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体調が内弁慶

所用で週末は祖父母の家にいたのだが、これがまた憂鬱なわけです。
田舎で周りに何もないから、とかいう理由ではない。
地方特有の訛りが聞き取れず苦労するからでもない。
祖父母の家に行くと必ずよく眠れず、そして便秘になるからである。
お通じがもういらっしゃらない。まるで「この私がわざわざ九州くんだりまで赴くわけがなかろう」とでも言わんばかりである。
だというのに祖母はこれでもかと私に肉だの寿司だのを食べさせたがる。
その気遣い自体はありがたいし、飽食の日本で食べ物を粗末にするというのはよろしくない。
結果許容範囲を大きく超えて食べてしまうわけだが、消化されたそれは関所を突破できず腹に溜まり続ける。
加えて眠れないとくれば、体調が悪く鬱々としてしまうわけだ。
祖父母だって、長らく顔を見ずに忘れかけていた孫の顔を見たらなんだか調子が悪そう。だなんてなかなかに不憫だろう。
しかしながら便秘も不眠も避けきれぬ体調の気まぐれであり、私にはどうすることもできない。

帰りの新大阪駅でローストビーフ 丼を食べようと息巻いていた私は、早朝大雨に降られ九州を出発した新幹線の中で悲しみを背負う。
普段サニーレタスを刻んで啜るように食べることを好んでいるのだが、祖父母の家に行くと必然的に野菜不足に陥る。
なんだか孫が一心不乱に草を食っている。と思われるのは忍びないので、大人しく祖母が皮を剥いたトマトを食べることにしているからだ。
だもんで駆け抜ける新幹線の中、コンビニで買った鰹出汁醤油で食べる山芋を貪る。
欲を言えば摩り下ろしたトロロだともっと美味しいのになあ、とジャクジャク山芋の塊を噛み砕きながら、ふと窓を見た。

トンネルを通っている新幹線の外は黒い。
だのに何やら蠢いていて、よくよく見ればそれらは新幹線にへばりついた雨粒なわけだ。
それが風の抵抗だかなんだか、理系のことはとんと解らないけれど、とにかく風を受けてこう、雨粒達が横向きになってうごうご窓の向こうで蠢いている。
微生物の動きとか、細菌だとか、細胞分裂に似ている。
ちみっとした透明の小さきものが蠢く姿を暫く見つめ、私の腸内細菌もこれくらい働き者であるならば、今こうやって山芋を食らいながら新大阪駅でのローストビーフ丼に辿り着けるかどうか不安がらなくても良いのに……と考える。
風に煽られて目的も意思も、なんなら命さえも持たない雨粒と比べられて腸内細菌もとんだとばっちりである。

お腹を揉みながら、自分の腸内細菌にすまないような気持ちになり、けれども新大阪駅での果てなき夢は、果たして叶わないだろうと半ば確信を得てしまった私は、鼓膜が縮むのを唾を飲みくだしてやり過ごしながら、泣く泣く夢を諦めた。

追伸。
新大阪駅に着いた直後から腸が動き出し無事お通じがいらっしゃったので、私のお通じの内弁慶ぶり、推して知るべし。
ですが残念ながらローストビーフ 丼のお店自体が開店前でしたので泣く泣く帰りました。
せめてもの癒しに551の豚まんを買って帰ろうという画策も、長蛇の列に負けました。神は私に食うなと仰るのでしょう。

追追伸。

食いに行けなければ作れば良いのだという反骨精神により欲望が大爆発した烈火の如し喰らえこの野郎と言わんばかりの肉だけを敷き詰めた丼を作った。


背徳の味がした。



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