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シン・エヴァ公開の熱を書き留めたい

※ネタバレ全開の感想と考察引用まとめになります。

どうも、ふにゃにゃん♪です。

今回は2021年3月8日(月)に公開された『シン・エヴァンゲリオン劇場版』鑑賞後の私の感想と、YouTube『エヴァファンch 』様のコメント欄で特に気になった・気に入った感想や解釈、考察等の引用まとめを書いていこうと思います。

鑑賞にまつわるあれこれも書くつもりでいましたが、コメントのテキスト量だけでも膨大になりそうなので、それに関してはまたの機会に。

初めに私が鑑賞したのは16日と公開から8日後の事で、本来ネタバレ等は特に気にする人間では無いのですが、25年にも渡る作品の集大成とも言える今作に関しては流石に勿体無いかと思い、前情報を極力避けた上でスクリーンに足を運びました。
私自身そうして良かったと心から思えたので、エヴァに思い入れが強い人ほど鑑賞後に読んで頂きたいと思っています。

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冒頭

スクリーンに『これまでのヱヴァンゲリヲン新劇場版』が映し出され『いよいよ始まる』という思いの中、続けて『「0706作戦」で公開された冒頭12分10秒10コマ』が流れ、シンジ・アスカ・黒いプラグスーツの綾波(以後黒波)が姿を現します。
そこから座り込んで動けなくなったシンジの様子を窺うアスカの背中に『遅くなってしまったね。』と、とある人物が迎えに来て場面は暗転。

第3村

『トウジ「元気そうでよかったわぁ」俺「お前もなぁ!!!!!!!!」』
『心のなかで「トウジ生きとったんかワレ!?」って号泣しました』
『個人的に委員長がトウジと結婚できて報われたのが一番嬉しかったかな。弁当のこともあったし。あとアヤナミに対して、呆れずに言葉の意味を優しく教える委員長本当に好きだ。』
『第三村の1部にカットでカタバミの花が咲いてて、花言葉が喜び、輝く心、母の優しさだったのがやっぱ考えられてんな〜って思った』
『監督が卒業した宇部高校の校章のモチーフもカタバミです』

14年が経過し28歳に成長したトウジの登場、しかも医師として立派な大人として働いている。
もちろん私も『うぉっ!!』と心の声を上げ、皆と同じ様に喜びました。
また当然の流れではありますが、やはり委員長(洞木ヒカリ)と一緒になりツバメという娘を授かっていることに表情筋はゆるむ事になりました。

しかしその反面シンジはある意味で何時ものように、周りの人達の気持ちを汲む事も無くふさぎ込んだままです。
私の人間性はエヴァの登場人物で強いて誰に近いかと言えば、TVシリーズのトウジやアスカになるかと思います。
その事も手伝い、このシンジに対してはイライラする嫌悪感しかありませんでした。
振り返ればTVシリーズも旧劇場版も、『エヴァ』という作品は好きでしたが『碇シンジ』という主人公には感情移入する事も無く、どちらかと言えば嫌いという感じでした。

そしてシンジをケンスケが迎えに来る事で、冒頭の人物が彼だったんだとわかり、私はまた嬉しい気持ちになりました。

『自分の首に着いてるチョーカーをみて吐いてしまうシンジを前に、アスカがバンダナ巻き始めたところに気づいてもっとアスカが好きになった…』
『それ私も思いました……シンジのこと散々貶していたけど、やっぱり優しいですよね……アスカ……』
『アスカは表現は不器用だけど、いつも優しいですよね。』

シンジはアスカのDSSチョーカーを見て吐いてしまうのですが、アスカはその吐しゃ物を拭き取っているケンスケに自分でやらせればいいと冷たく言い放ちます。
ケンケンはこいつに甘すぎるとも。
アスカは相変わらずキツイなぁと思うと同時に、ケンスケもトウジと同じく優しく魅力的な大人に成長したんだろうなと感じました。
そういえばレーションを無理やり口の中に押し込んだりもしていましたね。
それもひとつのアスカの(ツンデレ的な?)優しさなのでしょう。

『序盤の黒波の可愛さやばくなかったですか???』
『田植えしてた時の顔がめっちゃタイプだった』
『プラグスーツのままお風呂入ろうとするとこも好き。』
『えらいぴっちりタイトなお姉さんって言われてるとこも可愛いかった〜』
『猫を見てニコッとする姿は最高でした』
『ポカ波がシンジと関わる事で得ていった感情を、黒波も少しずつ、良い人達と自然との触れ合いの中で得ていったのは本当に良かった。』
『その分あの最後は悲しかったけど、シンジがそれを糧にして強くなって、主人公してたから良かった』

第3村の人達と触れ合う事で『人が生きる』ということを学んでいく黒波。
委員長を筆頭に、関係するすべての人がふんわりとした暖かさで包み込むような優しさと生命力に溢れた人達ばかりで、見ていて何とも言えない心地良さを感じます。
皆が変な勘繰りや詮索などする事無く黒波を『そっくりさん』と呼び、共に田植えで汗を流し、共同風呂で湯に浸かる姿がコミカルに描かれていきます。
今までのエヴァでは描写される事の無かったある意味で下町情緒あふれる共同生活、そしてこれもまた今までのエヴァには居なかったシンジや黒波に寄り添い見守る大人達。
そんな中、力を合わせての労働などで他者との関わりとその温もりから幸せというものを感じ、人として成長していく黒波。
またシンジがトウジのジャージを、黒波が委員長の制服を着るという演出に、思わず声が出てしまうほど痺れました。
シン・エヴァは全編通して、今までのエヴァを観て来た人達へのファンサービスに溢れたものになっているかと思います。

『シンジ「何で皆こんなに僕に優しいんだよ」ここで泣きそうになりました』
『今までのシンジなら自分の不幸続きに思わず「もっと僕に優しくしてよ‼」って言いそうなもんだけど、そこで「なんでみんなこんなに僕に優しいんだよ」ってセリフは完全にでは無いにしろ少しずつシンジが大人に向かって成長してるのを感じた。』
『いっそ否定してくれたほうが清々しいのにな。まあそうでなくては、ケジメをつける理由もないんだけれど。』
『このセリフで滅茶苦茶安心した。ああ、そう感じることが出来るなら、シンジはもう大丈夫だって。』
『このシーンでシンジ初めて喋ったんだっけ、胸に響きすぎて泣いちゃいました』
『このセリフだけでも声優の凄さが滲み出てますよね...』
『黒波が優しいこと優しいこと、もう涙で前が見えねんだわ』
『黒波はシンジに冷たく当たってんのかなって思ってたけどそうじゃなくて本当に何も知らなかったんだなってなって……』
『ア「初期ロットのおかげ?」シ「うん」ア「ちょっとはスッキリした?」シ「…うん」ここのたった2文字の表現力凄いと思った』
『第3村で色々な事を知って、最後にシンジに気持ちを伝えられて良かったなと思います。』
『何がよかったって彼が塞ぎ込んでたわけじゃなく、人の優しさに気づいてたことでした。今までのシンジくんなら自分に蓋をして他人の優しさすら認知しない可能性だってあったのに』
『黒波の産まれたての何も知らない無垢な声で伝えられる純粋な言葉も、
綾波の暖かくて優しい静かな喋り方もすべて良かった。』
『シンジがこれまでと違って他人に優しくされてることに気づけたのはニアサードインパクトっていう罪を自分の目で見て初めて自分のせいだって認められたからなのかな?これまでの作品では結局自分のせいじゃないって認めなかったから』
『そう考えるとこれもケンスケが言ってたニアサーにも良い事はあったって言ってた内の一つなのかな、シンジが成長したことも』

