ムーミン谷の住人たち

仕事の休憩の合間にムーミンシリーズの文庫本をちびちびと読み、先日やっと全てを読み終わった。

私は無類のムーミンキャラクター好きである。昨年は、埼玉にできたムーミンバレーパークへ足を運んだ。
しかし、お恥ずかしながらムーミンシリーズ自体は幼少期にアニメを鑑賞していたのと、『ムーミン谷の彗星』と『たのしいムーミン一家』を読んだ記憶が朧げにあるだけだった。

ではなぜ私がムーミンに夢中になったかと言うと、約10年前にフィンランドを訪れたことがきっかけだった。
ヘルシンキの空港からヘルシンキ市街へと進む高速バスの中、窓越しに並ぶ針葉樹を見ながら「ああ、この国はムーミンの物語が生まれそうな国だな」と妙な納得を得た。

フィンランドでの滞在は短かったが、フィンランドで過ごした日は素晴らしくて、街中で時々見かけたムーミンのイラストのグッズ(今回読んで分かったが、それは『ムーミン谷の夏まつり』の挿絵だった)にも惹かれた。

昔読んだ物語や見たアニメの甘い記憶が呼び起こされる一方で、少しダークで大人っぽい作品の挿絵に惹かれ、総合的にすっかりムーミンキャラクターに魅せられてしまった。
このことに関しては、一緒に訪れた友人も同様にムーミンが好きになったので、フィンランドに訪れた者にはありがちな現象なのかもしれない。

読書の話に戻るが、ムーミンシリーズの前半はムーミン谷やその地を取り巻く者たちがその地を愛し、大枠では繰り返される四季やしきたりなどに趣を感じるように出来ているように思う。

しかし、後半部に差し掛かるにつれてムーミントロールが眠ることで過ごしていた冬に起きてしまったことにより知らない世界を知ったり、はたまたムーミン一家はムーミン谷から離れ、谷とは似つかぬ土地で過ごしたりする。ムーミンママは「谷シック」に陥り、独自の方法で逃避をするが、最後には新地を受け入れて過ごしてゆく。
そして最終話では、一家不在のムーミン谷で他の者たちが一家がいないことによりその者たちを改めて見直し、また新たな関係を築いてゆく。

この一連のシリーズを読み、なんとも言えぬ寂寥感に襲われたのは、この流れは生きる上で通る道だからではないかと感じた。

色々な者がいるものの、安全で安定した日々を始めは過ごす。
しかし、いつかは新しい世界に興味を持って、場合によってはそこを離れたり、それから自分の思い通りにはいかないことが起こったり、新しい物事に順応するのに苦心したりする。
そして、いつかは大切な者たちや場所を失う。失って改めてその者や場所を見直す。

ムーミンの物語で面白いのは、最後の喪失の部分が、ムーミン一家からではなくムーミン谷に残った者の視点から語られるところだと思う。
もしくは『ムーミンパパ 海へ行く』と『ムーミン谷の十一月』は、ムーミン一家とムーミン谷の他の者たちの双方の視点から喪失を描いた対をなす作品なのかもしれない。

『ムーミン谷の十一月』の最後のホムサ トフトがムーミンママへ思いを馳せるシーンはラストに相応しいと思った。
母という役割を担っていたムーミンママが、いち個人(人、ではないかもしれないが)として生きているという想像力を、ホムサ トフトは他者との共同生活で成長し学ぶ。
ムーミン一家は、不在という状態でさえ他者になにかをもたらす。
また、それはムーミン一家のみならず全てのムーミン谷の住人にも言えることかもしれない。

どのキャラクターもちょっぴり癖はあるけれど愛おしく、更にムーミンキャラクターたちが好きになった。

不思議な巡り合わせで好きになったムーミン谷の住人たち。
これからも長い付き合いになりそうだし、そうでありたいと思う。



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