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楽しい日記とだめになっちゃいそうな私。

私は最近日記をつけ始めまた。
内容はあくまで仕事であったことや覚えたこと、思ったことなど。
客観的には日記というより日誌なのか?

コレは自分から始めたわけじゃあない。
今の職場でもっと良い役職に就きたいと思っている私の希望に上司が見兼ねて、前に上司自身もしていた日誌を私にもして欲しいという計らいだと思う。

しかし、これがすごく楽しい。
私は自身の思うことを口に出すことがすごく苦手だ。
それを聞いた人の表情がどうなるか、嫌な顔をしないか不安だからだ。
それに対して日誌はとても書きやすく感じてしまう。
言葉を間違えたら書き直せばいい。柔らかい言葉に書き換えればいい。
そしてそれをよく深く考えてゆっくり書くことができる。
人と話す時のような瞬間瞬間必死に考えて変なことを言ってしまうことがなくなる。
頭の回転が遅く、すぐ悩んでしまう私にはとても合っている。

この楽しさのおかげでこの日誌が『日記』になってしまっている。
日記内の言葉が砕けてしまっている。みんな大好き3点リーダーを多用してしまう…
つい弱音を書いてしまう。つい休みの日なのにあったことを書いてしまう。
書きやすさがつい遊びのある日記になってしまっている。
深く考えているつもりなのにな。

この日記は1週間に一回上司に見てもらうことになっている。
冷静に考えれば少し恥ずかしいことだが、見てもらってびっくり。
赤ペンでびっしり!書いたことに共感していたり、褒めてくれたり、アドバイスをくれていたのだ。
途中の絵が描かれていたり、言葉が私と同じように砕けていたり。

私の考えていることに反応してくれることがこんなに嬉しいことなのか!!!

こうなったらもうこれからもたくさん書くしかない!
もっと反応が欲しい!

でも待って。

これって日記に反応している上司に依存しかけていないか?

私は昔から依存体質だ。
スタバで飲むものやレストランで頼むものはいつも同じもの。
変わったものがあまり好きじゃなく、いつも決まったもの。
前の恋愛でも相手に依存していたような…

こんな感じの感情に気づき、書き記しておきたくて、このnoteに残した。
これは私の直さなくてはならない性格だが、嬉しくなったものはやっぱり嬉しくて…

この悩ましさを抱きながら、今日もまた日記を書いてしまった。

だめになっちゃいそうな自分に目を背けながら。

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