そしてそんな彼女が上記コメントにあるのようにシンジを救います。
私はシンジが発した意外な言葉にドキッとし、その後の黒波の『みんな、あなたの事が好きだから』『仲良くなるおまじない』で涙がこぼれそうになりました。
ここからのシンジとケンスケのやり取りで、サードインパクト後の14年がどういったものだったのかを理解していきます。
東日本大震災を経験しコロナ禍の真っ只中にいる今、第3村で暮らす人達の生き様に色々な事を考えさせられると同時に、叶わぬ事と知りながらこのままこの生活を見続けていたいとすら願いました。

別れ

『レイがLCLになったあと、またシンジくんが鬱モードになるのかと思った。でも違った。それを糧に前に進んだ。それに驚いた。』
『綾波が破の時、水槽の魚見て「ここでしか生きられない」って私と同じって言っていたけど、綾波クローンがネルフでしか生きられない事の伏線やったんやなって思った』
『よく見ると、シンジくんの涙のあとがしっかり描写されていますね!』
『綾波は綾波だのシーン好きです』

しかし『好き』という感情を知り、この第3村という場所とそこに暮らす人達がそうだと、ここでずっと居たかったと言い残し、黒波はLCLとなって飛び散ります。
この際プラグスーツが白に変わっていく演出で、より人間らしくなった『綾波レイ』の喪失感が強くなります。
皆が言っているように、シン・エヴァ以前のシンジなら振り出しに戻ってふさぎ込んでいたでしょう。
しかしここから人の優しさを知り好意に気付き、『綾波レイ』が好きだと言ったシンジ自身も大切に思うものの為に、私ですら好感が持てる主人公としての行動に移行していきます。

最終決戦

『綾波(仮)が消えたあと、相田の「離艦希望者〜」のセリフがあって、鈴原サクラがトウジの手紙に泣き崩れるシーン。早い段階でヴンダー内はヤマト作戦=生きて戻ってこられないという認識だったのかもなぁと思ったり。だからこそサクラが家族の写真に喜ばずに泣き崩れてしまったし離艦希望者が続出したんだろうと考えると辛くなってくる。』
『ミサト「作業は25分で終わらせて30分には出発するわよ!」
リツコ「全くいつもながら無茶言うわね。みんな20分で終わらせて、25分で 出発よ!」ここ大好き』
『ここで吹きそうになった』
『リツコ姐さんさすがっすww』
『これは笑った!さすがのコンビだなーって。』
『これが5分前行動ってやつか』
『納期というのはそうして短くされるのだ』
『その5分のおかげでアスカ寄り道してシンジと話すことができたのではないかと思っております。』
『アスカとマリがシンジに会う時間作ってあげた説笑』

今までの牧歌的な風景から切り替わり、ここからシン・エヴァとしての戦闘に突入していく準備が始まり、ある意味でエヴァらしい世界が展開されます。
キャラクター達がそれぞれに、最終決戦に向かう覚悟をしていく様が描写され、私はこれが『エヴァンゲリオン』という作品に決着をつける、文字通りの最終決戦なんだと身震いすると共に、これからスクリーンに映し出されるであろう映像表現に胸を高鳴らせていました。

『マリとアスカの白色のプラグスーツは劇中で死装束と言ってた。エヴァQの13号機のカオルとシンジのプラグスーツは黒色これは喪服ではないかと思った。』
『真希波・マリ・イラストリアス様の「屋上 メガネ 乳の大きい 良い女」が好きすぎて映画館で声出そうになった♡』
『アスカ「いつかのあんたのお弁当、美味しかったわよ。」ここで本当に本当に持っていかれたよ。』
『アスカはシンジの弁当の味を覚えていた「いつかのあんたの弁当、美味しかったわよ」水しか飲めない体になっても、昔好きだった男の弁当の味は覚えてるって言う感動。』
『素直に気持ちを伝えられたアスカを見て大人になっているんだなと感じました。』
『シンジの口に食べ物押し込みながら食べ物のまずさを叫んでたのに、「お弁当美味しかったわよ」良い。』
『ここのセリフ聞いてアスカ死ぬんじゃないかと思ったわ』
『初めてシンジとアスカが言葉を使ってお互いを「好きだった」って言い合ってたことが嬉しくて悲しかった。』

私はアスカの素直な『好きだった』という発言に安心したようなよかったと思う気持ちと、過去形である事に劇中14年という時の流れを感じ、何とも言えない複雑な感情が沸き上がりました。

『エヴァっぽいなんか出てきたなと思ってたらピンクの子が「エヴァっぽい何かです!」って代弁してくれて笑いそうになった』
『アレは「ここからはいつもの細かい考察とか気にしないで、彼らの物語を見届けてくれ」っていうメッセージなんじゃないかと受け取った』
『そこまで深読みすんのなんか面白いな』
『あのピンクの子いいよね「なんか絶対変!」「超いっぱいです!」すこ』
『雑やけど状況伝わるって言うね。めっちゃ優秀なオペレーターかもしれない。』
『あのピンクの子は常に観客の代弁者であり、エヴァという漫才の優秀なツッコミだった。』
『「絶対、変!」「ただのエゴじゃん」シンエヴァの円盤にはあの子が全編ツッコミ倒すオーディオコメンタリーつけてほしいわ。』

ここからヴンダー同士による艦隊戦、エヴァっぽい何かがわらわらと湧いてきての新2号機α、改8号機γとの戦闘に。
はっきり言います。無茶苦茶です。もちろん褒め言葉です。
『細けぇ~事はいいんだよぉ、気持ち良ければ』の精神です。(笑)
心の中で『気んっ持ちぃええぇ~っ!!』と叫び、にやにやが止まりませんでした。

『アスカが使徒の力を使ってで叫んでいる時に旧作で量産機にぐちゃぐ
ちゃにされてるシーンを思い出して「またこの子はそんな役回りなのか
…」って思って泣いた』

アスカは左目の眼帯を外し、眼の中に埋め込まれていた小型の使徒封印用呪詛柱を引き抜き、封印されていた第9使徒の力を使い『裏コード999(スリーナイン)』を発動。
ここでQ公開から考察されていた、封印されている使徒と呪詛柱の文様の答え合わせになりました。
ほんま、ヤッてる事は滅茶苦茶です。絵面的にも。
しかしその描写があるからこそ想像を絶する苦痛すら、わずがながら残る人としての自分を捨てる事すらも厭わないアスカの覚悟が感じられます。
劇中の表現は様々な暗喩を持って、ここからより加速していく事に。

