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切抜9『メールデトワール』(前編)

(「切抜」シリーズは、今胸の内にあるモヤモヤを言葉に乗せてまとめる、いわば心の整理をするための雑記帳というもので読んでいただければと思います)


  今年も去年に引き続き、退屈なGWが訪れるらしい。ほんの1週間と少し前にツイッターのトレンドに挙がっていた不穏な文字の並びを見ながら深くため息をついた。緊急事態宣言、まん延防止措置、灯火管制、大都会に来て1ヶ月が経つ頃にこんなディストピアの空気を吐きそうになるくらい味わうことになるとは思いもしなかった。
 そういうこともあり、GWの初日に元々予定されていた前職場の人達との昼飲み会は無言でなかったことにされ、また3〜5日に遠方から友人が遊びに来る予定も「流行病が怖すぎる」「東京の人間はモラルが低すぎる」と余計な罵声を吐き捨てられ、休日に入る前にやや喧嘩になり、まんまとその予定を白紙にされてしまった。
  
  こんなに時間が煩雑に持て余されてしまうなら、せめて時間を空白にしてしまうのではなく、力づくでも自分にとって得られる何かを探したい。そう直感的に思って、ちょうどこの連休に入る2日ほど前に、この春からほぼ同じタイミングで名古屋から関東に上京した私の弟的存在こと、ぺーた氏を旅に誘うことにした。
  目的地は、新潟の沼垂にある「カフェ明星」へ。


  1日、朝8時45分頃に改札で待ち合わせをして切符を買おうとするも、私の財布の中には新潟までの往復切符を買う額がギリギリ入っておらず、隣のぺーた氏に頭を下げて少し助けてもらった。すっからかんになった札入れにいくらか補填するために、今度はATM探しが始まった。一方で、9時12分発の特急ときの指定席の切符を買ったがために、乗車までのカウントダウンも静かに始まっていた。複雑に入り組む東京駅構内をRPGのダンジョンみたく彷徨い続け、
「時間が無ェ!!」
と叫びながら、目的のATMまで八重洲口の構内を一直線にバタバタと駆け抜けた。1人で慌てるならまだしも、今回は同伴者も居るために内心申し訳ないと頭を抱えていたが、走っている時にぺーた氏はニコニコしながら「楽しい〜」と言ってくれた。(この先の旅路でぺーた氏のスマイル0円対応には何度も助けられた)
  現金を手に入れ、僅かな隙間時間に生茶のほうじ茶とお菓子をそれぞれ買って電車へ乗り込んだ。ふと車窓に目をやると、事前の予報では雨と言われていた空が厚い雲を纏いながらも五月晴れの青色を雲の隙間から覗かせていた。これまでのオフ会などで繰り広げてきた私自身の天気運にはつくづく救われてばかりだなと、マスクの下でふふんと得意げな顔になっていた。

(移動中にカバンに忍ばせていたルーズリーフに殴り書きした落書き)

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  新潟に到着して、電車の扉が開いた瞬間に吹き込んできた空気がひんやりしていた。都内を彷徨っている間は暑くて仕方なかったパーカーを、予め新潟は寒いであろうということを予想して羽織ってきて正解だった。改札を抜けてからお互いにスマホを開いて目的地の地図を開いた。駅から10〜15分程、しとしとと降る雨の日の空気を吸いながら歩いた。
  途中で狭い道に入った。
「こんなところに本当にあるのかなあ」
と、二人で顔を見合わせて恐る恐る曲がり角を覗き込んだ。見つめた先にツイッターやインスタグラムでよく見ていた、古民家の構えのお店が見えた。あれだ!と分かった瞬間、二人で身を隠していた電柱から緊張で足を踏み込めなくなった。

  カチコチの足をゆっくりと一歩ずつ店先へ動かしていくと、すぐそこに見覚えのある看板が立てかけられていた。いつもラジオで見かけるあのロゴだ。さっきまでの緊張から一変し、オタク特有のテンションの上がり方でスマホのカメラを即座に構えて写真をひたすら撮った。となりのトトロの、サツキとメイが「夢だけど、夢じゃなかった!」ってはしゃいでたあのシーンみたくぺーた氏と盛り上がっていたが途中でハッとなり、お店の前を通るだけが今回のミッションではないと一度冷静になった。浮かれた呼吸を整えてから、ぺーた氏に引き戸を開けてもらった。すっ、と息を吸った時にカフェ明星の空気も体に入り込んできた。古民家特有の温もりのある木材の香り、キッチンの向こう側から香る明星カレーのスパイスたち、戸を開けた時に迷い込んできた雨の日の沼垂の香り。
「これが、カフェ明星…」
それらの空気から分かるこのカフェの大きな存在感に2人で玄関先で数秒程固まり、我に返って顔を見合わせたところで靴を脱いでいそいそと座敷に上がることにした。

