見出し画像

「ネオ・シティポップ」ってなんだ?

本文は、「ネオ・シティポップ学 ーウェブメディアにおける「シティ・ポップ」の語義の系譜」というタイトルで、2019年3月に卒業論文として執筆したものです。

「今流行りのシティ・ポップは昔流行った本来のシティ・ポップと全くの別物」という言説はよく耳にするものの、その変容の過程を詳述した文献ってあまり見ないな、という意識から執筆した論文です。

「シティ・ポップ」の語義の解釈を試みる論文です。

ジャンルの話は小難しいし純粋に音楽を楽しめないようでつまらんと思っていましたが、案外、小難しい話ばかりしてそうな識者らのほうがその意識を強く持っているというのが面白い気づきでした。(九龍ジョーさんらの「遊び疲れた朝に」を読んでの感想)

***

序章

「シティ・ポップ」と呼ばれる音楽が好きだ。Yogee New WavesにAwesome City Club、Shiggy Jr.等、枚挙に暇がないが、敢えて言語化するならば、これらのバンドの 煌びやかで様々な楽器の音が絡まり合う洒脱なサウンドは、東京で生まれ育った自分にとってちょうどいい、“ハマる”音楽だと感じるのだ。しかしその一方で、「シティ・ポップが好きだ」と公言することに対し、尻込みしてしまう自分がいることもまた確かだ。「シティ・ポップ」という語はどこかぼんやりとしていて、周囲のシティ・ポップ好きの中でもその解釈や好きなシティポップ・アーティストは異なるため、安易にその語を用いることは憚られるのだ。例えば、Googleの検索エンジンで「シティ・ポップ」と入力すると、上に挙げたバンドに加え、SuchmosやNulbarich、星野源、D.A.N.、Negiccoといったアーティストがシティ・ポップ・アーティストとして挙げられている。これらのアーティストが異なる音楽性、異なるリスナー層を有することは明らかである。

 また、この「シティ・ポップ」の多義性をさらに難解にするのがその時代性である。2010年代頃からしばしば耳にするようになった「シティ・ポップ」だが、このある種のブームは、7.80年代のシティ・ポップ・ブームのリバイバルとして語られることが多い。しかし、7.80年代のシティ・ポップと現在流行するそれは全く違う音楽性を持つように響く。このように時代も音楽性も異なるように思える音楽に同様のラベルが貼られたことで、「シティ・ポップ」は理解するにつけ、より難解なものになっているように思われる。

 そこで「シティ・ポップ」の語義の変遷をテーマに本稿を執筆する。ここでは、シティ・ポップを音楽的な視点から解釈するのではなく、あくまで「シティ・ポップ」という語の含有する意味を客観的な視点から解き明かしていく。

 第1章と第2章では、3つの代表的な音楽メディアを用いながら、「シティ・ポップ」という語がいかなる文脈において使用されてきたのかを辿ることで、「シティ・ポップ」という語の意味の解釈を試みる。ここでは、先にも言及した7.80年代シティ・ポップと現在のそれの関連や、「シティ・ポップ」という語の含有する意味が次第に広がっていく様子が明らかになるであろう。第3章では、震災とシティ・ポップをテーマに、2011年の東日本大震災を受けてシティ・ポップがどのように変化していったのかを、具体的なシティポップ・アーティストの作品と絡めながら検証する。ここでは、シティ=都市とポップミュージックがいかなる影響を及ぼし合っているのかのかが明らかになるであろう。

 2000年代後半頃から流行したシティ・ポップを70年代のそれと比して「ネオ・シティポップ」と呼称するとして、ネオ・シティポップが二つの比較軸、即ち、7.80年代シティ・ポップと、そして現在のシティ=都市といかなる関連を持つのかを解き明かしながら「シティ・ポップ」という語の持つ意味の変遷を系統付けるのが本稿の目指すべきところである。