それぞれの想い

『リツコさんがゲンドウを躊躇なく撃ってたのは結構印象深かった』
『旧劇にけりをつけていましたね。』
『上映中予想外すぎてビクッ!ってなりました』
『ミドリの抑えきれない怒りやサクラちゃんの怖くて怖くて仕方がない気
持ちで震えながら銃を持つシーンでみんながみんな自分の正義をぶつけ
ていることを実感した』
『映画内でのサクラちゃんの「エヴァにだけはのらんでください。」はあなたが乗ることでたくさんのひとがいなくなるから乗らないでほしいんじゃなくて、シンジがエヴァに乗ることによる精神面・肉体面での痛い思いをしてもらいたくないっていう意味があったのは泣いた。』
『勝手な妄想だけど、生き残ってたトウジが「俺の友達のシンジちゅうやつはエヴァに乗ってて、痛い思いをしながら俺らのこと守ってくれたんやで。めちゃすごいやつやろ??」みたいなことをサクラちゃんに話してたから銃口をむけたんじゃないかなって思った。』
『少し痛いですが、怪我をすれば乗らずに済みます。って言ってましたからね。シンジの事心配してないならそんな事言いませんよね。』
『アニメでもトウジが「妹にめっちゃ怒られたわ。あの人は私の命の恩人なんやって。」って話してましたもんね。サクラちゃんはずっと、たとえシンジがニアサーを起こしても、自分の命の恩人であるシンジに感謝してたんでしょうね。』
『破壊者であり救世主であり罪人であり罪を背負ってなお歩く聖人でもあるシンジ君に対してぐちゃぐちゃな気持ちでクルー達が接してたんだなって分かるシーンでグッと来た』
『序の頃からエヴァの戦闘による被害に怒ってたトウジを説得して、シンジの壊したものより守ったものを評価する子だったからね』
『ヴンダーが堕とされた後、ヴィレクルーとミサトさんとシンジのあのシーンで涙が止まらなかった。気丈に振舞っていながらあそこで「彼がいなければニアサードの前に死んでた」なんて特大のフォロー入れて「私はシンジくんを信じる」なんてもうズルいわ…もちろんインパクトで家族を失った人間からの遺恨をぶつけられてたけどそれでもあんな風に親子のようにシンジを庇うようにハグしてたところ最高でした。』
『あんなの泣くしかないでしょう』
『シンジ君がミサトさんに息子のリュウジ君も良い子でしたよって言った時ふと加持さんの微笑んでる姿想像したら…もう…』
『シンジのいってきますとミサトのいってらっしゃいはまさに母が子を送り出す感じはもう涙腺がヤバかったわ』

もう何でもありの様相。
映画館では『うぉーっ!!』という感じで観ていましたが、帰宅後ネット巡回をし、『ゲンドウビーム』『脳味噌、拾うんかいっ!!』なコメントや『あれはユイの記憶を無くしたくないから』等の感想を目にする事で、『たしかに、見方によったら2次創作のノリやけどなぁ』と思いました。(苦笑)
ミドリが吐き捨てたように、ゲンドウは自分1人のエゴの為だけに世界と人々の形を作り変えようとしています。
しかしここでも今までとは違う真の主人公となったシンジが、初めて自己を確立した1人の人間として父ゲンドウと対峙します。
この時点ですでにゲンドウとシンジの立場は逆転しており、逃げるゲンドウと追うシンジという構図で表されます。
またこのシーンでサクラちゃん株、爆上がりだったようです。

シンジとミサトさんのやり取りも印象深いものなのですが、その辺りは後で纏めて書かせて頂きます。

『テンション上がってテレポーテーションしまくってたゲンドウ草』
『ワロタ たしかに 量子テレポート~! うひょー』
『量子の世界でゆらぎのように存在しているゲンドウ』
『どこにでもいてどこにもいない漢』
『量子力学の世界はひとつの定義では測れない、言わば何でも存在し得る世界ですよ!』
『あれはテンション抑えきれなかったんですね笑』
『何でやろ、マダオが喋ってる姿で想像してしまう自分がいるwww』
『その発想は無かったった(笑)』
『次からはもう笑わずに見られないな(笑)』
『うきうき量子テレポートって言われてて笑う』

この辺りからは描いている内容はともかく、映像表現としてはかなりパロディ的なものになって来ていたかと思います。
私はそれを楽しく観ながら、庵野監督及び制作陣のファンサービスだと感じていました。

マイナス宇宙

『初号機と13号機の親子喧嘩のシーン、なんであそこだけCG感を強調したんだろ(これまでは作画の中に驚くほど違和感なくCGを取り入れてた)と思ってたら、特撮を意識してたのね』
『建物の散らばる動きとか見て、ちょっとここ頑張れなかったのかな…って思ったけど、セットを意識してたのわかってなるほどとなりました』
『マイナス宇宙は二次元の劇中からすると高次元の宇宙だから彼等には認知出来ない三次元の世界。つまりは我々の世界で有り、スタジオカラーそのものとも取れるww』
『結構それあってる気がします。』
『自分も見てる時、あ、特撮だって感じました笑』
『予告で見た時、ついに予算尽きたか...と思ってたら予想の遥か上を行ったそれに鳥肌が立った、建物の壊れ方が物理演算ガン無視だったところで「え?」ってなって背景にぶつかって壁が布っぽくなってて「お?」ってなってセットとかスタジオが出てきたとこで「おぉ…」って感じだった。』
『俺も予告でそこを心配してたけど他の人と同様、特撮って事かって理解出来たからあのしょぼい目のCGで納得した。その後の13号機がアニメ調で描かれてるとことかはめっちゃカッコいいしね。』
『そこまで考えて、俺たちを楽しませてくれる庵野はバケモンだな』
『親子喧嘩のとこでミサトの部屋でエヴァが戦闘するのめっちゃ笑ったんだけどどこ探してもこれで笑ったやつのコメがない』

映像的にはどんどんパロディ色を濃くしていきながら、今まで見た事のある風景でのエヴァ2体の肉弾戦が繰り広げられます。
私は正直『これ、どう収拾付ける気や…………』と思いながら観ていました。

