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私のこども(ショートストーリー)

結婚して5年が経つ。
一樹と私の間に子はいない。
幸いなことに、過剰に孫の誕生を期待する家族も、お節介なことを言う者も周りにはいない。有難い。

私はあまり生きることが好きではない。
一樹と円満な家庭を築いているとは思う。けれども、それも束の間の安息なのかもしれない。という不安が常に付き纏う。
一樹は悪くない。私の問題だ。

一樹と結婚する時、子どもを持つことは考えられない。と伝え、一樹も納得してくれて今がある。
私は子どもが嫌いなわけではない。
寧ろ人一倍、もし自分に子どもがいたらこうしたい。などは妄想する。

でも、実際に子どもを持つことは考えられない。
私にとってこの世界はあまりにもネガティブなイメージが強い。
生まれてもいない子どもを妄想する度、その子が経験する可能性がある、あらゆる不幸を想像する。そして、その子がその不幸を乗り越えるために必要な術を自分が授けることができないだろう、と言う事実に絶望してしまうのだ。

勿論、一樹はそれを与えられる人かもしれない。けれど、私の想定するあらゆる不幸の中には一樹との別離も含まれている。

職場の新婚さんが妊娠したらしい。
彼女は幸せそうで、いつも旦那さんとの馴れ初め話をする。
今が彼女の幸せのピークだろうか?それとも、子を持つことで彼女の幸福はどんどん増幅していくのだろうか?
羨ましさと、自分がそうはなれないであろう悲しみに呑み込まれそうになりながら、私は彼女を自分のできうる限り、精一杯祝福した。

羨ましいならば、子を持つ選択を(実際に持てるか別として)取れば良いだけだ。
しかし私は、5年の結婚生活の中でどうしても子どもを持つという選択が出来ない。
決して生まれてこない一樹との子どもを、私は大事に大事に自分の中に仕舞い込んでいる。
それは、歪んだ子どもへの愛情とも捉えられるし、ただ過保護すぎるとも言える。
いずれにせよ、適切に子どもを愛することが出来ない。

この子どもを、これから死ぬまで自分の中に持ち続けるのかも知れない。
それが幸か不幸かは、自分の命が尽きるまで、知る由はない。

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