではなく田舎で育ったたくましい義母も交えて釣りに行ったりするので親のみならず祖母からも子供たちが何かを学んでいる様子が伺えました。

つまり、私の中での今の結論は、
①アウトドアは親子の共同作業がとても多い
②アウトドアはそもそもに「問題解決能力」、「段取り力」「社会性・共同性」「主体性」が育まれる。
③親と一緒にアウトドアライフを過ごすことで親の言動から「問題解決能力」、「段取り力」「社会性・共同性」「主体性」を一緒に経験しOJT方式で学ぶ機会が多い
④だから子供の「問題解決能力」、「段取り力」「社会性・共同性」「主体性」が育まれる
ということなのではないかと思います。

という観点で上からそれぞれの説を読み返してみるとそれぞれがなんとなく部分的に語っているようにも見えますね。。。^^;

少しすっきりしましたが、何かもっとあるような気がしてなりません。。。。「問題解決能力」、「段取り力」「社会性・共同性」「主体性」などのような手段的なものではなく、なんというか人間自体が持つ生命力というかエネルギーというか、感動というか、上手く言えないですがそういったものが子供の成長に大きく寄与するような気がしてなりません。
「原体験」という言葉が感覚的に近いでしょうか。。。

ん〜まだまだ言葉に出来ていないなと感じる今日この頃です。。。

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