第1章 2007年〜2011年

 本章と第2章では、2000年代以降の日本国内でのシティ・ポップ再興に伴い、「シティ・ポップ」という語がウェブメディアにおいていかなる文脈で使用されてきたのかを検証することで、「シティ・ポップ」という語の意味を解き明かす。その際に主に参照するのは、「rockinon.com」「音楽ナタリー」「CINRA.NET」という代表的な音楽情報メディアである。この3つのメディアには、2000年代後半から現在までにおよそ277のシティ・ポップ関連記事が登録されている。これらの記事を多角的に検証することで、2000年代後半以降、ウェブメディア上で「シティ・ポップ」という語がいつ、どのようなバンド/アーティストを指して使われ、また、彼らがどの時代のどのような音楽を参照し楽曲制作を行っていたのかを読み解いていく。

 「シティ・ポップ」とは元来、「70年代の日本で作られるようになった、都市で生きることを歌った新しい音楽」であり「米英のロックやソウルの当時の動きとも呼応して生まれた」音楽である。しかし2000年代後半からシティ・ポップが再流行して以来、この語は元来の意味を離れ、異なる音楽性を持つ楽曲ジャンルを示すものとして用いられているように感じられる。よって、70年代とは異なる意識で用いられるようになった「シティ・ポップ」という語の含有する意味の変遷を系統付けたい。

⑴カバー対象のシティ・ポップ(2007年〜2008年)

 先に挙げた音楽メディアで初めに「シティ・ポップ」という語が登場するのは2007年のことである。以降2年間に12のシティ・ポップ関連記事が掲載されているが、そのうちの半数が7.80年代シティ・ポップ楽曲のカバー作品に言及するものであることに注目したい。音楽ナタリーの記事は黒沢秀樹プロデュースによるトリビュートアルバム「サニー・ロック!」が発表されたことを受け、「ティンパンアレイ、杏里、荒井由実、南佳孝、大貫妙子、山下達郎、細野晴臣、吉田美奈子などといったシティポップスの名手による楽曲の数々をカバーしたアルバム」として当アルバムを紹介している。また、同年11月7日の同サイトの記事は、土岐麻子が山下達郎「土曜日の恋人」、大瀧詠一「夢で逢えたら」といった70年代シティ・ポップをカバーしたアルバムのリミックス版が発表されたことを受け、当アルバムを「70年代シティ・ポップスを中心に彼女の多彩な趣味が反映された」ものと評している。

 残り半数のオリジナル作品に言及する記事の中で興味深いのは、それらの作品の多くが70年代シティ・ポップとの関連の中で語られている点である。ビューティフルハミングバードのシングル作品は、「かつてのナイアガラ・サウンドに通ずる洗練されたシティポップ・チューンに挑戦」、流線形やオオタユキといったアーティストが参加した「日本のシティポップス・アーティストの音源を集めたコンピレーションアルバム」は、「古き良き日本を感じさせる珠玉の名曲集」(同上)と評されている。ここでいう「ナイアガラ・サウンド」とは、かつてナイアガラ・レーベルを主催した大瀧詠一独自のサウンドを示し、「古き良き日本」とは、良質なシティ・ポップが数多く生み出された7.80年代日本を示していると考えられる。

 加えて、上に挙げた記事の多くが「シティ・ポップス」という表現を用いていることに注目したい。「ポップ」ではなく「ポップス」という複数形を用いていることから、この表現はすでに音楽の一分野として確立された7.80年代シティ・ポップ群のことを示していると言えるのではないか。このことは、新聞記事上により顕著に表れている。読売新聞のデータベース「ヨミダス歴史館」には、シティ・ポップ関連の記事が33登録されている。そのうち12の記事は1987年から2001年に登録されたものであり、そこからやや間を空けて再び「シティ・ポップ」という語が見受けられるようになるのは2007年以降である。また、2001年以前に登録された記事の内ほぼ全ての記事が「シティ・ポップス」という表現を用いている一方で、2007年以降の記事はほとんどが「シティ・ポップ」という表現を用いていることが特徴的だ。

 以上から、当該時期に「シティ・ポップ」という語はウェブメディア上や新聞記事上において主に7.80年代のシティ・ポップ作品群そのもの、あるいはそれらを標榜するものを示して使用されていたことが読み取れる。

⑵ネオ・シティポップ元年(2009年)

