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リーディングは『観せる舞台』(改訂版)

リーディングの上達ポイントは
『読解力』
『イメージ(想像)力』
『技術力』の3つですが、その上達ポイントを伸ばすためにもリーディングは『観せる舞台』であることを忘れてはいけません

朗読劇は聞く舞台?

「リーディングをやっています」と言うと
「リーディングって、椅子に座って本を読むだけでしょう。面白みが欠ける」と言われる方がいます。
「アナウンサーとか声優がやる舞台でしょう」とも言われます。
さらに、役者(俳優)の方でも「読み合わせの延長でしょう」と言う方がおいでです。
「だって、リーディング公演って、演者の声の演技を楽しむもので、『聴かせる舞台』でしょう」と思われるかもしれません。
確かにリーディング公演では、舞台美術などの視覚的な『観せる』という要素が少なく、『聴かせる』という要素が一般的な舞台より強いもです。
しかし、『声の演技』を楽しむだけならば『ラジオドラマ』や『CDドラマ』の方が堪能できます。いっそうの創意工夫がされています。
『ラジオドラマ』や『CDドラマ』では表現できないものを観せるのがリーディング公演の醍醐味だと思います。
一般的にイメージされる『聞くもの』という公演は、本の作者ないし演者がテキストを音読して内容を聴かせる『会』です。朗読会や読書会です。
リーディング公演は『会』ではなく『舞台公演』です。
一般的な演劇と同じで『観せる』ことを意識した舞台です。

朗読スタイルは様々に増殖中

近年、朗読劇のスタイルに変化が起こっています。
「マイクの前に演者が立って音読する」というスタイルは従来通りですが、そこに生バンドの演奏が入ったり、照明などにこだわったり、時には、音読されている内容に沿った物語を舞台上で役者が演じる公演もあります。
例えば、松江出身で高校の同級である俳優・佐野史郎さんと音楽家(ギターリストでもある)山本恭司さんの二人で、2007年から続けられている『小泉八雲朗読のしらべ』シリーズの公演は、声とギターのパフォーマンスライブです。ライブです。2019年には、小泉八雲の渡米150年を記念してアメリカ3都市で公演されています。
また、岸恵子さんの舞台『わりなき恋』は朗読劇(動きのある)のスタイルをとった一人芝居公演です
自分がやっているスタイルは舞台劇の中に劇中劇として朗読を取り入れた舞台です。例えば、kotobatoという公演シリーズの第1期の2017年公演設定は『猫や動物たちが人間とうまく共存するために”ヒト語”を学ぶために本を読む』という連作でした(Vol.01〜07)。2018年から始まった第2期シリーズの設定は『くじら図書館の司書たちが出会う人との物語。その出会った人の記憶の断片として朗読行為が入ってくる』というものです。どちらもティム・バートン的なファンタジー・テイストもので、オリジナルな物語が展開しつつ、そこに室生犀星とかグリムとかの小説や童話の世界が絡んできます。

自分自身に言い聞かせていることです

観客は貴重な時間とお金を使って、会場に足を運び、目の前で繰り広げられる生の舞台を観に来てくれているわけです。
演目内容自体をよく知っている作品の観劇ならば、楽しみ方は違うのかもしれませんが、おおむね、観客はご贔屓の『演者が表現している姿やそのパフォーマンス』を楽しみに来場されています。そして、演者を通して『物語』を味わうのです。
演者にとっては、『観せる舞台』を創り上げるのは演出側が考えることで、自分たちは「言われるままにやるだけです」という立場かもしません。それは『言われたことが出来る』という根本の『演じる力』の問題にも左右されるのですが、指示待ち気質だと『表現者』としては伸びないと思っています。
演劇は『コミュニケーション』を下地にした表現で、制作・演出や演者同士は当然ですが、観客とも『イメージもしくは世界観を共有』し、会場は『表現者たちと観客がダイレクトにつながるコミュニケーションの場』でもあると思っています。そのイメージのもとになり、最終的にどんなイメージ(世界観)にしていくかの道標が台本(戯曲)です。道標を見落とすと悲惨な末路しかありません。

観せるためにはイメージを共有していく

演出や演者は作品を観客に披露する前に『イメージ=(イコール)=世界観』を共有するためのコミュニケーションを稽古場の中でどう構築していくかが重要だと思います。
ただし、複数人でイメージを共有していく過程で難しいことがあります。
誰もが経験したことがあるかと思いますが、「私はこう思うの!」的に自分の意見を変えようとしない人と出会うときがあります。
ただこの人は、「コミュニケーションが取れないダメなやつ」ではなく、人間が持つ自己防衛のひとつが発動したのです。
心理学的には『人は自分に都合のいいデータだけを見て確信を強める傾向がある』といい、脳科学的には『人には事前の自分の意見にそぐわないデータを「シャットオフ」するような機構がある』といわれています。
そういう人が出た場合、演出家が共通イメージの方向性や内容を決定していく最終ジャッジの責任を持っていますので、演出家がその状況を正し、そのフォローを制作プロデューサーがやるべきだと思います。
しかし、「立場的にはわかっちゃいるけども……、私の意見の方が正しい」と固辞し、稽古場というコミュニケーションの場を凍らせる人はなくなりません。また、「和をもって尊し」という立場の制作プロデューサーが、穏便に済ませる場合が多々あります。寂しい限りですね。

舞台だけではなく、どの創作現場も同じですが、貴重なお金や時間をいただく限り、いかに観客やユーザーを創作の世界へ導くかがキモだと思います。
僕はその努力を死ぬまで続けたいと思っています。

一度でいいです。朗読会ではなく、リーディング公演に足を運んでみてください。きっと新しい発見があるはずです。

最後までご覧いただきありがとうございました。

リーディングのワークショップを始めています。
リーディング(朗読劇)にご興味があれば、誰でも参加可能です。
毎月1回日曜日17時から19時で開催中です。連続参加でなくてもいいですよ。

「読み聞かせ」や「朗読」とは一味違う「読む演劇」のワークショップ
Studio Partigo / goodpopjapan共同企画『ドラマ・リーディング 小平Ver.』
【場 所】MAKIバレエスタジオ(東京都小平市学園東町3-6-14)
【お問い合わせ・お申込み】Studio Partigo
makickh@bj9.so-net.ne.jp

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