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切抜9.5『メールデトワール(後編)』

(「切抜」シリーズは、今胸の内にあるモヤモヤを言葉に乗せてまとめる、いわば心の整理をするための雑記帳というもので読んでいただければと思います)


  GWは光の速さで過ぎ去った。
3度目の緊急事態宣言の真っ只中というのに、私の住む街の最寄り駅は連休ということもあって人でごったがえっていた。素顔を晒して彷徨く人々、真昼間からロングの缶チューハイを片手に駅前の広場や路地裏で仲間と大声で語らう人々、日が落ちかかるとその人口は更に増え、道行く人達の目も一切気にせず薄紫の日暮れの空を背景にフェンスに寄りかかって熱いキスをするカップルども、宣言とは名ばかりで現実はそれらに抗うように街を跋扈する人達がウンザリするほど溢れた。連休が明けたあとの5月11日に宣言が解かれた。それと同時に週明け週末の電車の人口密度が膨れ上がり、普段から生ぬるく鬱々とした通勤電車が余計に苦手になった。

 先日の新潟弾丸旅行の時に感じたあのモヤモヤはきっと時間が経てば解消されるだろうと思っていたが、5月下旬になってもその気持ちが晴れることはなかった。もっと言ってしまえば、その気持ちが足枷になってしまい、週明けと週末の稽古に若干の支障にすらなっていた。その上、仕事でのストレスも背中に伸しかかるようになっていた。私が意志を持って動きたいと思う方向に動けず、行く手をあらゆる感情に塞がれているこの状況を、その辺にある在り来りな言葉でとりあえず「スランプ」と呼ぶことにした。

  本当に月末の金曜日、稽古が終わって半ば放心状態気味になっていたところを見かねた学友が声をかけてくれた。クラス委員長的な役割である彼は、私がふと顔を上げた時にそれは大層心配そうな表情を浮かべていた。
「大丈夫、ありがとう」と、申し訳ないと思う気持ちが混ざった言葉を渡して稽古場を後にした。
  夜中の湿気った新代田の空気が息を吸うごとにマスクの中に入り込んでくる。日頃から歩きやすいようにと履いているニューバランスのスニーカーがいつにも増して重たく感じた。呼吸をする度に、この夜の暗さが私を飲み込もうとするかのように胸の内側がじわりじわりと重たくなっていく。飲まれてたまるか、と黙って歯を食いしばるも、まとわりついてくる湿度と暗がりが私をみるみる闇へと引きずっていく。そんな時になぜこう思ってしまったのかは今も分からないが、

「じゃあいっそ思い切って逃げてやる」

そう思って、翌日土曜日の昼間にいつかアニメの聖地巡礼で向かおうと思っていた「江ノ島」へ旅に出た。

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  うちの最寄り駅から片道およそ1時間ほど、電車1本で目的地にあっという間に辿りついた。小田急線の車窓から見える初夏の景色は眺めていてなんだかワクワクした。個人的に未だに視界に入っては「わぁ」と声が漏れそうになるくらい感動する景色が、登戸駅に差し掛かる時の多摩川の景色だ。その日は生憎薄雲が空一面を覆うような天気だったが、それも車窓というキャンバスいっぱいに広がる1枚の絵のように美しかった。これから心待ちにしていた江ノ島に向かうというのに、今既にこんなに胸が高鳴ってしまって大丈夫なのだろうかと、マスクの内側で嬉しい不安にひとりでニヤついてしまった。
 藤沢駅での乗り換えもそつなくこなし、目的地「片瀬江ノ島」に到着。楽しみを抑えきれず降車してから少し小走りで改札を抜けると、梅雨前の湿気った空気に乗って海の潮風の香りが私を迎えてくれた。故郷で何度も嗅いだことのある、なんとも懐かしい香りだった。それから東京ではなかなか目にかかれない開けた空にも、いつぶりだろうかと思うくらい解放的な心地になった。

(「着いた!」っていう喜びが止まらないまま何も構図とか考えずに撮った、江ノ島初上陸時の写真)

 念願の聖地に足を踏みれたことがたまらなく嬉しかった。アニメの聖地巡礼はいつだって楽しいんだということを思い出して、溢れる気持ちを歩みに変えて徐に江ノ島へ向かった。 

(気づけばおおよそ10年前くらいにノイタミナより放送されていた『つり球』という、江ノ島が舞台のアニメの聖地。キービジュアルの場所がまさにこの写真の場所)