葛城ミサト

『ゲンドウやユイさんは確かに血の繋がった親だった。でも確かに言える。ミサトさんは最初から最後までシンジに大切なことをたくさん教えたもう1人の親だった。』
『まごころ/airでのミサト・シンジの関係について、シンジが人との関わり合いに価値が見いだせない中で、ミサトはどのようにシンジに接すればいいのかはっきりとわからないまま亡くなったように思います。その劇中では、ミサトは困惑した末に、シンジを性的に誘惑することで、シンジに人と関わることへの期待感を間接的に湧かせようとしていました。シン・エヴァにおいて、シンジは人との関わり合いに希望と価値を感じるようになり、ひとりの母となったミサトは希望と価値を伝えられるようになった。これは、人と人との愛について、まごころ/airよりも広く表現していると思いました。いままでの流れを踏まえると、ハリボテなんかではない苦楽を伴った人生への愛が感じられて、なおさら感動しました。』
『葛城艦長がただ1人ヴンダーに残り、クルーが居なくなったことにより艦長としての役目を終え、帽子を脱ぎ葛城ミサトとしてシンジを全力でバックアップするのがめちゃめちゃ良かった』
『最後にもっていた写真を見る限りミサトさんにとってシンジ君も一人の子のような存在だったんでしょうね そのように感じました』
『血縁はなくても長い時間を過ごしたシンジも息子で、一緒にいた時間はないけど血がつながってるリョウジも息子。「そして父になる」の福山雅治みたい。「そして母になる」ミサトってとこですかね。』
『私そのシーンで「ふしぎの海のナディア」のネモ船長を思い出しました。』
『その頃から、庵野秀明総監督のエヴァが始まってたんだなと思うと感慨深いです。』
『ミサトさんの最後のシーン泣いたな〜。育てた息子と産んだ息子の写真と一緒に槍を届けるところ。』
『同じ母親の目線で見たらボロ泣き半端なかったです。』
『あの写真映るだけで涙出てしまう。』
『あの写真欲しい。』
『ミサトさんがぼうし?外して俺らのよく知ってるミサトさんになった時の感動といったらそりゃすごかった(伝われ)』
『ミサトさんが最後に帽子とバイザーを外していつもの髪型に戻った所で泣きました…』
『「艦長の使命として」から「自分自身の願いのため」にシフトした象徴的なシーンですよね。』
『知ってるミサトさんが戻ってきてくれたって感じでした。』
『ミサトさんの帽子とって艦長としてではなく、シンジの保護者、葛城ミサトとして全力でバックアップするシーンズルいわ。』
『まだまだー!っていった時は涙ボロボロでした』
『最後の最後で俺らの知ってる。俺らの好きなミサトさんに戻ってくれて嬉しかった!』
『結果的にあの辺から泣きっぱなしだった』
『破の時よりなんか優しい気がして、「あ…母親の顔だ…」って思った』
『シンエヴァで、ミサトさんの心情や本音が沢山描写されてて、めちゃくちゃ嬉しかった…。ミサトさん本当にカッコよかったな…ミサトさんを信じてて良かったぁって思えたのよ…。』
『エヴァはミサトさんの物語でもありますよね。今作での母性MAXミサトさんを誰も叩けはしません。最後に夫でも父親でもなく、息子の事を想う姿は今作の重要な要素ですよ。』
『破でカジさんが話してくれた「仕事の中に生きる人だったミサトの父親」とシンでケンスケが説明してくれた「ミサトは子供に一生会わないことを選択した」。この二つのシーンのBGMが一緒な事に気づいて震えました。』
『シンでのミサトは皮肉にも憎んでいた父親と同じような生き方をしている。』
『おそらくミサト自身も気付いているんじゃないでしょうか?』
『ミサト「お母さん、これしかあなたにできなかった...ごめんね..リョウジ」ってミサトさんが言った時グッときた。』
『ここを理解しながらミサトが子供のカジを思うシーンを見るとまた一つ楽しむところが増えると思います。』

第3村での紹介したい人が、からの加持リョウジの登場で『えぇ――っ!?』となったのですが、ケンスケの語りで納得すると同時に何とも言えない気持ちになりました。
Q公開時点でのネットなどの作品評価は低かったようですが、私はある意味で序・破がTVシリーズの踏襲が大半であったのとは明らかに違うQが、その描かれる空気感も含めて結構好きでした。(QのみBD所持)
当時私は Twitter をしていなかったのですが、ミサトさんがボロカスに言われていた事を今回初めて知り、正直知らなくて良かったと心の底から思いました。
シン・エヴァを観る事でミサトさんの本心に触れ、コメント欄には多くの人が謝罪のコメントを残していました。

『うぉぉぉっっっ!!それでこそ、格好良い俺らのミサトさんやっ!!』
私の気持ちの大半も、上記コメントの多くと同じでした。(半泣き)

S-DAT

『シンジが「これは捨てるものじゃなくて、渡すものだったんだね」てゲンドウにS-DATを渡すシーンがすげーゾクッてなった。』
『今までずっとループ再生?してたのがあのシーンで再生が終了したのは親子関係が新たな段階に進んだからなのかなと思って泣きそうになった』
『S-DATはシンジとゲンドウの性格的に似ていたこと(心の繋がり)を表すものだったからS-DATを通して繋がれたのかなと思った』
『あとシンジがゲンドウに貰いずっと持っていた唯一と言っていいほどのものだから、途切れない繋がりとしてATフィールドでもS-DATを介した親子の繋がりを切る事ができなかったとか』
『S-DATのシーンって親離れの暗喩にも見えるよね(もう両耳をふさいで周りを見ないことをやめれるほど大人になった意思表示かもしれないし、最後の親孝行かもしれない)』
『ずーっと色んな人のとこ回ってましたもんね』
『個人的には綾波を第10の使徒の中から引っ張り出して救出できたのもあの時S-DATを綾波が持ってたおかげだと思ってる』
『マリ登場→27 カヲルくんが直す→28 ゲンドウに渡す→29 最後に画面が消えたのは新しい世界になるって意味だと思った』
『ゲンドウがユイの居場所とかに気づいた時S-DATが止まって自分の世界(孤独)から開放されたっていうのがもう凄かった』
『シンジじゃなくてゲンドウの心の成長を曲番号で表してたなんて』
『S-DAT=心』
『レイがシンジに渡したからシンジは心を取り戻した。』
『シンジがゲンドウに渡したから心を取り戻したんじゃないかな』
『めっちゃそれ思った。29までS-DATをすすめたシンジ(成長した)がゲンドウ(成長する前のシンジと同じin電車でのセリフ)に渡すことでゲンドウは計画を諦めることができたのかなと解釈してます』

TVシリーズや序・破でもS-DATに表示される番号についての考察等がありましたが、劇場ではそれほど深く考えずに観ていました。
当時のネットでは破で物語が今までとは違う先に進んだ象徴だという事や、今の時代にS-DATに拘る意味は何か等の考察を目にした事を覚えています。
帰宅後に多くのコメントとその解釈を見る事で、S-DATにはここまで深い意味が持たされていたんだと再認識しました。

父子の対話

『ユイに拠り所を感じていたゲンドウがどうしてもユイに会いたいと言う
「たった一つの願いのために」ずっと胸の内で悩んでいたのが作中で明
確に初めて描写されて同情して今までなかった碇親子の会話や精神のぶつかり合いでシンジが父に向き合うだけでなくゲンドウも息子やおのれに向き合い「大人になったなシンジ…」で二人が初めて「親子」として接することができたんだと感じて泣いた』
『「よくやったな、シンジ」ではなく「大人になったな、シンジ」という台詞。一人の男として認めた…ってトコなんでしょうかね。人として…一個人として認めた…シンジが成長した事を客観的に知らせ、宇部新川駅での大人になったシンジ君への布石になる台詞ですね。』
『シンジがミサトさんから槍をもらったシーンで、「他人の死と気持ちを受け取れるようになったのか」とゲンドウが言ったあとだと思います!』
『破で言ってた「シンジ、大人になれ」の見事な対比よ…』
『死を受け止めることが大人になることの1つだとしたら、ゲンドウがユイに執着してたのはユイの死を受け止めきれておらず自分も子どもと変わらないということになって、それもゲンドウの弱さの1つとなるのも深いですね、、』
『ゲンドウがシンジより子どもみたいな感じで大人になれてなくてシンジの方がよっぽど大人で、ゲンドウと対話して説得してそれを受けてゲンドウが「大人になったな」と言うのはグッときたね』

