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8月の帰省


2022年夏。
社会人2年目の夏。正月ぶりの帰省。

もう実家に帰る前から「実家からでたくねえ~」と思うまでに心待ちにしていた今回。

結果的にいうと、溜まっていたストレスを解放した帰省だった。

まず初めに、その時の私は仕事に病んでいた。(と思う)(過去形だからといって完全に晴れたわけではない)(まあいろいろあるよね)

勤めて2年目になり、最初は憧れが強かった社内の現実もいろいろと見えるようになってきた。
新人の頃のメラメラした気持ちが薄れ始めていた。
どことなく、働くことに対して疲労が溜まっていた。

実家に帰って犬猫と両親とゆったり過ごそう、実家の部屋を整理でもして心を落ち着かせよう、懐かしい漫画をひたすら読もう、という想いで帰った今夏。
大学時代から実家を出て暮らしているが、実家に帰る時は大抵ガス抜きが目的だ。



全部、ペッて出す

そんな中、やはり吐き出すことの重要性を真摯に感じ取れたと思う。

自分の中にぐるぐる溜まっていた何か。それがなんなのか正体もわからずに悶々と過ごしていたけれど、ある晩母親と話しているときに全部を吐き出した。

吐き出してみて分かったことは、私は今の仕事に対して何が不満なのか。
とにかく口に出すことで、自分の中のもやもやの正体が見えてきた。



自分の中の不満


私の不満は、今の会社の組織体制についてだった。

純粋に思うのだが、人の顔色を窺いながら働く環境って好きな人いる?

私の会社の社内体制は正直いってトップの人の顔色がすべてだ。
トップの鶴の一声で今やっている内容もすべておじゃんになっていく。
トップの求めた範囲内でしか正解と認められない。


人の中で生きていく限り他人の顔色を窺うことはどこかで少なからず必要な力だとは思う。

でも組織って、全員の意見をもって作っていくものじゃないの?

社会に出たらこうしないと生きていけない、そんなことを否定的にではなくどこかポジティブに変換していけたら、そんな環境で過ごせたらきっと楽しくなるのだろうな。

そのような思いがぬぐえず、「このまま今の場所にいていいのだろうか…」という漠然とした悩みにつながっていた。


じゃあ不満とどう向き合うか

まあ少なからず、今の社内体制をポジティブに捉えるだけでは収められない自分には、それが不満につながっているわけで。
でもそれを母に言ったときに帰ってきた言葉がこうだ。

「自分のやれることがだけ、やったらいいんよ」


…いや、たしかに。
自分の年齢よりも長く続いている会社の体制に対してとやかくいって勝手に不満を持っているの、なんか無駄なことと思えてきた。

「あんたまだ2年目なんだから、組織の体制で悩むのは上の人に任せればいいよ」


母にそう言われて、近い存在だけで考えれば、相談できる先輩もいるし気の合う同期もいる。

視野を広げて考えることはいいことだが、それによって不満を募らせて目先のことにも集中できないんじゃ時間がもったいないなと気づいた。


今、自分ができることは?
それを考えて地道にトライしていくことで、おのずとできる範囲も広がっていくのだろう。


それからはすべて手の届かないところに関しては「忍耐力」の鍛え処と思って過ごすようになった。

自分の手に収まらないところで悩んでも無駄!

できるところから少しづつ変えていけばいい!

今ある不満も、考え方によって軽くなったりするよねっていう話。

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