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驚きの戦後ニッポン ~戦後ゼロ年 東京ブラックホールを読んでみた~

戦後ゼロ年 東京ブラックホール 貴志謙介
戦後1年間の東京にフォーカスした本書。
驚きの連続でした。
今回はそれら驚愕の事実を紹介したいと思います。

驚愕その1 生き延びるためにはヤミ市だ!

経済統制を無視して公然と食料品等の取引を行う露天商いわゆるヤミ市。
戦後ゼロ年、東京都内には76,000もの露店出店者がいた。
復員兵、引揚者、戦争未亡人、浮浪児、テキヤ、愚連隊、ヤクザ……。
渋谷・新宿・池袋・上野・秋葉原など利用者は毎日のべ300万人。
焼け跡には何も食べるものがない。配給に頼ることもできない。
でもヤミ市には食糧がたくさん。
芋、豆、ごった煮、雑炊、粗悪な密造酒などが並ぶ一角に群衆はひしめきあった。
人々が生き延びるため非合法で生まれたフリーマーケットが廃墟東京の中心だった。

驚愕その2 残飯シチュー!?

ヤミ市最大のごちそうは占領軍の残飯シチュー1杯10円。
占領軍の兵舎から出た大量の残飯をドラム缶でどろどろに煮たもの。
ときに犬や猫!?の肉が混ざっていることも。
でも運がよければステーキやローストチキンにありつける。
ただし残飯だけにツーンとすえた匂いが鼻に抜けた。
タバコの吸い殻やコンドームが入っていたなんて話も……。
庶民の貴重なたんぱく源だった。

驚愕その3 卑しい軍人・官僚・政治家たち

東京湾から大量の金塊が東京湾から発見される。
ポツダム宣言受諾後、占領軍の上陸前に隠匿する目的で湾に沈めたのだ。
その価値なんと20億ドル…
もとは本土決戦のために国民から搾り取った税金なのに!

他にもプールされていた軍需物資は関係者に山分けされた。
事の発端は鈴木貫太郎(敗戦時首相)から発せられた通達。
「米軍に差し押さえられる前に軍需物資放出だー」
でもお裾分けに預かれたのは一部の特権階級やエリートのみ。

さらに占領軍上陸前に当通達は取り消し、経理関係・契約関係書類は焼却して隠ぺい。
日本中の軍関係施設で大きな煙が舞い上がっていたそうな…

驚愕その4 あの人がヤミ成金!?

食べるものも家もない、すべてが破綻した世界。
でもヤミでは莫大な富を手にする者もいた。
いわゆるヤミ成金である。

例えば…
日本マクドナルド創業者・藤田田。
東京大学法学部在学中から占領軍の通訳アルバイトで大金を稼いでいた藤田。
普通の学生アルバイトが月300円の時代に稼ぎは月1万円。
後に米軍の配給物資を日本人のヤミ屋へ売るブローカー業を始めた。

2人目は…
ロッテ創業者 重光武雄。
廃油をヤミ市で入手し、石鹸、ポマードに加工して商売を開始。
進駐軍に群がりお菓子をねだる子供を見たことにヒントを得て、ガムやチョコレートの製造販売を開始。
そして日韓にまたがる巨大財閥を一代で築く。

驚愕その5 総理大臣経験者が新興宗教の開祖に!?

戦後は新しい神様が続々登場。
敗戦から1年で約600の新興宗教が誕生した。
新宗教ブームである。
宗教法人が享受できる優遇税制の恩恵を受け大儲けする団体も。

そんな中、皇族出身の東久邇宮元首相が新興宗教「ひがしくに教」を設立し、教祖となる。
元皇族が宗教団体を興すことを問題視され、宗教法人としての認可を受けられず消滅。


混乱の中を必死で生きた人たちがいた。
生き延びた彼らのおかげで自分がいる。

混乱の中醜態をさらす人たちがいた。
目を覆いたくなる愚行の数々。

戦後ゼロ年、貧困・混沌・破綻。
でも確かに今と地続の歴史なのだ。
以上です。


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