ペパーミント・ループ
ばしん、という音と共に、体を駆け巡る振動。指先には見慣れたペパーミントが、ころんと転がっている。
ぷっくりと膨らんだ袖に、まだじんじんする指先を通した。柔らかな朝の光とは裏腹に、どんよりしたグレーの憂鬱。ボタンをとめる手が思うように動かないのは、きっとそれのせいだ。晴れているだけまだマシだ。
ちん、と音がして飛び出してきたトースト。そっとつまんで取り出したら、熱さでまた指先がじんじんする。
いつものようにまあるい口で笑うマグに、コーヒーの粉をぱたぱたと入れた。たちのぼる香りだけで、ほんの少しだけ目がしゃっきりするような気がする。朝からドリップコーヒーは面倒だけれど、お湯を沸かすくらいならできる。どんな形であれ、いかにして朝のグレーを塗り替えるのかということは、私の毎朝の課題になっていた。
引っかけたローファーは、まだ踵が痛い。肩にかけたスクールバッグの重みは、じんわりと肩にくい込んでくる。相変わらずグレーはグレーのままとはいえ、それを感じるくらいが幸せなのかもしれない、とも思った。
玄関を開けたとき、目が回るぐらい大きい風が、ぐるんと吹いた。ドロシーみたいに、これに乗って最終目的地まで行けたらどんなに楽だろうか。
「おはよ。」
相変わらず爽やかなあいつ。肩に下げられた大きなスポーツバッグ。今日の空をメロンシロップで薄めて、とびきりやさしいヴァニラ・アイスを溶かしたような、あの色のスポーツバッグ。
「今日の昼、何にしようかな〜。そうだ、じゃんけんしようぜ、買った方が奢り。どう?」
私がいつもお弁当だってこと、知ってるだろ。
「今日って、一限何だっけ?体育?…って、やば、ジャージ忘れたかも。」
そのやたらとでかいカバンの中、もう一回ちゃんと確認した方がいいんじゃない?
「なあ、無視すんなって、怒ってんの?」
怒ってないよ。
怒ることもできないって、いい加減分かってよ。
「なあ…」
1つ目の曲がり角を曲がったとき、彼の手が私の肩をすり抜けた。彼の身が車道に乗り出すのと、グレーの乗用車が角を曲がり始めるのは、残念なことにほとんど同時なのだ。
そして反射的に伸びてしまうこの手は、“いつも”それを真摯に引き留めようとするのだ。
ばしん、という音と共に、体を駆け巡る振動。指先には見慣れたペパーミントが、ころんと転がっていた。
2023.8.4
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暑い夏の朝、誰かの夢になりきる事ができなかった、メロンクリームソーダを添えて。
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