溝鼠にもなりきれない塵のぼやき

小説の才能も詩の才能もエッセイの才能も、アルファツイッタラーの資質もインフルエンサーやコピーライティングのスキルも、オピニオンリーダーとしての適性も、果ては社会人としてやろうと思えば誰にでもできる仕事ひとつ完遂する能力さえない。それでも、書くこと、読むこと、に依存して生きていくことしか出来ないので、私は活字依存性なのでしょう。巷の違法・脱法・合法(モラル的にはアウトなやつ、の意)もろもろ薬物の中毒患者らと大差ないのでしょう。


 これ、つぶやきにしたかったんだけど、どうしてもこのやるせなさが140字におさまりきらない(カスみがより際立つ)、と判断したので。ノート欄の無駄遣い感が否めないけれど、なんというか、すまん…。
(大学2年の時の口癖「生きててごめんなさい」が脳細胞を駆け巡る)

つぶやきの延長感覚なので、今回は写真なしで。

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