四捨五入された4と1.2.3との間には分かり合えない感情があるはず【雑記】

自分の存在価値を他人に依存するのまじしょうもないね。冷たい人だと思われない為だけにつける「!」が可哀想で夜な夜な枕を濡らす。身に覚えのない小さめのアザができる不思議はきっと寝てる間に小人にリンチされてるから。甘やかされて良いのは甘えない人だけ。歌のサビで同じフレーズを繰り返す手法って定着するまでに絶対「結局それが言いたいだけでしょ笑」って馬鹿にされるフェーズがあったはずなのに、今や当たり前になってて凄い。大きな声で唱える「not for me」の精神の裏で、あなたの本心はいつも泣いているのに。シコシコするとかいう嘘の食感。その人を手に入れてもその人の持ってるものはあなたのものにはならない。やりたくない事の為につきたくない嘘をつくと心がすり減ってしまうので本当しか言わない。スマホの画面録画をインスタに載せる時に、最初と最後のホーム画面を編集でしっかり切り取る人だけが集められた村では犯罪がおこらないらしい。スカッとジャパンに採用された賞金で買った婚約指輪。幼稚園ぶりに不思議の国のアリスをみたら、シーンの展開が物凄く早い上に全ての事象に脈略が無くて薬物による幻覚みたいだった。「肌色のクレヨン」の可能性はいかほどか。







ノンフィクションの感動話に対して使われる「泣ける」みたいな言い回しに物凄い嫌悪感があります。その人の人生はその人だけのものなのに、「泣ける」という言葉を使うことで、主人公の座を奪おうとしている感じ。苦しいことも悲しいことも乗り越えてきたのはその人なのに、上澄みだけ掬って気持ちよくなろうとするエゴイズムに対して、他人の人生を己のカタルシスとして消耗品みたいにパッパと消費しようとする事に対して腹が立ちます。そして、その無神経さが羨ましくもなります。







「私のめちゃくちゃ大嫌いな人も、別の誰かにとってはとても大切な人」みたいな感覚が未だに不思議でしょうがない。地球上で一番最初の雨粒。四捨五入された4と1.2.3との間には分かり合えない感情があるはず。勘の良い人なら察せるけれど、相手の理解度を信用してないからめちゃくちゃ説明臭いボケをしてしまうみたいな事がよくある。別にそうでも無い場面で「ごめんなさい私のせいで…」みたいに責任を背負おうとする人、一見とても優しい人の様だけど、事が上手くいくかいかないかは自分が左右していているという傲慢さを感じてあまり好きじゃない。春の匂いは分かりにくい。人からハンカチを借りた時に、なんなら顔の油まで拭いて返したら貸しがいがあっておもしろい。犬は存在しているだけで可愛いのに、歩いたり座ったりするから凄い。いい匂いの男子高校生の裏には、いい匂いのお母さんが存在するという事実。人を嫌うことすら1人で出来ない人。







良い歌詞とか名言って言われてるものって多くが軽妙な言葉遊びとして味わうべきもので本質では無いのに、それを混同してる人が多い気がします。例えばよく知られている名言で言うと「辛いに一本足したら、幸せになる」というものがあるけど、これは文字の形状から着想を得た言葉遊びであって「辛い状況と幸せな事は紙一重だ」みたいな解釈はどこまでいっても漢字有りきの解釈でしかなくて、それを本質と捉えるのはあまりに都合が良すぎると思ってしまいます。




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