 2009年に入ると、カバー作品を扱う記事はめっきりと減り、オリジナル作品を扱うものが急増する。1年前まではカバー作品に関する記事が半数を占めていたが、この年に登録された5記事のうち全てがオリジナル作品を扱うものであることが特徴的である。また、この年以降、現在に至るまで、カバー作品を扱う記事は全てのシティ・ポップ関連記事の1割にも満たない数しか掲載されていない。このことは、当該年にシティ・ポップが過去作品を“追随するもの”から独自性を織り交ぜながら“作り出すもの”へと変化しつつあったことを示すと言ってもいいだろう。rockingon.comによるYOMOYAのアルバム作品を扱う記事で当該バンドは「オルタナ・シティポップ4人組バンド」と表現されている。また、当該作品は彼らの公式サイトにより「日本語ロックのニュー・スタンダードとも言うべき、ゼロ年代型シティ・ポップの名盤」と謳われている。この年には他にもmetro tripが「スウィングジャズ、ボサノバ、ニューソウル、シティポップスなどさまざまなアプローチで楽曲を制作」するバンドと紹介されたり、流線形が「山下達郎や吉田美奈子、リオン・ウェア、スティーリー・ダンなどをルーツに持ち、センスあふれるアーバンテイストのサウンド」を持つアーティストとして紹介されている。以上の記述から、2009年に「シティ・ポップ」という語が70年代シティ・ポップスではなく、同時代の音楽を示す語として機能し始めたとも言えるであろう。またそのことから、当該年は多くのアーティストが1970年代のシティ・ポップスの影響を受けつつ、各々のルーツを織り交ぜながら独自のシティ・ポップ的サウンドの模索を始めた年であったことが読み取れる。

⑶輪郭を持たないシティ・ポップ(2010年〜2011年)

 この2年間においては11の記事が登録されている。以前と比べシティ・ポップ関連の記事の数自体にさほどの増減はないものの、その語の用いられ方には大きな違いが表れているように思われる。その違いには二つの特徴が見られる。一つ目に、「シティ・ポップ」という語を用いて語られるアーティストのジャンルの幅広さだ。怒髪天のライブレポート記事には、「シティポップ風味あふれる『風の中のメモリー』」が披露されたことが記されている他、Charaがゲスト出演したライブレポート記事において「リズミカルなピアノ・リフが印象的な“Rachel”では、シティ・ポップ調の曲をジャジーにスウィングさせ、バラエティに富んだアンサンブルでオーディエンスを沸かせていた」との記述が見られる。怒髪天はJAPANESE R&E(リズム&演歌)を標榜するバンドであり、Charaは「街」というよりも「一貫して『愛』をテーマに曲を創り、歌い続けている」女性アーティストである。

 二つ目に「シティ・ポップ」という語がアーティストの作風に対してではなく、アーティストの作品の中のとある一曲に対して使用されていることである。上で引用した怒髪天やCharaに関する記述において「シティ・ポップ」という語は、怒髪天やChara当人の作風や歌詞の中身に対してではなく、「風の中のメモリー」、「Rachel」の曲調に対して「調」「風味」といった単語を伴いながら形容詞的に作用している。他にも、Cro-Magnonのアルバム紹介記事には、「“Crystal Girl”は、さかいゆうがメロディーを担当し、土岐麻子を迎えたシティポップ調の本格ナンバーだ」、「さかいゆうがメロディを制作し土岐麻子がボーカルを担当したシティポップ調の「Crystal Girl」」との記述がある。ここでも「シティ・ポップ」という語は、「シティ」とも「ポップ」ともさほど関連を持たない文脈において曲調を示すものとして使われているように感じられる。曲調の中でも、「リズミカル」「ジャジー」といった言葉と並行し使用されていること、さかいゆう・土岐麻子という幅広い音楽的バックグラウンドを有する二人による作品であることに鑑みるに、どこか難解なリズムを持つ曲調を示すものとして「シティ・ポップ」という語は作用していると言える。

 以上の二つの指摘から、2009年頃から70年代シティ・ポップスの再現を止めた「シティ・ポップ」という語の定義は明確化されておらず、元来の語義を離れた「シティ・ポップ」という語は、歌詞やテーマに着目した「都市で生きることを歌った音楽」としての側面よりも、曲の雰囲気や難解な曲調といったイメージを曖昧に示すものとして作用していたということが読み取れるのではないだろうか。


