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マイルール

ここ数年の、マイルール。
誰にも押し付ける気がないからこその、マイルール。
数年後、へたしたら数ヶ月後、数日後には変わってるかもしれない、マイルール。


「ありがとう」と「ごめんね」と「お願いします」は、思った時にちゃんと言う。

「ありがとう」と「ごめんね」と「お願いします」を言ってほしかったのにそうしてくれなくて凄く傷ついたことがあったのよね。
それがとても印象的で。


好きな食べ物を食べて、美味しいと感じられなかった時は、自分をいたわる。

どこかで見かけた言葉の受け売り。
判断能力と幸せの感受性の指標として、美味しいものを定期的に食べて確認する。(それを理由に美味しい物食べに行きたいだけの時もある。)


「映画的すれ違い展開」を赦すな!

別れ際のふたりが別々のタイミングで相手を思って振り返るけれど、互いに気づかず切なく別れる、、みたいな展開を、私は「映画的すれ違い展開」と呼びたいのですが、あれ私めっちゃ悲しくなるのよね!
哀愁漂うグッドシーンだね!と思う人もたくさんいると思うけれど、私は「悲しすぎる!!!後ちょっとでお互いに想いが通じるはずなのに!!!」とか思ってしまう。
それが一人称視点の自分の人生のどこかで起きてるかもしれないと思うと OMG。
なので、思ったことは出来るだけ素直に伝える。ダサくても構わない。すれ違うよりマシ。


私は勝手に幸せになるから、みんなも勝手に幸せになってね。

マイルールとは少し違うけれど、しかも最近少し考え方変わりつつあるけれど、ここ数年のキラーフレーズ。これ。
みんな極力自分の幸せに貪欲であればいいと思う。ただ同時に、自分の幸せが人に侵されることも強く意識して、抵抗するなり逃げるなり、コントロールしたほうがいいね、と。
私の嫌いなあの人も含めて、できるだけ多くの人が幸せであればいいと思う。ただ、私の幸せには土足で立ち入らせません。


ステータスのために何かを好きであるフリをしてはいけない。

これ意外と難しくって。
「このバンドの曲聴いてる人かっこいい。」
「これ持ってる人って素敵。」
誰かの見え方を意識したところから始まる「好き」って、気づいたらステータスのためになっちゃうことが多くって。
それはちょっと、勿体ないな、と。


「わかる」ってすぐ言わない。

これもすごく難しい。私はわかる気がするんだけど、相手からしたら「分かってたまるかよ。」なことたくさんあるんだろうなあ。
私も、たまーーーに、あります。


「時間が解決するよ〜」は、少し危険。

臨床心理学を教える教授の受け売り。
大抵の事は時間が解決するというのは一理あるけれど、その人の主観的な時間軸においては、そうでないかもしれない。
「イマ」困ってることに、過去も未来も無い人だっている。
迂闊に「時間が解決するよ〜」と声をかけるのは、思わぬ罠があるかもしれないから危険。


期待しない。

良くも悪くも。





「ルール」と言いつつ、守ったり守らなかったり緩く自分と付き合うのも、マイルール。



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