蒼き閃光~third~

 今日、ふと思いつき、考えていることがある。

 「本音と建前」についてだ。

 俺は、建前で物事を言う人間に対し「あぁ、この人は今、建前上で話をしているな。」と、よく気付くことがある。

 第一に、長い話でも内容は反比例し、薄っぺらいことが多い。

 しかし、それ以上に、一番に気付く要因がある。

「目」だ。

 どことなく、建前上で話を展開している人は、目が活力的になっていないからだ。

 「死んでいる」と迄いうのは、少し大袈裟過ぎるかもしれないが、どことなくそう見えるし、「体感的に」そう感じる。

 そしてもう一つ、疑問に思うことがある。

 建前と嘘の境界線だ。

 嘘というものは、文字通り嘘だ。全てを塗り固めたものでしかない。

 しかし、建前もそれにかなり近い、いや、付随しているとでも言うべきか。

 俺は、嘘より遥かにタチの悪い建前も、これ迄の人生の中で、何度も目の当たりにしてきた。

 どちらにも、共通していることはある。

 「その場を取り繕う」為に存在しているものだ。

 俺は、そんな今の世の中が、大嫌いだ。

 現在のメディアにしても、「政治屋」にしても、俺には、建前か嘘で強引に成り立てているようにしか見えない。

 だから俺は、最近はドラマかアニメ、ニュース位しかテレビはあまり、観なくなった。

 堂々と「虚像」を見せ付けられても、何も心に響かないからだ。

 あと俺は、別に「政治屋」に何か嫌がらせをされた訳でも、因縁がある訳でもない。

 ただ皮肉で「政治屋」と言っているだけだ。

 今の世の中、本物の「政治家」は本当に少なくなってしまった。

 俺が生きてきた中で、本当に光を放っていたのはただ一人。

 小泉純一郎氏だけだ。

 映像でしか見たことは無いが、田中角栄氏も、俺が尊敬する「政治家」の一人だ。

 最も、彼はロッキードの件で、最後には「政治屋」に成り下がってしまったが。

 元々、政治家というものは俺達が投票して選ぶものだ。

 中には七光りもいるが、あんなのは書くまでもない。論外だ。

 その観察眼が、今の日本人には無い。

 実に愚かわしいことだ。

 俺は、建前や卑劣な嘘の無い、そんな世の中を望んでやまない。

 無論、人間同士、そんなことは不可能だ。

 しかし、何の力もない俺にでも、できることはあると思う。これはまた、別の機会に書くとしよう。

 ただ、俺が思うこと。

 「そんな世の中に、少しずつでも近づけられれば、皆が生き易く、心から笑い合えると思うから。」