切抜6「蝕んで、秋」

雨。


週末になるとあたりが居酒屋飯のかおりで賑わい出す街の夜。予想しなかったサービス残業に笑顔で対応しながらも胸の内では不満を垂れ、1週間の疲れをずっしり纏った私はあげるのもやっとなくらいの重たい頭をオフィスに残る人達に下げて帰路に就いた。

「2020年もあと3ヶ月です」というニュースを見かけてから1週間が経った。10月1日、ツイッターのタイムラインを眺めると各所で「金木犀の香りが!」というつぶやきを多く目にした。そうか、もうそんな時期かと思ったが、私の住むところの金木犀はまだ咲かないでいる。
毎年とある家の庭から香っていた金木犀は、今年は上手く手入れがされていないせいか、恐らく病気だろうか、葉がボロボロになっていた。この状態じゃ花が咲くのは難しいだろうな。今年は季節を嗅ぐことなく冬を迎えることになりそうだ。

気がつけば秋。
7月頃に仕事で客先の発注書に9月末の納期を記されているのを見かけた時はまだまだと思っていたが、そんな日はとうの昔に過ぎ去った。最近では年明けの2021年の納期が指定された発注書が届いた。なんだか時の流れに急かされているような気がしてならないが、時間は当然のことながら私を待ってくれないでいる。私も動かなきゃと息を飲んだ。

ところで、noteの最後の更新が今年の5月で止まっていたが、このしばらくの間で周りに居る人達の顔ぶれが随分変わった。これまではSPOON関係の人達がほとんどだったが、音声投稿の場をHEARにも広げて、そこから更に人脈が広がった。大事にしたい人も増えた。それから同性の学友も。今となっては顔を合わせる度に人目も気にせずに抱き合ったりする仲になった。そんな彼女たちに毎週末会えるのが気がついたら私の中の楽しみになっていた。
けれども、そんな彼女たちともあと数回顔を合わせたら秋と共に去っていってしまう。通っている学校の卒業がもう目の前まで迫っているのだ。みんなそれぞれの進路に向かって行く。向かった先で彼女たちに再び会えるかどうかなんて分からないけれど、やっぱり別れのことを考えると寂しさが込み上げてくる。

それからインターネットのつながりも、コミュニケーションツールが発展して様々な人達と容易く繋がれるようになって、今ではありがたいことにいろんな友人たちと巡り会えた。けれども、そんな友人たちも何かしらの都合で急に姿を消してしまうこともある。部屋の電気を消すみたいにあっさりとその友人の灯が消えてしまうことも、度々ある。

一方的な友人意識だったかと時折落胆してしまうこともあるが、結局のところ、その場から去った友人の選択がそれだったのであればその意思は尊重するべきだし、私がそれに対して咎めたり悲観するなんてのは当然、以ての外のことなのである。

物事の事象や人との出会いについて私はよく列車に例える。これまで去ってしまった事象や人は通過駅、これから先に出会う事象や人は停留するか通過してしまうか、都度出会う選択肢に悩み答えを手に取り、その後私自身の人生が行先を定め進んでいく。望めば停り、何も思わなければ無情に猛進していき、結果その轍に残していくのは後悔か希望であって、それらの存在の大小を知った頃に振り返ればだいたいのことは届かない程遠くなってしまっている。
できれば、轍にこぼしたそれらが希望でありますようにと明日の自分はよく期待している。決して後悔をゼロにしたいとは思わないが、今日の自分が選んだ選択肢で明日の自分が多少でも救われる道を私は今日も望み、明日も探す。

進路だったり、人とのことで悩み、ぶつかってしまった人達へ。
選択肢を手にする瞬間、喜びや安寧が身体中に伝わるか痛みを伴うかは各々の状況にもよると思う。全ての選択が優しくて穏やかであればそれは何よりのことだが、苦痛を背負い明日の自分が嘔吐してしまうほどの辛さを患う選択も誇るべき決断だと思う。
だから、たとえ誤った選択をしたと頭を抱えるほど感じても、それら全てを悲観しないでほしい。その苦悩が一気に、或いは細かく報われていく時が、君の先で待つ停車駅で待っているから。

不快感を纏った温い風が吹き付ける果てを知らない秋の夜空。この無慈悲にも寂寞たる空気に飲まれてしまわないよう、私は仕事の帰りに明日の自分が負けてしまわないように、薬局にカフェロップを求めに行く。

あわせて聴きたい音楽

♪amazarashi「ハルキオンザロード」

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