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 カフェ明星のツイッターで事前に今週のカレーを調べていた。この時にお邪魔した時に迎えてくれたのは、
・きのこのバターチキンカレー
・にらのポークキーマ
この2種類のカレーだった。お互いにどっちを食べようかとほんの一瞬だけ言葉を交わしたが、私自身の食欲が勝ってしまって、「ごめん」と一言挟んでぺーた氏にバターチキンカレーが食べたいということを伝えた。ぺーた氏は快諾してくれた後、ポークキーマを頼んでいた。食後のケーキセットも忘れることなく、すいすいとオーダーを済ませていく。
会計台の向こうのキッチン。ご飯を盛り付け、次にカレーを注いで、付け合せを添えて、黙々とプレートを飾っていくあかるいさんが本当に私のすぐ目と鼻の先に居る、という夢のようなふわふわとした景色にぼーっと見惚れながら会計を済ませ、広い座敷に座ってまたぺーた氏と夢見心地になっていた。
  思っていたより早くにカレーが到着した。しかも運んできてくれたのは、あかるいさんご本人だった。第一声に「ロベルタさんですよね?」と声をかけられて絵に書いたような驚き方をしてしまった私だが、ぺーた氏も名前を伝えるなり、イラストをいつも見ていると間髪入れずに言われたことに全く同じ驚き方をしていた。緊張と喜びとで冷や汗とは言い難い何かが背中をゆっくりと滑り落ちた感覚がした。それからは、いつもインスタグラムやツイッターで見かけていたあのカレーを一口ずつ味わって食べた。一噛みする度に奥歯の方から口いっぱいに広がる明星スパイスの香りが、たまらなく好きになった。

  食べ切ってしまうのはとても惜しいという気持ちを押し込んで、食後のケーキを「夜明け前」という明星ブレンドのホットコーヒーと一緒に堪能した。カップを持ち上げた時、表面に金色の線で描かれた明星印の星マークが天井の照明に照らされてきらっと光った。小さくてもくっきりと存在感を示すこの輝きもまた、彼女の誇りの一部なのだろうなと感じた。
カウンターの向こうからあかるいさんが再びやってきた。ぺーた氏の方を向いて、彼の描く絵について話を始めた。実は母とぺーた氏の絵を見てすごいと言ってる、これからも楽しみにしているといった、ファンの声のような会話だった。自称姉として弟がこうして目の前で褒められるのは素直に嬉しかったし、内心鼻が高くなったような気持ちにさえなった。喜ぶぺーた氏の表情と、一方でにこやかに話をするあかるいさんの表情を見て、私も自然と顔の筋肉が綻んでいくのが分かった、

でもなぜだろうか、その綻んでいく表情の裏で厚い雲のようなものが内側でみるみる広がっていく感覚も同時に感じた。
彼にとって誇れるものは絵、それから彼女にとって誇れるものはこのお店。私には一体何があるだろうか。創作関係をやっている人が周りから「誰からも認めてもらえない」と言って心が萎れていくような感覚は誰しも味わったことがあると思う。私も過去に幾度となくそのような気持ちを感じてはどこかのタイミングで正気を取り戻してきたが、心が陰りゆく速さが今回ほど速かったことがあっただろうかと自分でも驚くほど戸惑っていた。

以前投稿した「ルシファーをめざして」にて、カフェ明星を通して見えたあかるいさんという人間と、あかるいさんの目指すもの等について思想で強烈に殴られたとまとめた。それに重ねて、ぺーた氏が心に持っているものの質量、私にははっきり見えないけれど確かに彼の中にある大切なものの存在にも気づいた。だがいざ自分に目をやった瞬間、そこには空洞しかなかった。次第にそれが静かに痛みを伴って心に亀裂を走らせていった。
「そうか、私には誇れるものもなければ、人に認めてもらえるものもないのか」
紙で指先を切った時のような地味な痛みが胸の奥で疼いていた。

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心はしばらく疼いていたが、3人で創作に関する会話を続けているうちに自然とその痛みは和らいでいった。言葉を交わしていく中で、あかるいさんの度量の広さに度々救われていた場面があったように感じた。今でも思うが、彼女の主軸である「あなたがたいせつ」という思想は、会話のどこを切り取ってもちゃんと表れていた。自分の想いを余すことなく丸ごと相手に丁寧に伝えられるのは、彼女の人となりでもあり、才能なのであろう。私は彼女のことを心底羨ましく思った。

  話したいこと、知りたいことはまだまだ山ほどあったが、名残惜しくもこのカフェにまた帰ってくることを決意して店を後にした。ぺーた氏と鳥の子色に染まった沼垂の街をしばらく眺めてまわり、途中で見舞われた狐の嫁入りの時には私の傘にぺーた氏を入れて並び歩いた。ふと傘と空の隙間に見えた夕陽に目をやった。さっき店を出た時はプラスな気持ちでいたが、拭いきれなかった雲はまた少しずつ根を張っていた。
  あったはずの目標に霧がかかってしまっただけだろう。そう思っていたが、見えなくなった目標ってそもそもなんだったっけとなりかけていたのも、私にとっては背けがたい事実だった。今日の会話で得た人の思想から学べることは必ずあるはずだ。どこかで焦る自分を宥めるように心の中で繰り返し唱えた。

遠くに見遣るその光の指す方向に、どうかこの気持ちの脱出口がありますようにと小さく祈った。

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