教室に充満する塩素の匂いと普段あまり喋らない子の音読【雑記】

言わなかった事と言えなかった事。デスゲームで一番最初に死ぬ「イヤな奴」はそれでも主人公を生かした1人なのに。観葉植物が窓辺から眺める雑草は、下品か自由か。あなたにしか伝わらないモノマネは愛だと思う。クロノスタシスが錯覚であるという錯覚。嘘をつく時の指先の冷たさと震え。家中の電気をワンオペで発電しているハムスターと影からそれを見守る私。落とし穴に落ちたファーストペンギン。熱い飲み物の記憶と母親との相関性。「そんなことないよ~!」待ちの長蛇の列が、道路付近にまではみ出している街の湿度は高い。黄金比は判定する人のさじ加減だと思う。別に破っても良いとされるルールを必死に考えた人。雨の日には頑張らなくても許される雰囲気がある。教室に充満する塩素の匂いと普段あまり喋らない子の音読。自分以外の誰かが肯定してくれないとモノの価値を確認できない人々。









「金魚すくいの金魚が私達ニンゲンだったとしたら」を考えます。圧倒的に高次元の存在に追い回され、捕まえられる恐怖や絶望感について。あるいはそういうものとして既に諦め受け入れられているのでしょうか。風邪をひく事を特に何とも思わないように。私達が捕まえられる日は大抵とても暑い日です。日が落ちても普段より騒がしく、油や砂糖の臭いにむせ返ります。高次元のソレはどこか浮き足立っているようで、聞こえてくる声も耳障りで嘘くさいと思います。小さな箱の中でいくら必死になって逃げても無駄で、捕まえられなかったとしても1人は"プレゼント"。ソレの世界では優しさです。私達はこうして優しさに殺されます。これは、だから金魚すくいはダメだとかやめようとか、そういう事を示唆している訳では無いです。ただ、仮定を考えてみただけ。











ルンバにもたまには高級なものを食べさせてあげたい。上辺で会話をする時の自分が2つに割れてしまうような感覚は、起きてすぐ夢を思い出す時に似ている。踏み絵に自分の顔写真を使えるセルフ・エスティームの高まった世界。数字という概念が無かったら、あらゆる価値は個人に依存したままだったのか。7歳の思い出と公園、夕方5時の胸のざわつき。覚えているはずのないホクロの位置。「分かってあげたい」に感じる気持ち悪さと「分かって欲しい」に感じる気持ち悪さは種類が違う。シラスの布団で眠る小さいエビ。男だとか女だとかではなく"私とあなただから"決して分かり合えない事がある。蝉の声に消された告白。人のプレゼントを選ぶ時にだけ出る脳の快楽物質。守らなくても良いと思ってした約束。










Twitterでこんな文章を見かけました。

例えば疲れたとき、その状態を「疲れた」と言葉にすることをやめてみる。誰かを好きになったとき、「好き」と思うことをやめてみる。
自分の状態を言葉で捉え返すことをやめてみて、そこで残るぼんやりした陰影、揺らぎを、もう一度そのまま感じて味わってみる。

これめちゃくちゃ凄くないですか。あらゆる気持ちは既存の言葉に当てはめようとすると、そこに僅かに生まれる嘘があると思っていたのですが、これは良いかも。語彙力を増やすことって、使い方を間違えたら無駄に型を増やして自分を縛ることに繋がりかねないのかもしれない。そしてこれを文章にする矛盾について。






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