クロアチア
ホテルバーバラへの道
日本からドバイを経由してクロアチアに着いたのは、日本を出発してからおよそ22時間後だった。
身体中が悲鳴をあげるような激しい筋肉痛に襲われ、時差によって頭の中で鐘が鳴り響いてるような耳鳴りがあった。
この行程で何が一番辛かったかって、やっぱりドバイに5時間程滞在したことだと思う。
まず乗り継ぎが難しく、電子掲示板に自分の乗る飛行機が表示されない。9:00出発なのにその欄に自分の乗る飛行機がない時、人はどれほど不安になるかわかりますか?
さらに不運にもドバイ空港に着いたのが明け方3:40で勿論航空会社のカウンターも閉まっているし、その辺を歩いてるだろう係りの人も見分けがつかない。
一体どの人が観光客でどの人が声をかけてはいけない人でどの人がまともに案内をしてくれる人なのだろうか。そう、”まともに案内してくれる人”。これこそが重要なポイントなのだ。私はドバイ空港に携わっているだろう人、数名に声をかけてクロアチアに行きたいこと、ドバイ航空に乗り継ぎたいこと、を伝えて、聞いた全ての人が案内をしてくれる。あたかもこれが正答のように。
空港の中で電車にも乗りました。バスにも乗りました。そして往復して帰ってくる。
こんなことならもっときちんと調べておけばよかった。
wifiも途切れるし、なんてことだ。しかしまだ5時間あるというのがかなりの救いでなんとかバスに乗って移動することができた。
やっと自分のいるべきターミナルを発見し、ひとまず安堵。
暇だったのと時差もあり、空港に売っていた油ぎっとりドーナッツを食べ、就寝することに決めた。
硬い椅子に頑張って横たわり、眠ろうとするのだが、何せ椅子が硬い。周りにいる人が実はみんな怪しい集団の一味なのではないかと思うほど神経も衰弱しており、今思い返すとかなり過酷な状態に感じる。
さらにドバイからクロアチアにいく飛行機では椅子の前に着いてるテレビが壊れており、かなりの熱も発してたのだからがっかりした気持ちになった。
隣に座ってきた白人が大きい身体を無理やりエコノミーのシートに押し込み、「全くテレビも壊れて、なんて最悪な飛行機なんだ」といった顔で眠りにつこうとしていた。
とにかくこれから23日間の旅が始まるのか、と考えるとあの時はぞっとしたのを覚えている。
クロアチアではまずホテルのチェックインを済ませることにした。
激しい乗り物酔いに耐えながらバスにのり、ホテルがあるであろう近辺で降りた。
この旅ではグーグルマップに大変お世話になることになる。何せどの国のバスも、もちろん電子案内板はないし、停車駅も英語では言わず、むしろ停車駅を言わないのが当たり前になっているバスも9割ほどだった。
なかなか不便な中でみんな過ごしているんだなと感嘆したほどだが、これでひどい目に後々あうのである。
とりあえずグーグルマップで目的地にピンでも刺しておけば、この辺りだと思った時にブザーを鳴らして降りることができる。
だがクロアチアをなめていた。何せ崖になっており、この辺だろ、と思ってからがとてもとてもとっても歩くのだ。そしてボロボロの身体に鞭を打って、軽い傾斜を10分ほど登ってから長い長いとてつもなく長い階段を登り始める。
階段を登っているとふと不安になったりする。はて、たくさんの階段を見たけど、私が登るべき階段はこれであってるのだろうか。
しかしいくら登っても目的地にたどり着かない。(30分近く歩いた気がします)
こっちの太陽は日本よりも痛いのではないか。どちらにせよ、私は紫外線アレルギーだから諦めるほかないのだが。
よくこんな崖の上でホテルの商売も成り立つものだな、と嫌味を持ちながら50リットルのバックパックと小さいリュックを抱え、階段を登り続ける。
ああ、そろそろ階段の上だし、まさかの階段が行き止まりで、涙が流れてきたが、ここまで来たのだから登ってみようと思ったのが功を期した。
最終段10段手前ぐらいの右側にホテルがあった!
ついに来たのだ。これだけで大変な旅である。いつの間にか、自分がクロアチアにいることすら忘れていたし、ホテルバーバラに着くことだけが全ての目的のようになっていた。
ホテルバーバラ
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