 江島神社に入るところもアニメの聖地、弁天橋のところだって聖地、なんなら片瀬江ノ島駅のあの竜宮城の門みたいなのも聖地、どこもかしこも聖地なのだと思うととにかく楽しくてたまらなかった。そんな楽しさにまみれて、昨晩まで抱えていた暗闇がどこかに埋もれてしまった。
 自分一人のペースで島内を歩き、江島神社内の邊津宮、中津宮をそれぞれ回った。聞くところによると前者が芸能の神様、後者が縁結びの神様がいるとか。何の縁なのか、ちょうど悩んでいたことがほぼその2つに関わることだったので、その時はしっかりと思いを込めて拝んだ。

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 江島神社を出たあと、次は北鎌倉に向かおうとした。前の日の仕事の帰り際に職場の人に、
「せっかく江ノ島方面に行くなら北鎌倉も行くといいよ。オシャレなカフェ沢山あるし!」
と教えられ、それならと思いGoogleマップを開くなり、特にどこかの場所にピンを刺すでもなく、気の向くままざっくりとした目的地を目指して歩いた。
 歩いていると、写真や動画で見たことのあった江ノ電を見かけたり、モノレール、神社、おそらくその地域で馴染みのある煎餅屋さんなど、どれもが真新しく感じたり懐かしく感じたりした。その時の自分が一体どんな表情をしていたかなんて周りの誰も知らないだろうが、知らない街を歩いている間はまるで冒険者のようにずっとドキドキしながら目を見開いて輝かせていた。

 歩いているうちに急に我に返った。そうだ、私は今どこを歩いているのか、目的地までそういえばあとどのくらいだろうと思い立ち、今一度Googleマップを開いた。そもそも土地勘がないのだから本来ならしっかりと下調べをして向かえばいいものの、歩いていればきっと辿り着けるだろうという私の楽観的な考えがこの時は大きく外れることになった。私が居た場所はおよそ西鎌倉。北鎌倉までは江ノ電を使わなければ辿り着けない距離であることをマップを開いて知った。スマホ画面の右上の時間に目をやると、日が程よく沈みかけている16時前を示していた。こんな時間から北鎌倉まで目指すのはな…と、みるみる足が重たくなっていった。それならせめてこの辺りで良い感じのカフェはないだろうかと思い、スマホを両手で握りバタバタと検索をかけてみた。 
 検索に引っかかった店が何店舗か上がってきた。その一番上に現在位置から徒歩数分と上がってきた店のシャチパフェの写真がまず目に飛び込んできた。

 パッと見、不思議な店の名前だと思った。名前の由来がちっとも想像出来なかったが、ここに行けばきっと何か良い事があるかもしれないと、小さな期待を膨らませて向かった。

 「腰越」という町の、歩道と呼ぶにはあまりに細すぎる道をマップ通りに進み、残り数メートルとなったところで辺りを見回した。それらしい店が見つからない…。このご時世だし、もしかしたら休業をしているのか、或いは既にたたんでしまったのかもしれないと不安がうっすらと込み上げてきた。軽くこの場所で迷子になって、頼みの綱として目指したカフェが閉まっているとなったら溜まったもんじゃない。そう思った瞬間、そのカフェの青いトラフザメの看板が視界に映った。やっと見つけたその店まで駆け足で向かったが、それは私が想像していたよりも遥かに小さな店だった。かろうじてカフェは開いていたが、お客さんらしき声が店内から全く聞こえなかった。これこそ時世を鑑みてテイクアウトのみにしているのではと思った。ひとまず、店の入口横にある手作りのメニュー表を見て、どのドリンクを持って帰ろうか悩んだ。が、慣れない土地を歩き回っていたせいか、少しくたびれてしまった足をどうしても休ませたいという気持ちがチラついてしまって、申し訳なさ半分で勇気を出して店内へ顔を覗き込んだ。

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 店主と目が合った。
「いらっしゃいませ、お好きな席にどうぞ!」
 マスク越しからでも分かるくらいの眩しい笑顔で店主は迎えてくれた。八の字眉に、ニコッとして綺麗な弧を描いた二重の目が印象的だった。情けなくも、一瞬で店主のその笑顔に釘付けになってしまった。
 入ってすぐ右側にあった小さなボックス席に腰を掛けた。店内を見渡すと、辺り一面海の生き物が描かれたパネルや小物、ポストカードなどが飾られていた。そういえばさっきGoogleマップで検索をした時に、「海の生き物がたくさんいて可愛いお店」という感じの書き込みがあったなということを思い出した。このカフェは所謂コンセプトカフェという店だった。
 時間も限られていたので、気になっていた「マンデリン」と「コーヒープリン」をすぐに注文した。

(かわいい。)
 