このやり取りは今までシンジの事を子供として、或いは道具としてしか見ていなかったゲンドウが、成長し一人の大人になったシンジを憑き物が落ちたように自然と認めて受け入れたように感じ、現実の年月の流れも含めてとても感慨深いものがありました。

碇ゲンドウ

『初号機=ユイと13号機=ゲンドウで槍を刺すシーンでゲンドウは「たった
一つの願い」を叶えられたのだと思うと泣いた』
『アスカの幼少期の回想で、ゲンドウが幼いシンジを抱っこしようとしたけど嫌がられて困惑する場面があったのですが、そのときにゲンドウは自分なりにシンジを愛そうとしていたし、もしかしたら昔から心の底では愛していたのではないかと思ったので個人的感動ポイントの一つです。』
『シンジに育児をしない=愛情を注がないことがゲンドウの贖罪だとゲンドウ本人が言っていたように、自分にこの子を愛せる資格が無いと、葛藤していたのかもね』
『ユイが居なくなる前は愛情を注いでいたのではないでしょうか』
『本人が親の愛を知らんからな。シンジとの向き合い方が分からなかったんやね。』
『シンジもアスカもゲンドウもみんな似たもの同士だったのかもね』

ゲンドウの吐露を耳にした時の、私の率直な感想は『シンジ以上にガキンチョやがなぁ(汗)』でした。
しかしもう一度ユイと共にという願い以外、何を考えているのかどういった気持ちで行動しているのかの描写が一切無かったゲンドウの今迄積み重ねてきた心情を知る事が出来、ある意味で酷く人間臭い愛すべきキャラクターになったように思いました。
またシンジに対しても上記のコメントのように、とても複雑な感情を抱えていたのかとも。

式波(惣流)・アスカ・ラングレー

『アスカ「私の方が先に大人になっちゃった」の意味
可能性1:精神的なことで、大人になった説
シンジは14年間寝ていたので、実質14歳。
アスカは14年間生き続けてきたので、実質28歳。
緒方さんのインタビューでは、肉体的なことは一切語られず、精神的
なことが語られていた。
可能性2:肉体的なことで、大人になった説
ケンケンは、アスカの裸を見ても動じなかった。つまり、裸をみても
動じないほどの関係と言える。』
『もし恋愛関係ならアスカがベットの上で1人で人形で遊ぶシーン要らなくないか?しかもその時「1人でも大丈夫」みたいな発言してるし。ほかも1人でゲームをずっとしてるし、アスカが1人ってことを強調してるように思った。ほんとに恋愛感情があったとしてもそれに気づくのは、ラストのシーンでシンジがアスカに「ケンスケをよろしく」って言った時からだろうね』
『個人的には、アスカはケンケンに「親」に通じる何かを求めていたと考えてます。親の愛情を知らないアスカの精神の拠り所であった人形がいましたが、深層心理の世界でその着ぐるみを着たケンケンの描写もありましたし。あと、カメラで取られて照れていたというのは、子供が親にカメラを向けられたら照れて顔を背けてしまうようなあれなのかなと。』
『やっと生きていける考察を見つけた、、、ありがとうございます。。。』
『アスカがあいつには母親が必要よと言って言ったので対比的にアスカには父親という存在が必要だったのでケンスケなんじゃないかなと思ってます』
『アスカがケンケンに頭撫でてもらって「アスカはアスカだ、それだけで十分さ」って言ってもらったところでアスカの今までの頑張りが報われた気がして号泣した』
『やっとアスカは心の拠り所を得たんだなって思った』

『今さっき二周目観たんだけど、初回最後に出てくるアスカがなんでムッチムチ感あるプラグスーツで所々破けてんの?って思ったんだけど。あれ28歳のアスカだわ。』
『シンジくんは座ってて、アスカは横になってるから身長差がわかりにくい構図だけど、アスカのほうがタッパがある。シンジくんはシンジさんになって28歳を赤面させる…』
『言われてみればプラグスーツの色も死装束の白から赤に変わってましたね』
『砂浜で寝てた惣流の魂。俗に言う旧劇場版(13号に取り込まれた)新劇場版から式波(ダミー)になり、13号に取り込まれて、オリジナルとダミーが混じってオリジナルのアスカは、ダミーの記憶を取得しています。』
『マリが「姫お達者で」と言われて、ハッと目を覚ますとパンツ一丁の姿でコックピットに居たのが28歳のアスカです』
『よく見たらあのプラグスーツ旧劇、アニメ版のそれでした。クビのデザインが破と違ってますね。』
『アスカがシンジと旧劇最後の砂浜で出会ったとき、アスカは28歳の姿でテレビシリーズのプラグスーツを着ていました。あのシーンを見たとき、このアスカは「アスカ」なんだと思いました。惣流であり式波であり。テレビシリーズから新劇、漫画や、はたまた碇シンジ育成計画などのゲームシリーズすらを含め、今日までのすべてを内包したアスカ・ラングレーなんだと。』
『青い海の浜辺のシーン、惣流アスカに好きだったと伝えれたことで報われたと思いたいです…』
『シンジがアスカに好きだったて伝えられてよかった。』
『眼帯式波はケンスケっていう居場所を見つけられたし、浜辺で惣流と破
式波は救われた』

私も人形の着ぐるみ姿のケンスケとアスカのやり取りにはジーンと来るものがあり、心が何とも言えない暖かさで満たされ涙が零れそうになりました。
シンジとのやり取りに関しては、あの場面である事から単純に旧劇のアスカなんだという認識で劇場ではいました。
寄り道の時の『好きだった』に対するシンジの返事が聞けてアスカの時と同じく、今までの互いの気持ちを伝え合う事が出来て良かったという思いと、やはり過去形である事に何とも言えない少し寂しいような気持ちでいました。
そして帰宅後に上記のコメント等を見る事で、皆の映し出される情報に対する集中力と、それらの細かい描写を拘りを持って映像にしている制作陣に感嘆する事になりました。
照れるアスカは、とても魅力的でしたね。

綾波レイ

『漫画14巻でユイがマリの髪の毛切る場面あったよね』
『それ思い出した。』
『アスカがマリに髪を切ってもらうシーンで髪だけは伸びると言っていた。ずっと、初号機の中にいたレイ。碇くんがもうエヴァに乗らなくてもいいようにと、破の最後からずっと初号機の中にいた。だから、髪の毛が腰ぐらいの長さまで伸びていた。』
『ずっと、ずっと、シンジを思って想っていたんだね。』
『シンでエヴァが消えてシンジがエヴァに乗らなくていいようになり、レイの願いも叶ったのが凄くいい。』

