高野光平さんの「オジサンはボカロ系を克服できるか」という記事に対する一考察

こちらの記事、非常に興味深く読ませていただきました。

違和感の原因は制作過程の違いからくるのでは?という仮説とその理由について。

私もこの記事を書かれた高野先生と同じ40代で、日頃、個人でボカロ音楽制作と、生身のバンドのお手伝いの両方をしている立場として、この記事に対して考え、一つの持論に至りました。

その持論とはこうです。

ボカロ系に対する違和感は、
ボカロ系とバンド系の制作過程の差にあるのではないか?

まず前提として、この記事で「ボカロ系」とはすでにおなじみ米津玄師さんや、最近よく聞くYOASOBIをはじめとする

ボカロを使った音楽で頭角を現し、生身の歌手と組んでもしくは自分で歌って音楽シーンのメインストリームで活躍している若いクリエイター

を指しているようです。

そのボカロ系音楽に対して理解できないという違和感がもしあるとしたら、私が考える原因は

バンド系や弾き語り系の人とボカロ系の人は音楽の制作過程が決定的に違うためである

からではないか、と思います。

バンドやシンガーソングライター系の人は、歌いながら、歌詞をトライアンドエラーでブラッシュアップしていく姿が容易に想像できます。

実際私も弾き語りライブをやっていた時期があり、その頃はそのように曲を作っていました。

ステージやレコーディングといった場数を増やすなかで歌詞やメロディに対するセンスを培っていきます。

一方、ボカロ音楽の歌詞の作り方は、下記のように、メロディーラインが描かれたピアノロール上で、ダブルクリックして、一個一個歌詞を入れていく。

スクリーンショット 2020-05-31 7.12.26

そのため、ミックスダウン直前まで、歌詞やメロディーラインの推敲が行える、という大きな利点がありますが、反面、欠点として、

実際に歌って気持ち良いかの検証はなされないこともある

という大きな欠点もあります。

私は作曲を今は趣味として取り組んでいますが、ボカロに歌わせる場合、歌ってみて気持ちいいかの検証を、やらないわけではないけれど、ボソッと作業場だけでやる程度です。

シンガーソングライターやロック系の人が、ライブ会場やレコーディングスタジオで他人の目に晒されながら、本気で歌う中で、感性を磨いていくのとは、どちらがよい、というのではなく、全然、プロセスが違います。

結果として、歌詞やメロディーが、自然なあるいは実際に歌ってみて気持ちいいことよりも、歌詞のストーリーや、使いたい言葉、メロディのトリッキーさなどが優先されたりすることが起こりがちで、そうした中で発展してきたボカロ系の作曲メソッドが、シンガーソングライター系の作曲メソッドに馴染んだ人には、受け入れられない場合がある、ということなのかなと。

かつて山下達郎はピチカート・ファイブの音楽を「仏作って魂入れず」と評しました。

こう言ったときの山下達郎さんの違和感と、シンガーソングライター系を聴く人がボカロ系に対して感じる違和感は似ているのかもしれません。

ボカロ音楽はその制作過程上、シンガーソングライター的な意味で、「魂を入れる」という作業が生まれにくい音楽と言えると思います。

まとめ

シンガーソングライターの曲の作り方の典型・・・ギターやピアノに向かってコードを当てながら実際に歌う

ボカロクリエイターの曲の作り方の典型・・・PCの前に座りバーチャル楽器やバーチャルシンガーを操作して楽曲を作り上げる

であるがゆえに、

人間が歌うことを前提としているか、否か

という部分が決定的に異なります。

出来上がるまでのこの「過程」の差が同じ音楽でもボカロ系とそれ以外が「似て非なるもの」となる原因であり、ボカロ系音楽を理解できない原因となっていると思います。

おまけ(宣伝)

最近、コロナ禍をテーマにした歌をボカロで作りました。よかったら、聴いてみてください!


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