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帳が下りたら。

凛とした透明な寒さと、徐々にはっきりし始める木々や影の輪郭。それに気づく頃には、いつも冬は終わりかけているような気がします。
擦れる葉もなくただ乾いた枝が愚直に折り重なって、繊細なチェック柄を地面に作っているのを見たら、その隙間から刺す光の眩しさに、つい目を瞑ってしまいました。

冬は、夜が長いので好きです。私にとって夜が長いということは、自分を手放す時間が長いということです。夜の闇に紛れるのは、体だけではなく心も一緒なのかもしれません。紛れるより、夜に溶けると言ったほうがしっくりくるのかも。真っ暗で何も見えないということは、何も見えないということが見えているということで、それはつまりどこからどこまでが自分ってことになるのかな、とか考えているうちに、体の輪郭はたぶん夜に溶けているはずだから。でも実は昼夜問わず、こちらが鏡の向こうで、あちらが本当の鏡の前の世界なのかもしれない、なんてしょうもないことを考えています。そんなこと考えていたってアリスにはなれないけれど。
結局いつも、ふわふわした問題の正解は日付変更線の向こう側にあるだろうと根拠の無い期待をして(かといって正解が分かったところでなにも変わらないのだろうけど、とも思いながら)、お布団の中にあるほんの少しの陽だまりを探し出してみたり。それが上手にできなくて夜の底に置いてけぼりになった自分を、朝日が掬いあげてくれるときもあればくれないときもあって、それがちょっぴり悲しかったり、さみしかったり、そうじゃなかったり。皆さんはどうですか。

というわけなので、私は特に人よりもたくさんの夢を見るのかもしれません。夢の中でほっぺたを抓ったことは、今までに何回もあります。あれが本当に痛くないってこと、知っている人って、他にもたくさんいるのかしら。

夢がうつつで、うつつが夢なのか。そうだったとして、それは果たして世界として成立するのか。私にはやっぱりよく分からないのですが、どちらが夢でもうつつでも、自分や相手がただここにいるということだけが私の全てだと思いながら、今日も私は夜にとろとろと溶けています。

今年もたくさんの夢を見て、たくさんの夢に暮らし、朝日にちょっぴりすくわれながら生きていくのかなあ。そこに好きな音楽と文学と、かわいい毛糸や編み針と、ほんのちょっぴりの(できればたくさんの)甘いものがありますように!

―2024年1月1日
お布団の中で、ほっぺたを抓りながら

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