あの『ぽか波』が14年の間エヴァの中で、シンジがエヴァに乗らなくてもいいようにと願い続けていた事、それを確認し願いが叶った事に不思議な安心感を持ちました。

渚カヲル

『カヲル君の人間らしいところを見れてよかった。』
『いつも助けてもらってたシンジ君がカヲル君を救う所は本当に感動した。』
『カヲル君が涙を流して笑ったところで涙が止まらなかった………』
『カヲルはもう、ループを終わらせたかった。ループが終わることがカヲルの幸せであったから。シンジを幸せにしたかったのではなく、自分が幸せになりたかった。(シンで最後にこのことを理解する)』
『今までのループを、うまく行かなかったにせよカヲル君はずっとシンジを導いていく立場だったのだけれど、このシンエヴァでは、そのシンジがカヲル君の道を拓いた、呪縛を解いた。あんなカヲル君の人間らしさあふれる表情、初めてみた。本当によかった』
『カヲル君が泣くシーンでシンジくんの涙だけじゃ自分しか救えない的なセリフ思い出して、シンジくんを救うために頑張ってたカヲル君自身も救われたんだなぁって思った』
『涙が止まらん、、、救われてよかった』
『渚司令の件は彼らが多分ヴィレの創設メンバーだったんでしょ。シンジを救いたいカヲルを司令として参謀の加持リョウジ。ゲンドウと冬月みたいな関係だったのかもね』
『空白の14年間の総司令官が渚司令説。ニセ予告でゲンドウと冬月は登山(逃亡)していた+カヲルが司令官らしい服をきている。この時に、いずれ起きるであろうサードインパクト対策をしていた。(アンチLシステムの開発)
そのため、第3村が残っていた。』
『カヲルがシンジに対して「僕は君の幸せを誤解していた」って言ったあと加持がカヲルに「ええ、それはあなたの幸せだったんです、シンジを幸せにすることで自分が幸せになりたかったんだ」って言ったシーンすごい好き、真理だよね』
『カヲルは幸せにする側だったのが幸せにされる側になって自分の幸せに気づけた』

月面で棺から身体を起こし、円形状に並ぶ棺を見渡して『延々と終わる事の無いループを繰り返し、そこから抜け出せなかったカヲル』という事を感じたからこそ、涙を流しながら笑顔になって救われた事に心から良かったと思い、それを成したのが『もう泣かない』と誓ったシンジであった事に感無量でした。

加持リョウジ

『なぜ、精神世界に加地さんがいたのか。簡潔に言うと、13号機の中に魂が保存されていたから。(サードを止めるため特攻したと考えられる加地さん。その時にMark.6(第12の使徒)に取り込まれる。QでMark.6はコア化し13号機に取り込まれる。)』
『漫画版で、弟と友人たちを死なせてしまった罪を背負って生きてた加持さん。「俺はね、死ぬのが怖かったんだ」と話し、仲間を売ってしまった後悔に苛まれてた加持さん。破のあと、「子供たちの世代には同じことはさせない」という決意で自らが犠牲となってサードを終わらせたのも、加持さんにとっての"やり直しの物語"だったのかな。カッコいいよ加持さん』
『加持さんの声優が山寺さんで良かった。あのカッコ良さはあの人じゃないと無理だよ。』

細かい事は置いておくとして、私は制作陣がきっちりと加持さんも登場させた事は、エヴァという作品に長い間付き合ってくれたファンの想いを真摯に受け止めた結果だろうと感じました。

碇シンジ

『「なんだかいつもと違うねぇ、シンジくん。泣かないのかい?」「…うん。涙で救えるのは自分だけだ。ボクが泣いても、他の誰も救えない。だから……もう泣かないよ」自分を肯定できても世界を肯定できなかった旧劇に対して、自分も世界も肯定できた新劇。この言葉がまさに新劇のシンジを象徴してるよね。』

いつもめそめそ泣いてばかりいたシンジ。
ゲンドウではないですが『大人になったな』という思いが、心に染みわたった瞬間でした。
長くエヴァという作品に触れてきた多くの人達が、年齢的にも親の立場になっていたり、実際に子供が出来ていたりしたでしょうから尚更です。
あのシンジくんが、すべての呪縛からの解放を成した。

真希波・マリ・イラストリアス

『マリ(8号機)が9~12号機を吸収するシーンで最後の12号機が「次オレっすか」みたいな反応が面白かった』
『乗ってるのが多分アドバンスドアヤナミなのに妙に人間味あるんだよなあの三機w』
『8+9+10+11+12=50 エンジェルナンバー50の意味は「神のガイドがあるから安心して進んで欲しい」だそうです。安心して、進みましょう』
『あなたがどんな人生を歩むかは、あなた自身が決めるのです。って事らしいね』
『キャラクターたちを裏宇宙から元の世界へと見送った後、アニメとしての輪郭を失って絵コンテになって消えかかっていたシンジを「間に合った!」と迎えにきたマリのところ 心にくるものがあった。』
『あーこう言う感じで終わるんかな〜って思ってたら、マリがシンジを迎えに来た時はやられたと思った。これまでのエヴァにはない希望が見えた。』
『皆を救ったシンジはマリという聖母の様な存在に救われた』
『イスカリオテのマリアは聖母とは別人のマグダラのマリアの方から来てると思う。キリストを裏切ったユダを赦し、キリストの処刑と復活を見届けた。キリストと結ばれていた説もある。』
『キリスト=シンジ、ユダ=ゲンドウか冬月と考えるとかなりラストもしっくりくるんですよ』
『キリスト=神の児=神児=シンジですよね。マグダラのマリアは携香女とも呼ばれ香料の入った壺を持っています。シンジをいい匂いと言うことからも、マリアは聖母マリアではなく、マグダラのマリアですね。聖母マリアはユイだと思いますし。マグダラのマリアは書物によってはキリストの妻ですし。エヴァの漢字表記は福音戦士。福音書ではイスカリオテのユダは、自ら処刑されて復活することで教えを広めると言うキリストの考えを実行した真の理解者とされてますから、この2人をかけてイスカリオテのマリアってのが一番しっくり来ますね。』
『近年発見されたユダの福音書には、ユダは本当は裏切り者ではなくイエスが最も信頼していた最愛の弟子と記載されている。マグダラのマリアは一説にはイエスの妻。マリ関連は奥が深いね!』
『人類でも使徒でもない神とは、イスカリオテのマリア(マリ)のこと。人類や使徒は、エヴァに終止符をつけれなく、永遠にループしては争っていた。マリの出現によって、エヴァをぶっ壊したと言える(庵野監督の言葉より)。』
『マリ(妻)がエヴァにいることで、当時救えなかったアスカ(惣流)がシンでは、マリと一緒に救えた。これは、最後マリがシンジのDSSチョーカーを外せたことにも繋がる。マリ=モヨコ(妻) 、DSSチョーカー=エヴァという作品からの呪縛 、シンジ=庵野 とする。エヴァの無い世界(現実世界)で、マリの手によってDSSチョーカーが外され、冒頭にも言ったようにエヴァという作品に終止符が付けられた。』
『最後海辺でマリが振り向いたとき、彼女の眼鏡がユイからもらったメガネになっていたのは、マリがゲンドウの救済、そしてシンジを無事にユイの元へと送り届けるという目的を達成できた、からだと思います。』
『貞本版エヴァ(漫画版 EXTRA STAGE)にて、マリがユイに髪を整えてもらうというシーンがあります。ヤマト作戦の直前、マリがアスカの髪を切ってあげていたシーンは、「ユイとマリ」と「マリとアスカ」との関係がペアとして表現されていたのだと解釈しました。またマリという存在は「エヴァ」という作品を外側から俯瞰して「スクラップ&ビルド」を果たす役割も付与されていたのだと思います。その根拠として
①今まで補完計画を他者を中心として進行させていたゲンドウを、逆に補完の中心人物という役割に就かせた点
②「母親」と「友人」にコンプレックスを抱えるアスカに対して、一人でこれらの役割を担ってくれた点(「父親」の役割はケンスケが代理してくれたと考えています)
③冬月の目的を明らかにして、NERVとヴィレの行動を裏で辻褄合わせしてくれた点
④シンジを客観的立場に促した点(カジさんも協力)があげられます。
欠けた心のせいですれ違いを多発し、誰一人協調の道を歩めなかった旧劇場版とは対照的に、シンでは彼女のおかげですべてが上手く循環できた、というわけです。庵野監督がマリのCHARACTER CONCEPTに深くかかわらなかったというのも、エヴァンゲリオンという作品を本当の意味で「終劇」へと
導くため、つまりマリという外的要因によってシンジ(OR庵野監督)からDSSチョーカー(庵野監督にとってのエヴァの呪縛)を外してやる意図があったのではないかと思いました。』
『結局人間というのは他人の助けを得て(相補性のうねりの中に)生きる生き物だ、というのがエヴァという作品の掲げるテーマだったのでしょう』
『こんなに美しい完結に立ち会えて、とても幸せです』
『庵野監督、どうかこれからも奥さんを大事にして、またいつか素晴らしい作品を作ってくださいね!!』