第2章 2014年〜

⑴シティ・ポップの再考(2014年〜)

 後に述べるシティ・ポップ最盛期2015年前後から、ウェブメディア上の記事においてある一つの特徴がみられるようになる。それは、一部のライターによって、「シティ・ポップ」という語の意義を問い直すような記事が積極的に書かれるようになったことだ。rockingon.comに新アルバムの発売に際して掲載されたYogee New Wavesに関する記事の中には、「彼らの音楽がシティポップと形容されうるとすれば、それは都市のロマンを描いているからではなく、都市の退屈と惰性を描いているからだ。」との記述が見られる。同じくYogee New Wavesに対し「いわゆるシティポップ文脈で今だと語られるのだろうが、Yogee New Wavesの音楽にある孤独さは、いわゆる「都市の孤独」とは違う、もっとサイケデリックで思念的な孤独だと思う」、Sugar’s Campagneの作品に対し、「音楽的には、ダウンテンポのゆるいグルーヴが心地好い90年代テイストのシティポップで、聴いていると甘酸っぱい懐かしさが沸き上がってくるが、彼らがこのスタイルに求めているのはそんなノスタルジーではない。」との記述も見られる。翌2015年のLucky Tapesに関する記事に至っては、「今どき流行りのシティポップ、オシャレ系、と思われがちですが、実はもっと本質的な部分でポップスの根っこにリーチするバンド」だとの記述により、アーティストを軽率に「シティ・ポップ」というジャンルに括ることへの批判とも取れる論を展開している。このように、当該時期には「オシャレ系」で「今どき流行り」のシティ・ポップ言説に対比させる形で自分の論を展開する記事が多く見られる。以上のような流れは、「シティ・ポップ」という語そのものに関する議論が増えたという点で注目すべきことである。

 では、上に挙げたようにともすれば批判的な論調で記事を展開するライターらは、そもそもシティ・ポップをどのような音楽として捉えていたのだろうか。彼らがシティ・ポップを表現する語として選択したのが、「都市のロマン」「甘酸っぱい懐かしさ」「ノスタルジー」「今どき流行り」等である。これらの表現からは、理想主義的で空想的、懐古的で現実の都市の世界観に即していないものといったニュアンスが感じ取れる。

 前提として、70年代シティ・ポップは後付け的にラベリングされたものである。つまり、現在シティ・ポップの元祖として語られるようなアーティストらに自分がシティ・ポップ楽曲を制作しているという自覚はなかったということだ。そして先に述べた通り、シティ・ポップ・リバイバルが生じ始めた2000年代後半のシティ・ポップはまだ7.80年代シティ・ポップを標榜していた。しかしリバイバルが進むにつれシティ・ポップは7.80年代とは違う音楽性を帯び始める。全くの別物になったと言ってもいいだろう。こうして7.80年代と現在、二つのシティ・ポップが並立するようになったのが現状だと言えるのではないだろうか。そしてこのような二つの別物の音楽に対し同様のラベリングがなされる違和感に対し自覚的であった一部のライターによって、シティ・ポップの再考が行われ始めたのが当該時期だったのではないだろうか。ここでは、並立する二つのシティ・ポップを一括りに7.80年代シティ・ポップのリバイバルとして語る大衆と、二つを区別し近年のシティ・ポップ作品を「現実的」で「地に足のついた」“今”を描き出すものとして質すライターの対比が見て取れる。

⑵拡張するシティ・ポップ(2015年〜)

 「シティ・ポップ」という語が以前にも増して幅広いジャンルのアーティストに対して用いられ、「シティ・ポップ」という語が市民権を得始めたのがこの年である。この年は同時に、3つのウェブメディアでシティ・ポップ関連の記事が最も多く掲載された年でもある。3つのウェブメディアで合わせて53の記事が掲載された。これは前年に比べ約2.2倍、シティ・ポップ関連記事が初めて掲載された2007年に比べると役7.6倍の数値である。シティ・ポップ最盛期と言っていいだろう。

