学校とかスクールシューティングとか

ニューオリンズに住んでいたときに少し治安の悪い地域から、治安が比較的良いチャータースクールに息子を通わせていた友人が言った。「子供はみんな良い子たちなんだよ。」 でも歳を重ねると周りの大人たちが抱えるドラッグの問題に巻き込まれる子供たちがいるんだと友人は私に説明した。ドラッグ関連の話にはギャングが関わって来るので拳銃の心配も出てくる。自分の息子をそこから出来るだけ遠ざけたいと言う。

私たち家族がこのダウンサウスに越して一年弱。去年の今頃私たちはインターネットで家を探し、不動産屋とバーチャルツアーを繰り返し、この家を購入した。私たちの初めての「マイホーム」というやつだったんだけれど、今までの引っ越しの際に賃貸で探した時と同じ一番大事なポイントは「良い公立学校がある」ことである。運転しない私にとって徒歩で行けたら尚良い。学校のイベントは逃したくない。

引っ越して間もなく5年生の娘に友人(M)が出来た。「今日学校でMちゃんとね…」という会話が多くなる。学校で不定期で「Lunch with someone you love」という子ども達とランチを食べるイベントがあるんだけれど、出席するといつも娘の近くに座っていて(家族は来ていない)、スクールランチに手をつけていないので、どうしたの?と聞くと「スクールランチ美味しくないの。いいなあ、◯◯(我が娘)はお母さんが毎日ランチを作ってくれて。」と言われたのを覚えている。物静かでシャイな印象を受けた。

そんな娘の「今日のMちゃん報告」が次第に「今日Mちゃんが話していたんだけど、お母さんに暴力を振るわれて腕に痣が出来たから、当分半袖は着れないって言ってた。」とか「自分は両親に愛されていないから、お金持ちの知り合いのおじいさんの家に養女に出されるんだって言ってた。」と本当か作り話なのかわからないけれど、どちらにせよスクールカウンセラーや児童福祉なりプロの人が一度Mと話をすべきではという話に変わって来た。Mを心配した娘は担任の先生にその話をして、「友達を思って勇気を出して話しに来てくれてありがとう」と先生に言われたよと事後報告があったものの、学校に慣れ他に友人達を作り始めた娘の口からMの話を聞くことが少なくなった。

先月アフタースクールのバレンタインのダンスパーティーがあった。「ある人からダンスパーティーにデートに誘われたの。でも私他の友達ともう約束したから断ったんだ。」「あらデートに誘った子って、ママ知ってる子?」って聞いたら「うん、Mちゃん。」「それはデートじゃなくて友達として行きたいって意味? Mちゃんも他の友達もみんなで行ったら?」と聞いたら、「ううん。私のことが恋愛対象として好きだから二人だけで行きたいって。でその事を私に書いた手紙が男の子達に見つかってみんなの前で「Mって女の子好きなの?」ってからかわれたの。でMちゃん恥ずかしいからパーティーに来ないって。」
なんて残酷な世界なんだろう。

その後娘から「Mちゃんが他の子を叩いた。」とか「MちゃんがNワード使った。」とか時々話を聞く。ランチの時に恥ずかしそうにしていた彼女の印象からちょっと想像出来ない気性の話ばかりだ。

先日ナシュビルでまたスクールシューティングのニュースがあった。子供を学校に出すとき毎朝「今日1日子ども達にとって楽しい1日になりますように。」と願う親としてこれほど怖いニュースはない。私は専門家ではないし、ましてやアメリカ国民でもないので、アメリカ社会での拳銃のあるべき形みたいな話をするつもりはないんだけれど、世の中に助けが必要な人たちが存在する。パンデミック、ジョージフロイド氏のニュース以後アメリカでは銃の購入数が増える一方だと先日ニュースで見た。右派の「拳銃が人を殺すのではなく、メンタルを病んだ人が人を殺す。」という主張に同意するけれど、助けが必要な人たちが助けではなく、簡単に拳銃に手を伸ばせる社会に生きることがどんなに危うく恐ろしいことか。ただただ胸が痛い。

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