私のマリに対する印象は、飄々と捉えどころの無いどこか不思議な魅力を持った、既存のエヴァには存在しなかったキャラクターという感じでした。
好きか嫌いかと問われればもちろん好きなのですが、既存のキャラと比べるとどうしても浮いているような異物感が付いて回りました。
しかしシン・エヴァを観る事で、何故その異物感を感じたのかと本当の意味での存在意義に納得すると共に、ここまでの完成された終劇に導いてくれたのは彼女だったのかと、彼女がいてくれて良かったと強く思わされました。

各種槍

『ガイウスの槍はなぜ、意思なのか?元々ヴィレは、訳すと「意思」という意味になる。ガイウスの槍はヴィレが作ったもの。シンジはガイウスの槍を持ってエヴァの無い世界に書き換えるという意思を持っていたためエヴァが次々に消えていった。』
『槍は、気持ちで変化する?ロンギヌスは絶望の槍。カシウスは希望の槍。
Qでロンギヌスに2つとも形状が変化したのは、シンジの心が絶望していたから。+カヲルもループに疲れ絶望していた(?)シンでは、世界を変える・自分が希望になるという意思をもって槍を持つ→カシウスに変化したため槍は気持ちで変化すると思われる』

ロンギヌスしか勝たんっ!!(デザイン的な意味で)

終劇に向かって

『これは他キャラも然りで、きっとあれはすべての人格や記憶の集合体だったのかなと思いました。シンジがガイウスの槍で世界創造の選択権を得たとき、すべてのマイナス宇宙に存在する少年少女たちの人格が、一度限定的に統合されたんだと思いました。生命の書に名を連ねることで記憶の持ち越しが可能になるとするなら、同じように神の力を持つ槍の力で一時的にそうなったのだと思います。そう思ったとき、あの見送りがとても寂しく感じました。本当の意味ですべてのエヴァンゲリオンとお別れをしようと言われているような気がして。』
『病んだ精神世界の象徴だった、「電車の中」から出て、「駅」にいた大人シンジは感慨深かった…』
『あの駅のシーンのためだけに神木隆之介呼べる庵野秀明やっぱ強い』
『それは思いました、えっ!それだけに呼ぶの!?って』
『声優から俳優』
『イマジナリー(存在しないもの)からリアリティー(存在するもの)』
『アニメーションから実写』
『最後の実写に自分の下宿出てきてびびった。なんなら自分の洗濯物まで見えて恥ずかしかった。ブルーレイ出たら見直そうかな。』
『ちょっと羨ましい』
『シンエヴァで洗濯物で出演してて草』
『歴史的な作品に出れるなんて羨ましいとしか言いようがない!』
『ある意味自慢できるよそれ』
『出演してんの?やるやんw』
『出演者おって草』
『碇シンジというキャラクターは庵野監督が自分自身と照らし合わせ
たキャラクター。つまりエヴァンゲリオンのない現実世界(宇部新川駅)において奥さん(安野モヨコ)のモデルでもあるマリの手によってDSSチョーカーを外され、エヴァンゲリオンという作品にピリオドを打ったのではないか。また宇部新川駅は庵野監督の地元の駅であり、成長したシンジがスーツ姿なことから、実際庵野監督が就職活動をしていた過去があり、その最中に空想していた作品=エヴァンゲリオンなのではないだろうか』
『そこのシーンだけモヤッとしたんですけどこれで全てスッキリしました!!』
『だから最後アスカやレイじゃなくマリなのか…!』
『すごく腑に落ちた!!』
『全てにおいての「壮大なスケールで描かれた愛の物語」それが庵野秀明監督の描いてきたエヴァンゲリオンの世界なんでしょうね。』
『最後なんでマリ?って思ってモヤモヤ止まらなかったらそーゆーことだったんですね。ほんと素晴らしすぎる解説ありがとうございます』
『アニメ版との大きな転換点ってやっぱり:破ですよね。そこで初出のキャラであるマリ。旧で結局幸せになれなかったシンジ(これについては色々意見あると思いますが)をシン・で救う鍵となったのはマリであったわけで。庵野監督は自分が奥さんと出会えて幸せになっちゃたんだからシンジも幸せにしてやらなきゃって考えたんじゃないかなと思います。』
『劇中に出てくる絵本も奥さんが出してる作品だし、パンフに奥さんへの感謝も書いてあったし、なんか安野モヨコ無しでは完全し得なかった作品だったなあって思います』
『なるほど!凄い!なんでエヴァがいない世界の大人シンジが最後までDSSチョーカー付けてて、それをわざわざマリが外すシーンが必要なのか考えてましたが、しっくりきました!ありがとうございます。』
『そうなると、Qで「絶対外しませんからね、それ。」っていう感じのサクラのセリフが周りからの圧っていうのも演出だったりして。』
『dssチョーカー見て吐いてたシーンは考えるだけで吐きそうになる監督を表してたんか』
『マリENDについてはキリスト&マリアのメタもあるけど、結局モヨコありがとうってことですよね(^^♪』
『これを踏まえて、マリがチョーカーをぶん投げるでもなくそっとポケットに入れたのもまたいいですよね。過去を否定しない優しさを最後まできっちり描いてる。』
『確かご出身は山口県でしたね こりゃ聖地確定ってことでw もう行ってるやついるか知らんw』