 2015年以降、「シティ・ポップ」という語は、人気アイドルやロックバンドの作品にまでその意の裾野を広げ用いられるようになる。例えば2016年にSUPER BEAVERの「美しく、しなやかに鍛え込まれたロックアルバム」中の曲に対し、「憂いたシティポップ風の“まっしろ”は、大人びたSUPER BEAVERの新しいエモーションの形と言えるだろう」との言及がされている。また、著名なアイドル専門レーベル、ジャニーズ・エンタテイメントに所属するKinki Kidsの楽曲に対し、「堂島孝平作の“Pure Soul”(中略)これは『N album』の延長線上にある、非常に洗練されたシティポップソング」との記述が見られたり、ダンスロックバンドを謳うDISH//へのインタビュー記事の中には、「切ない恋愛模様を歌い上げるバラードやシティ・ポップ調の楽曲なんかはわかりやすいけれど、アッパーで楽しい楽曲も以前よりずっとタイトに締まっている」との記述が見られる。次いで2017年に入ると、女性アイドルグループ欅坂46の人気曲に関し、「Aメロではシティポップ調の跳ねるようなピアノをバックに、メンバーがラップを披露し、《もう、そういうのうんざりなんだよ》《はみ出してしまおう 自由なんてそんなもの》という周りを撥ね付けるような歌詞を乗せる」、男性アイドルグループ嵐のライブレポート記事において「“TWO TO TANGO”からグロッシーな夜景の映像が映える“復活LOVE”へと続く流れはシティポップセクションとでも呼ぶべきもので、『Japonism』ツアーの非現実としてのジャパネスク世界とはこれまたやはり対照的な、今・此処と地続きのリアリティを生んでいる」との記述が見られるなど、大衆的なアーティストの中にもシティ・ポップの文化が浸透していることが実に顕著に読み取れる。このことからは、2009年以降主にアンダーグラウンドのバンドが追求してきた新しいシティ・ポップのイメージが、異なるジャンルを信奉するアーティスト間においても共有され得るほどに固定化されたことを示すと言えるのではなかろうか。

 ここで注目すべきことは、「シティ・ポップ」という語の用いられ方の二極化である。一つ目の傾向として、「シティ・ポップ」という語が、明確な語義よりも「イメージ」が先行する語としての機能を強めているように思われる。上に挙げた記事の中で、「シティ・ポップ」という語の形容に使用された語は、「跳ねるようなピアノ」、「グロッシーな夜景の映像」等である。上の記事で扱われた欅坂46の“エキセントリック”と嵐の“TWO TO TANGO”は、両者とも16ビートのダンスナンバーであり、「跳ねるようなピアノ」という表現はそのビート感を示して使用されている可能性が高い。よって、16ビートのダンスナンバーでかつ、夜景等の都会の視覚的なイメージと親和性が高いものを示す語として「シティ・ポップ」という語が用いられているとすれば、その語は元来の意味である「歌詞やテーマに着目したもの」というよりも、「聴覚的・視覚的なイメージに基づく語」として機能するようになったといっても良いだろう。

 二つ目の傾向は、前節で述べた説の妥当性をより強めるものになるが、7.80年代シティ・ポップが空想的で地に足の付いていない都市像を描き出すものである一方で、現代のシティ・ポップは現実を描き出すものであるということである。前掲の記事では、現代のシティ・ポップ楽曲が「今・此処と地続きのリアリティ」として表現される一方で、「非現実としてのジャパネスク世界」がその対照として挙げられている。ここでは、ネオ・シティポップ楽曲が古来の純日本的な世界観ではなく、現在と地続きの現実の世界観を標榜するものとして扱われていることが読み取れる。

 よって現代のシティ・ポップは、“その聴覚・視覚のイメージにより「シティ・ポップ」に括られるもの”と“現実の「街」に即しているとして「シティ・ポップ」に括られるもの”に二極化されているように感じられる。

第3章 震災とシティ・ポップ(2012年〜2013年)

