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パーマの起源

パーマの起源

パーマの歴史は古く、紀元前3,000年エジプトの特別な時(お祝いやお祭り等)
糞尿などと混ざりアルカリを含んだ粘土を髪に塗る

木の枝に巻きつける

長時間放置

化学反応を起こしてウェーブが付く
という事が行われていた(諸説有り)

パーマの発展は実験の連続

まだまだ半永久的なカールを求めることができない時代でした。
・ギリシャ、ローマ時代では鉄の棒を熱してカールをつける
・フランスでマルセルがヘアアイロンを発明したのが1875年
マルセルは業界紙のタイトルになる方ですね。
この時代は水素結合を利用した一時的なカールで理想を求めた時代です。


パーマネントウェーブと名前が決まる

チャールズ・ネッスラーが現代のパーマの原理を最初に考え出したパーマの第一人者です。20世紀初頭、彼はアルカリ性水溶液を髪に塗布してから棒(現代でいうロッド)に巻きつけ、加温する事で髪にウェーブをつけることに成功しました。そしてパーマネント(永久的)ウェーブと言われるパーマ時代の開幕となりました。

日本のパーマの発祥は神戸だった

アメリカのエンプレス父子が開発した技術の売り込みに、パーマネント機械一式を持って来日しました。日本初のパーマ器具は東京に売り込む予定で横浜に到着する予定でした。しかし、そのタイミングで待っていたのは関東大震災でした。
これ以上はない被害を出した関東大震災の一報を受けた船は横浜から神戸に進路を変更しました。神戸に上陸後、日本で最初にパーマネント技術を習ったのは紺谷すみさん。当時海岸通りにあったオリエンタルホテルで旦那さんが理髪店を営業していたため、かねてより紺谷さんはパーマの新しい技術の情報を持っていました。パーマネントは一度かけると半年保つという評判から紺谷さんはエンプレスさんが持ち込んだパーマ機を購入し、技術の手ほどきを受けました。


進化したパーマの地獄

1920年代に電気で加熱してパーマをかける電髪パーマが普及しました。当時はパーマ剤もアリミノの粉末タイプなどでした。
当時パーマをかけるには100度以上まで加熱しなければならず、お客様からすると拷問に近い状態でした。
しかし、それでも美容の時代の文明開化は発展する一方でした。
そこに紺野さんが修得した半年保つパーマネントウェーブが評判を呼び、口コミで流行したのではと考えられます。

戦後の休電日から定休日が決まる

戦後の日本では電力不足から電気の代わりに炭で加温してパーマをかけたほど流行したそうです。
しかし、髪が焼けてロッドごと焼け落ちることもあったそうです。
その時休電日が関東では火曜日、関西では月曜日であったことから理美容室の定休日が現在のように決まったと言われています。(諸説有り)

多様化するパーマ

電気パーマから加温式パーマ、そしてコールドパーマと進化を遂げてきました。現在では多様な還元剤の種類にpHコントロールまで気にして薬剤選定をしなければいけません。
このように多様化した中でも薬機法により中間水栓を必要とするパーマ業界に加えて化粧品登録のコスメカールまで登録できる時代になりました。
これまで通り薬剤と職人の技術が融合でお客様の求める仕上がりになることに変わりはありませんが、より専門的な知識を必要とする時代が来たことは間違いないと考えます。

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