うちで踊ろう(大晦日)、そして新年

NHK紅白歌合戦をなんとなく見ていた。
最近は人員不足(募集しても来ないのではなく、そもそも募集できない程の経営状態)と繁忙期で、慢性的に業務が忙しく疲れ果てていたので、年末にどんな番組が放送されるのかもあまりよく分かっていなかった。

星野源さんが好きだ。
好きなタイプは星野源(容姿も楽曲などの才能も)と周りに言うくらいには星野源さんが好きだ。

今年も星野源さんが出演すると知り、何を歌うか曲目を調べた。「うちで踊ろう」だった。私は、少し気持ちが翳った。

この楽曲を知る誰もがそうだと思うが、この曲と今年の新型コロナウイルス流行による緊急事態宣言は切っても切り離せない。

この頃、私の精神は完全に不安定だった。
使い捨てマスクが底をつきかけて、しかし開店前のドラッグストアに長蛇の列を作ることもしたくなく(接客なので、自分が感染していて誰かにうつす可能性が怖かった)、休みの日には何軒もドラッグストアをまわるが見つからず、結構な値段のマスクをオンラインで買わざるを得なくなったが、それも届くのは1週間後だった。

時給の仕事は店の短縮営業による時短勤務で、Wワークも視野に入れなければならない状況。
そして、新型コロナウイルス流行により自分同様不安定な気持ちを持つ人々への接客。
短縮営業を知らなかった!と怒鳴られたこともあったし、とにかく辛かった。
そしてその時はまだ、「正しく怖がる」こともできなかったので、不特定多数の人と接することによる未知のウイルスへ感染し、リモートワークをする家族へ感染させる可能性への不安もあった。

そんななので、緊急事態宣言が出るかもしれないと知った時はいっそ無給でも緊急事態宣言が出てくれた方が良いとさえ思っていた。
それくらい、精神は疲弊していた。

4月の終わり頃、店が入る商業ビルも休業要請の対象となり仕事が無くなった(幸い、給料は払われた)。

仕事とは真逆の生活。静かで穏やかな時間。
しかし、生活の落差に戸惑い、また少ししたら元どおり若しくはそれ以上の過酷な生活。

そんな時期に耳にしていた「うちで踊ろう」。
素敵な曲だが、どうしてもこの曲を聴くとその頃のことを思い出しそうで、大晦日くらい楽しい気持ちになりたかった私の気持ちは複雑だった。

しかし、星野源さんを久々にテレビで見たかったし見続けた。
司会から、歌詞も大晦日ver.として書き直したという説明があった。

(星野源さん公式Twitter @gen_senden より)

諦観と希望が入り混じった歌詞の中でも一貫した、「生きてまた会おう」というメッセージ。

そして、アコースティックギター(Potluck ver.というのもあるが、私はその時知らなかった)1本で奏でるものではなく、バンドでアレンジした軽妙でキラキラしたメロディー。

舞台のまばゆい暖色の電球も相まって、私はその音楽と世界に魅入られた。

星野源さんは、この数ヶ月で1つの楽曲をこんなにもアップデートさせ、希望をもたらした。
また、それは音楽の可能性も感じさせてくれた。
辛い思い出とリンクするような楽曲をアレンジすることで、リスナーに新たな未来への希望を感じさせるものへと変えた。

2020年の紅白歌合戦で、最も心に沁みるパフォーマンスだった。

2021年になった。

現在進行形で、世界を取り巻く状況は刻々と変わってゆく。
まだ2021年は4日目なのに、相変わらず殺伐とした気持ちになる日もある。

けれど、明日からは違うかもしれない。
生きてさえいれば。
本質的には人間は孤独だ。
そこに立ち返って、今は生きてまた会える日のためにじっと出来ることを。

2020年の最後の日に見た星野源さんに貰ったメッセージを、自分の中に持ち続けて2021年を歩んでいきたい。

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