⑴語られない震災

 この2年間のウェブメディアにおける「シティ・ポップ」という語を分析するにあたり重要になるキーワードの一つに「震災」がある。2011年3月11日に東日本大震災が発生し、日本中、とりわけ東北地方・関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害が発生した。注目すべきは、震災が日本中の「街」にこれだけ大きな被害を及ぼしたにも拘らず、震災との関連で語られるシティ・ポップがあまりにも少ないことである。3つのウェブメディア上には、2011年3月11日から2013年12月31日までにおよそ37のシティ・ポップ関連記事が登録されているが、その中で震災と絡めながらシティ・ポップ作品を扱った記事はたったの2つであった。音楽ナタリーはceroのアルバム作品について、「ceroは(中略)停電や洪水、都市の崩壊をテーマに曲を制作。その後に起こった東日本大震災が自らの作り上げた架空のパラレルワールドに酷似していたことから、一時は自分たちの世界観をその方向に寄せるのはやめようと思ったという。しかし彼らは「想像の世界においても、人は責任を負わなければならない」と考え、自分の構想するパラレルワールドの行く末を全うすることを決意。(中略)自然の猛威と人の生活とが奇跡的なバランスで共存しているような、希望のシティポップを作ることを念頭に曲作りを再開させた」との記述を残している他、CINRA.NETは、「『My Lost City』は、2011年1月にリリースされた『WORLD RECORD』以来、約1年9ヶ月ぶりのフルアルバム。自然の猛威と人間の生活が、奇跡的なバランスで共存しているような世界観を表現したシティポップアルバムになっているとのこと」との記述を残している。以上から、第1章3節の“元来の語義を離れた「シティ・ポップ」という語が「都市で生きることを歌った音楽」としての側面よりも、曲の雰囲気や曲調を示すものとして作用していた”という指摘の妥当性がより強まるのではないだろうか。「街」が姿を大きく変えた時期においても、その関連で語られるシティ・ポップ楽曲は極めて少なかった。よって、当該時期のシティ・ポップ」に「街」というテーマはさほど関連を持たなかったと言える。

⑵はっぴいえんどとceroの類似と相違

 前項でceroが震災の影響を受け発表した「My Lost City」についての音楽ナタリーとCINRA.NETの記事を参照した。震災以降に震災と関連した楽曲を制作したとして3つのウェブメディアに取り上げられたアーティストは彼らのみであった。興味深いのは、このような“都市の消滅を受け、都市に関するポップミュージックが制作される”という構図が過去にも見られたことである。その過去の都市の消滅とは1964年開催の東京オリンピックであり、それに伴う都市の消滅を受けて楽曲を制作したのがはっぴいえんどであった。このオリンピック開催に伴い、東京の街は大変貌を遂げた。東京の中でも代々木・神宮地区と世田谷の駒沢地区にメイン会場は置かれ、オリンピックに合わせた数多のインフラ整備が都内南西部と都心地区を中心に行われたという。加えて、外国人を迎え入れるための欧米式ホテルが建設されるなど異文化の受容も進んだ。野良犬の捕獲や立小便が禁止されるなど都市の風紀に関する施策も取られたことから、このオリンピック開催を契機に、街のみならず街に住む人間の意識も大きく変化していったと言っていいだろう。また、このような急速に押し寄せた再開発の波を受け、60年代から70年代にかけて数多くの「ニュータウン」が誕生した。中でも有名なのは、1962年に入居が開始された大阪の千里ニュータウン、1971年に入居開始された東京の多摩ニュータウンである。この開発の帰結として注目すべきは、東京、名古屋、大阪の三大都市圏において郊外化が急激に進んだことである。上の都市圏では、1980年代前半に一旦収束するまで転出が転入を上回るほどに多くの人が都市の郊外に移動したという。東京オリンピックの影響による見慣れた都市の消滅に次いで、「郊外」という都市形態が注目されるようになった。

 以上のような世相を受け1971年に制作されたのが「風街ろまん」である。当作品は、急速な再開発の影響により失われた「古き良き日本」の幻影を架空の街「風街」に見るというコンセプトのもと制作された 言わずとも知れたはっぴいえんどのマスターピースである。「風街ろまん」で描かれた再開発前の東京の都心部、もしくは郊外が「My Lost City」で描かれた東日本の街々であるとすればその類似性が伺えるのではないだろうか。