 想像していた何倍も可愛かった。あまり深く書き込みすぎるとグルメ記録に脱線してしまうので割愛するが、店主ひとりで仕込んだとは思えないくらいプリンは丁寧に作られていてとても美味しかった。それに途中でコーヒーの苦味を足すことができるように、コーヒー豆をすり潰したものも添えて提供してくれた。なんて丁寧に作り込まれたやさしいプリンなんだろうと感動した。
 黙々とプリンを味わっていると、地元の常連さんと思しき老夫婦が入店してきた。カウンター席から店主に気さくに話しかけ、コーヒーを啜りながら町の話や健康状態について語っていた。目の前の3人が楽しく会話をしているのを聞きながらマンデリンを啜った。窓の外に目をやった時に、川を跨いだ向こう側にある家の屋根に群がっていた鳩が見えた。この小さな空間から鳥の子色に照らされた空と鳩の群れをボーッと眺めている時間が、それはとても穏やかで落ち着いていられた。

「なんて居心地のいい空間なんだろう」

ほんの少しだけぬるくなったマンデリンを啜った。舌に乗ったブラックコーヒー特有の苦味が鼻の奥へ、まるくフルーティな香りとなって抜けていった。

 その場所の空気に触れて、空間を視て、音を聞いて、味わって、香って、五感をフルに使ってこんなに癒されるなんて初めての体験だった。昼間に参拝してきた中津宮の縁結び効果が本当に叶ったんだとその時は信じた。

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  カウンター席の常連客が会計を済ませて店を出た。そろそろ閉店の時間だよなと思い、私も続いて会計を店主にお願いした。今回は特に会話しなかったけど、次に来た時にこの店主と何かお話が出来たらいいなと心の中で呟き、外へ出ようとした瞬間、
「今日はどちらからいらっしゃったんですか?」
…話しかけられてしまった。素直に都内から来たということを話した。実は昨日店主も私の住まいの最寄り駅に立ち寄ったという話からそのまま少しだけ立ち話を続けた。関東に来てからまだ間もないということ、関東生活は慣れないということ、実は店主も関東に住んでたことがあった、など。続きはまた今度ということで途中で話をやんわりと切り上げ、ほくほくとした心地で満足気な顔をしながら海岸通りへ向かった。

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  空には青が戻っていた。太陽がてっぺんに昇っている時間に晴れていたら、この地の空はどれだけ美しく見えるだろうかということを考えながら帰り道を歩いた。今回の旅では得るものがあった気がした。

 悩んでいることと向き合うのは当然大事なことだが、根詰めすぎて心がダメになりそうだなと直感的に思った時は無理をするのではなく、思い切って知らない場所へ逃げてみるのはありなのかもしれない。私が元々悩んでいたことは解決されはしなかったが、悩みの枠を大きく捉えて解決の糸口を1つずつ見つけて、自分のペースで少しずつ答えを探していければきっと解決に繋がるはずだ。
 不安な気持ちに追いやられて急いで答えを出すとかえって失敗してしまうから、悩んでいる時こそ落ち着いて深呼吸して、「大丈夫」と言えるようになってから答えを導き出せたら良いのかなと。
 それに、初めて会う人や物と触れることで、それらを通して自分の今の状態を見ることも出来た。自分自身に対して「どうして」と問い続けても分からないことは一生分からない。かと言って私を知っている人にその答えを聞いたとしても、一度関わっている以上自分が本当に求めている答えではない、「大変だね」「大丈夫だよ」といった慰めの言葉が返ってくることに違いない。それならいっそ私を知らない景色や人達と出逢えば、私が知らないそれらと出逢えば、求めている答えに近い何かが見つかるかもしれない。私は江ノ島の地に降りて、自分がどれだけ事を急ぎすぎているのかということに気づけた。江ノ島は私に、「もう少し落ち着いて生きていい」ということを教えてくれた。だから、今の私に何も無いと思うならこれから見つけていけばいいと。打ち立てていた目標が見えなくなってしまったならまたもう一度立て直せばいい。今は人の言葉を借りて過ごしていても、いつか自分の中でハッキリとした答えを出せるようになれたらいい。 
 そのくらいマイペースに生きていいということを、この地は教えてくれた。

 江ノ島での時間で、自分のことを少しだけ俯瞰して見ることができるようになれたことが素直に嬉しかった。
 この日は昼〜夕方までの時間しか滞在しなかったので、もっとこの町のことを知りたい、そしてあのカフェの店主と言葉を交わしてみたいという気持ちが夕陽の中で湧き上がってきた。いつもなら明日からまたあの日常に戻ると思っただけで絶望的な心地になるが、そんな楽しみたちを目標としてまず立ててみると、心做しか足取りが軽くなった気がした。

 カフェを退店する時に店内のスピーカーから流れてきた、Doja Catの"Say So"が頭の中にふと流れてきた。帰りの快速急行の中で、その曲を子守唄代わりに一眠りすることにした。

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