駅のホームでぼんやりと周りを眺める、精悍な大人へと成長したシンジ。
向かいのホームには綾波やカヲル君、アスカが見て取れます。
不意に視界が遮られ『だぁ~れだ?』の問いに、今までのシンジとは違う声が『乳の大きい 良い女』と答えます。
アスカとマリが『寄り道』をした時のやり取りは、この時の為のものだったのかと思うと共に、大人になって声も変わったのかと納得しました。
そして『うん、いこうっ!!』と言って、マリの手を取って走り出します。
またスタッフロールの『神木隆之介』という文字に目が留まり、あぁ大人シンジは彼の声か、2~3セリフだけなのに凄いな、流石エヴァとコメントと同じような感想を持ちました。

劇場を後にして、一緒に観ていた友達に『まぁ綾波・アスカ、その他の誰を選んでも一部の人はスッキリせんやろうし、悪ぅ~は無い落としどころなんかなぁ。帰ってみんながどんな解釈してるか、楽しみやわぁ。』と話をしていました。
上記のコメントなどを確認し、目から鱗が落ちる思いと同時に『真希波マリ』というキャラクターが、より魅力的で素敵な存在に感じられるようになりました。
また神木隆之介の年齢が28歳らしく、狙ったかは別にして『さすがエヴァやなぁ、神掛かっとるわぁ』なんて思いました。(笑)

総括として

『Qを見て、その後に経過した月日を経て、庵野監督はもうエヴァを投げてしまったんじゃないかと正直思った。でもシンエヴァを見て、今まで作り上げてきた作品達を蔑ろにすることなく、しっかり向き合って折り合いをつけて完結へもっていったこと、前へ進む活力となる作品へと昇華されたことに心打たれました...本当に長い間エヴァに携わっていただいた庵野監督、スタッフの方々に感謝してます。』
『みんな人として、親として、互いにリンクしていてすごくグッとなりま
した。あとQの感じが正直苦手だったんですがエヴァはQあってこそのエヴァだなと感じます。今考えたらコレもクエスチョンと真で対比になっているのか。見終わった後にこんなに味が出るのほんとにすごいですよこの作品…』
『色々言われてたけど、やっぱ旧劇との繋がりがあったのがこの映画のベストポイントだと思う』
『シンエヴァはみんなが報われて、とても綺麗に終わったなと感じました。少し綺麗すぎかとも思ったけど、それでもコレはエヴァだった。旧作を打ち壊し新しくしたエヴァ・でも懐かしいエヴァ・そっくりさんだけど・やっぱりエヴァはエヴァ、ありがとう。さようなら。』
『眼帯式波はケンスケっていう居場所を見つけられたし、浜辺で惣流と破式波は救われたしポカ波は14年間初号機に座ってたのが報われたし、黒波は人間の幸せを知れたし、カヲルは幸せにする側だったのが幸せにされる側になって自分の幸せに気づけたし、ミサトは旧劇と違ってシンジとの溝を体じゃなくて心の通じあいで埋めれたし、ゲンドウはユイと会えたし、皆を救ったシンジはマリという聖母の様な存在に救われたし考察関係なくホントに最高の終わり方だなって思った。』
『今までのTV版、旧劇、新劇の中の主要キャラクター達のモヤモヤした部分が全て回収されて、凄く綺麗な終わり方だったと思う。こうも無理なくシンエヴァに全過去作を絡めて、しかも視聴者に満足感や安堵を与えられる庵野秀明は本当に偉大だと思った。』
『エヴァをTV放送の時からリアルタイムでずっと追いかけて来た人達の感動は、俺のなんかよりも遥かに凄いんやろうなって思う。』
『この終わり方には本当に感謝しかありません。この映画は僕たちにとってのガイウスの槍です。僕たちはこのEDのおかげでエヴァの呪縛から脱出する権利を得ました。もちろん残ってエヴァとともにこれからも歩み続ける選択もあります。槍はあなたの手の中にあります。選べるのです。しかし僕はこの呪縛から脱出して、エヴァを思い出の部屋にしまおうと思えました。ユーザー、クリエイターを含むすべての、長年エヴァと連れ添って来たみなさん。本当にお疲れ様でした。そして最大の敬意を込めて、庵野、ありがとう。』

正直ここまで綺麗にすべての登場人物に救いを与え、長い間エヴァという作品を見続けてきた多くの人を納得させれるものには成らないと思っていたので、館内の照明が付き出した時には驚嘆すると共に、笑顔で小さく拍手をしてしまいました。
エヴァの終劇という寂しさが無かったと言えば嘘になりますが、その感傷を覆いつくすほどの多幸感に包まれていました。
実際劇場を出て友達と歩きながら、頭の中に色々な情景が浮かぶたびに私の口からは、呟くような『満足やぁ………。』という言葉が無意識に零れ続けました。
そして晴れやかな気持ちであれやこれやと話をしようとする私は、周りの人波を気にする友達に制止される訳ですが。(苦笑)

最後に

ここまで読んで頂き楽しめたという方には、是非とも引用元のコメント欄を覗いて欲しいと思います。
膨大なテキスト量になるため、どうしても私見による取捨選択をせざるを得なかった事。
また出来るだけ原文のまま書き写すように努力はしましたが、多少の修正とコメント順の前後が有るからです。
引用元のコメント欄には、心震わし感銘を受ける感想や解釈、思わず感嘆する深い考察で溢れています。
何と言っても『その瞬間の熱』がそこに有り、もう一度シン・エヴァの世界を追体験出来るかと思います。

『エヴァンゲリオン』という作品群は、つくづく稀有で幸せに恵まれた奇跡のような作品だったと思うと共に、この先このような作品群は2度と出て来ないだろうと思います。
それはTVシリーズ完結の1996年から25年という現実の時の流れとその間に積み重ねられた様々な出来事が有り、時に突き放され、時に嫌になって離れる事があっても、このシン・エヴァまで愛を持って付き合い続けた多くのファン、そしてそのコアなファンに対して常に真摯に、時に言葉通り身を削り、血を滲ませるような想いで期待に応え続けた制作陣。
娯楽の消費速度は上がり人々の興味の移り変わりが激しくなった今、これだけの長い時間と資金を掛けての作品制作は不可能だと思うからです。
そしてこれだけの完結を同時代性を持って見届けられた事が、とても幸せだと感じずにはいられません。

最後に庵野秀明監督をはじめ、エヴァという事象に関わったすべての方々に

『ありがとう。そして、さようなら……………………また逢う日まで。』

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もちっと色々と積み重ねたらぁ、改めてサポートメッセージ書かせて頂きまッス ( ̄^ ̄)ゞ