 ただし、はっぴいえんどは開発後の街に対する覚束なさや所在無さを描き出していることに比べ、ceroは震災後の街に対し希望を見出せるようなポップスを目指していることは両者の大きな違いである。前者が映し出すのは、想像上の街であり、田舎の風景である。「田舎の白い畦道」であり、「石畳」の道であり「路面電車」が走る「路地裏」である。一方で後者は震災後の都市の暗い側面を描き出しながらも、新たな船出を後押しするような歌詞を残している。「東から もくもくと吹き出した積乱雲が押し流されて 長い雨で 東京の街並みが海になった」「空に変な雲見るたび不安がったり 整理したCD棚崩れがっかり」と震災後の街や人々の様子を想起させる一方で、「都市の悦びを支えるもののタガが今はずれた」「ダンスをとめるな!ダンスをとめるな!」と歌う。

 この両者間の相違こそが、7.80年代のシティ・ポップと現代のシティ・ポップの相違と言えるのではないだろうか。7.80年代のシティ・ポップが「ノスタルジー」の権化として、虚構化された空想上の街を描き出すのに対し、現在のシティ・ポップと呼ばれる音楽は、第1章、第2章でも扱った通り、現実に即した街をリアリティをもって描き出しているように思われる。

結論

 第1章では震災前の「シティ・ポップ」という語の意味の変遷を考察した。ここでは、初めは7.80年代のシティ・ポップスそのもの、もしくはそれらを標榜するものとして使用されていた「シティ・ポップ」という語が、シティ・ポップの再興に伴い曖昧さを増し、雰囲気や曲調を示すものとして作用し始める変遷が明らかになった。

 第2章では、震災後の「シティ・ポップ」という語の意味の変遷を考察した。ここでは、7.80年代シティ・ポップと現代のシティ・ポップを別物として捉え、これらを一括りにする大衆と、後者を前者と異なり地に足がついた現実的なものとしてみなすライターの対比構造を示した。また、都市で生きることをテーマに歌われた7.80年代シティ・ポップと対比し、現代のシティ・ポップが聴覚的・視覚的なイメージのみで「シティ・ポップ」に括られるほどにその語義が拡張されたことや、昔とは異なり空想ではなく現実の街に即しているという前述の説をより強める事実が明らかになった。

 第1章と第2章の言説分析の結論として、「シティポップ」の語義は3つに大別できる。一つ目に7.80年代シティ・ポップ、二つ目に現実に即した現代のシティ・ポップ、三つ目に意味拡張後のイメージとしてのシティ・ポップである。

 第3章では、「震災とシティ・ポップ」をテーマに、東日本大震災を受けて「シティ・ポップ」という語の用いられ方がいかに変化したのか、また「はっぴいえんどとceroの類似と相違」をテーマに二時代のシティ・ポップ・アーティストの類似性と相違性を考察した。「震災とシティ・ポップ」においては、震災という大きな街の変化が生じたにも拘らず街との関連の中で語られたシティ・ポップ作品があまりに少なかったという事実から、「シティ・ポップ」という語の意味を定義するにつけ「街」というテーマはさほど重視されなかったことが明らかになった。「はっぴいえんどとceroの類似と相違」においては、都市の消滅を受け都市にまつわる作品を発表した点が両者の類似点であり、前者が都市に空虚さを感じ架空の都市について歌ったのに対し後者は壊滅した都市の新たな船出を歌ったことが相違点であると結論づけた。また、ここで論じた二つの時代のアーティストの空想−現実の対比こそが7.80年代シティ・ポップと現代のネオ・シティポップの相違そのものであると述べた。

参考文献

磯部涼 九龍ジョー 遊びつかれた朝に 10年代インディ・ミュージックをめぐる対話 ele-king books 2014

70年代シティ・ポップ・クロニクル ele-king books 2015

レコード・コレクターズ 3月号

レコード・コレクターズ 4月号

レコード・コレクターズ 9月号

金子淳 ニュータウンの社会史 青弓社 2017

松本泰 都市社会学・入門 有菱閣アルマ 2014


参考記事

「特集 シティポップ1973-1979」『レコードコレクターズ』3月号 29頁

「[黒沢秀樹]70年代邦ポップスのトリビュート盤」音楽ナタリー・2007年10月23日https://natalie.mu/music/news/3861

「[土岐麻子]『WEEKEND SHUFFLE』をリミックス」音楽ナタリー・2007年11月7日 https://natalie.mu/music/news/4083

