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或る男の話

ヒマワリへまっすぐ手を伸ばした彼女を見たのは、もう何年も前のことだったような気がします。
まっさらな白のワンピースは、大きくて遠い青空に湧き上がった入道雲と、同じ色をしていました。艶やかな黒髪だけは、夏の鮮やかさに反旗を翻すように、かったるい風に靡いていたのを覚えています。

「人はヒマワリに似ていると思う。」

ぽつりと、彼女は言いました。
「陽の当たるほうばかりを向くせいで、後ろに影ができるところがそっくりだ」と。

そう言う彼女の瞳は、危なげなグレーでした。少し息を吹きかけただけで、宇宙の果まで飛ばされてしまうのではという気さえしました。

さて、私が彼女に好意を抱くまで、それほど時間を要しなかったのは言うまでもありません。彼女の方も、私からの気持ちには度々、そのグレーの瞳で応えてくれました。触れたいと思う衝動には何度か駆られることがありましたが、耐えました。ここで全てを台無しにするわけにはいかないと思ったからです。

あの瞬間は、たしかあの日は夏休みだったけれども、私と彼女の他には誰も、人っ子一人居やしませんでした。虫取り網を抱えて走る小学生だとか、肩を並べてお散歩する老夫婦だとか、そんな日常を彩る人々の影すらも、真夏の太陽の閃光に掻き消えているようでした。
つまりね、ただ庭に咲いたヒマワリだけが全てを知った顔をして、わたしのことを見つめていたのです。

それにしたって、彼女は思ったより柔くて脆かった。私は今でも、彼女は私のせいでああなったとは思っちゃいないのですよ。そもそも私はね、彼女の真の生命を一度この目に焼きつけたいと思っただけだったのです。ただその一心だったのです。私には彼女しか見えていなかったのですから、そう思ったって何にもおかしいことなんかありゃしませんよ。違いますか?

そうだ、あそこのアルバムを…ええ、それです。とってくださいますか?そうですとも。私と彼女の思い出の写真です。ほら、この写真なんか実に鮮やかでしょう。え?生気が感じられないって?…ああ、そうですか。いや、怒っちゃいませんよ。貴方にはお分かりにならない、ただそれだけのことですから。

…ところで、夏の終わりのヒマワリを見たことはございますか?
大きな花を咲かせた天真爛漫なヒマワリとは打って変わって、なんとも言えない哀愁漂うあの姿。私はそれにこそ、真の生命が宿っていると常々感じていました。

あのときの彼女は、それによく似ていたのです。カサついて項垂れた彼女には、どうしたってヒマワリが似合うなと思ったのです。それは紛れもなく、私が今までに見たいちばん鮮やかな彼女の姿でした。

ああ、この写真を撮った場所ですか?
ちょうどその辺、貴方がいま座っているじゃあありませんか。そのちょうど真上の梁で彼女は、夏の終わりのヒマワリになったのですよ。どうですか?私たちも記念に1枚。なに、怖がることはありません。私の話、聞いていたじゃありませんか。

もしかしたらあなたの目は、あの日のヒマワリと同じなのかもしれませんね。今となってはそれも、おかしいことではないのかもしれません。このカメラのレンズだって、あの庭のヒマワリと何も変わりゃしないのですよ。
つまり、全てを知っている。貴方もこいつもね。ただそれだけです。

怖がることはありません。貴方は今から変容を遂げる。その姿こそが、貴方と私が造りあげる真の生命なのですから。ね?

私ですか?名は光輝といいます。
ええ、両親もヒマワリが大好きだったものでね。

ところで彼女によると、ヒマワリは人間によく似ているそうですよ。
そこの所、貴方はどうお思いで…?


                 ―蝉の声が五月蝿い夏の終わりに
                 

…end

ヒマワリの花言葉:あなただけを見つめる、光輝

#シロクマ文芸部

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