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2つのベーグルを覗いて考えた映画への向き合い方

「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」を観た。

圧倒的なカオスに頭をやられ、気づいたら泣いていた。映画館で泣いたのは初めてだったので自分にびっくりした。アカデミー賞で7部門も受賞したのも納得のいく作品だ。

「フェイブルマンズ」を観た。

楽しいと思える映画ではなかった。といってもつまらないわけでは全くなく、むしろ考えさせられるシーンや印象に残るカットが盛り込まれていて興味深い作品だった。ただ、18歳には消化しきれるものではなかった。また歳を重ねたら観てみよう。


さて、人生経験の浅い高校卒業したてのガキが映画の感想文なんて書いても、ネギの入っていないチャーハンぐらい味気無いものになることは目に見えているのでここいらで話題を変えたい。

映画への向き合い方に悩んでいる。

鑑賞を終えてから自分の中で、あのシーン良かったな。とか、この言葉印象的だったな。とかあれこれと考えるのが好きなのだが、そうした感想を文章に残そうとすると上手く言語化できなくなる。これは単純に自分の能力の低さが問題であるが、そうして悩んだ後にツイッターを見てしまうのである。これがいけない。

ツイッターには映画の核心を140字で的確に分かりやすく(あるいはそれっぽく)伝えてくる人間がごまんといる。他人の影響をすぐに受けてしまう自分にはこういった他人の感想を受容し、混ぜ合わせ、「自分」の感想を形成してしまう傾向がある。別にこの傾向も悪いものではないと思うけれどやっぱり自分で考えたことを言葉にしたい!という欲求があるので、出来れば避けたいのである。

また、自分の感想を言語化できない原因は自尊心の欠如にもあると思っている。どうせ自分なんかは薄っぺらい感想しか書けないんだ、とか頭の中で抜かしてやがるのである。まあ、ろくに経験も積んでない自分が人々の賛同を得るような言葉を並べ立てられないことは間違ってはいないが。

そんなことでウダウダ悩むなよ。という痛い指摘が飛んできた気がする。

確かにそれはそう。そうなんだけど。でも安い服1着なら買えるぐらいの値段出して、サブスク時代にわざわざ劇場に足運んでるわけですから。そこに意義を見出したいわけですよ。

ん?

とても大事なことを思い出した。

自分が映画館で映画を見る意義、つまり目的はなんなのか。



楽しいからに決まってるじゃないか


あの非日常的な空間で、いい音で2、3時間ただ一つの作品だけに没頭する高揚感。
この体験が自分には必要だったんじゃないか。

今回観た2作品も毛色や楽しみ方は全く異なる映画だったけれど、それでも自分がどちらも面白いと思えたのは、「映画館で映画を観る」という行為を経ているからだ。家で同じ映画をソファで寝転がりながらNetflixで観たとしても同様の体験ができたかといえば首をかしげる。(家での映画鑑賞を悪く言うつもりはないし、なんなら自分もやる。)

難しく考えすぎていた。頭の中で考えをこねくり回してしまう悪い癖が出ていた。ただ楽しめばいいんだよ。そうだ。

そうすれば自然と映画を見る経験を何度も重ねるのだから自分の価値観も理解していけるし、なによりこれまで試行錯誤してきた「自分の意見が持てない問題」も自然に解決する。

さっきまでの自分がばからしい。
自分の「好き」に正直に、これからも映画を見続けることにしよう。



でもツイッターにこれまた蔓延っている「映画に酷評しかできない難癖めんどおじさん」にはなりたくないので、ときどき自分を客観視したい。

そして、たくさんの映画を楽しめる「朗らかニッコニコおじさん」になろう。

朗らかニッコニコおじさんの図

タイトルの2つのベーグルってのはどっちの映画にもベーグルが出てきたってだけです。深い意味はない。

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