「[ビューティフルハミングバード]夏の終わりに清らかな歌のおくりもの」音楽ナタリー・2007年7月12日 https://natalie.mu/music/news/2574

「東京シティポップスコンピに流線形、ゲントウキら」音楽ナタリー・2008年10月27日 https://natalie.mu/music/news/10518

「YOMOYA ニュー・アルバムからの音源試聴スタート&ライブ映像を公開」rokinon.com・2009年3月27日 https://rockinon.com/news/detail/19079

&record公式サイト http://www.andrecords.jp/catalog/065/index.html

「metro trip幻の1st再発盤にYMCK、中塚武リミックス」音楽ナタリー・2009年1月26日 https://natalie.mu/music/news/12677

「流線形3年ぶり新作は沖縄歌姫コラボ作&ライブにえつこ」音楽ナタリー・2009年9月28日 https://natalie.mu/music/news/21725

「怒髪天『響都ノ宴』2日目はカトウタロウ&クジヒロコがサポート」音楽ナタリー・2010年10月3日 https://natalie.mu/music/news/38560

「『トキニ雨#13〜Tornado Edition〜』@TOKYO DOME CITY HALL」rockinon.com・2011年9月25日 https://rockinon.com/live/detail/58085

怒髪天公式サイト https://dohatsuten.jp/bio.html

Chara公式サイトhttps://charaweb.net/about/

「cro-magnon初のボーカル参加アルバムで、土岐、七尾など豪華アーティストが参加」CINRA.NET・2010年11月9日 https://www.cinra.net/news/2010/11/09/095114.php

「cro-magnon初の歌モノCDに土岐麻子、旅人、PSG、鎮座ら」音楽ナタリー・2010年)11月9日 https://natalie.mu/music/news/40241

「Yogee New Waves『PARAISO』:夏の夜の夢、が終わったあとで」小川智宏rockinon.com・2014年9月1日 https://rockinon.com/blog/ogawa/108958

「Yogee New Wavesの“CLIMAX NIGHT”」小川智宏 rockinon.com・2014年4月7日 https://rockinon.com/blog/ogawa/100000

「今を鳴らすシティポップ」rockinon.com・2014年9月4日 https://rockinon.com/disc/detail/109177

「アルバム本日店着!LUCKY TAPESに取材した」小川智宏 rockinon.com・2015年8月4日 https://rockinon.com/blog/ogawa/128758

「【コラム】SUPER BEAVERの新作『27』を聴いた。これが「日本語ロック」の底力だ!」https://rockinon.com/news/detail/143898 rockin’on.com・2016年6月2日

「【コラム】KinKi Kids、名曲連発2016年のシングル第2作目を聴いた!ふたりは今、「確信」を歌っている」https://rockinon.com/news/detail/151023 rockin’on.com・2016年11月4日

「本日アルバムフラゲ日のDISH//、『CUT』に初登場!」https://rockinon.com/blog/cut/152903 rockin’on.com・2016年12月13日

「欅坂46、カップリングにも名曲がたくさん!厳選の10曲」https://rockinon.com/news/detail/159372?count=4&topic=2  rockin’on.com・2017年4月20日

「【大解説】嵐が見せた「Happy」の最高地点!『Are You Happy?』ツアー映像作品を観た」https://rockinon.com/news/detail/161642?count=1&topic=1  rockin’on.com・2017年6月3日

「cero、自然の猛威と共存する希望の2ndアルバムリリース」https://natalie.mu/music/news/74958 音楽ナタリー・2012年8月20日

「cero新作は自然と人の共存を表現したシティポップアルバム『My Lost City』」https://www.cinra.net/news/2012/08/20/132206 CINRA.NET・2012年8月20日

「東京オリンピックの遺産2」東建月報2007年4月号http://www.token.or.jp/magazine/g200704.html

松本泰「都市社会学・入門」(2014)108頁-109頁









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?