見出し画像

ベトナムの多様性と統一性について-59-ホアビン省ダ川のダム建設について④

ホアビン水力発電プロジェクト (THB) は、ダ川の治水と利水処理と河川のホアビン省の人民が犠牲と選択の帰路に立たされた運命的な闘いの日々でもあった。

当時、ベトナムの国は、まだまだ貧しく、ダ川の移民のメカニズムと政策は生活と生産を安定させるための基準を満たすなんて出来ずに、移民のための補償や支援は、新しい場所に移動するのに十分ではなかったのは誰の目からも明らかだった。

ティエンフォン地区のコサ集落のロバンタオ氏は、現在、ハオタオ集落に再定住するために移動してきた。

彼は次のように述べている。
何年もの間、ダ川に沿って、生活、習慣、習慣には、やはりとても慣れていて、土地は肥沃で、種をまくだけで綿は重く、魚やエビを捕まえるだけで十分に生きることができた。

実際の支援ポリシーが現実的ではなかった。

建設に必要な費用が十分ではないのに、新しい場所に移動しなけれざならなかった。

移転した各家族は、2,500 - 3,000VNDが、さまざまな資産価値に応じて国から補償されるが、実際には、人々は資産価値の金額の半分、つまり20 - 30kg の米に相当する金額を前払いで受ける権利があり、残りは自分で支払わなければならなかった。

ハオチャンとバイニュアの村は、洪水の中心であり、影響を受けた何千もの世帯が移動しなければならなかった。

人々は大河の水をたどり、63地区から 75地区に移動する。大洪水の際に、120地区右に移動し、さらに高い山の中腹まで、駆け上がる。

ダバック地区党委員会の元常務副書記であるディンコンタン氏は次のように述べている。

困難は山積みでだった。

前は水、後ろは丘。砂糖もない。山は密集し、草は空高く。当時は本当に大変な難しさだった。

国はほとんど支援を提供してはくれなかった。

他の多くの家族と同様に、彼の家族はクラス 2 の高床式住宅のグループに属し、広々としており、2,800VNDの支援を受けたが、インフレ時に預金されたため、その後、お金の価値がインフレにより、ほとんど何も残らなかった。

そんな中、引越しは、本当に想像を超えた大変さだったという。

多くの家族が、突然、何もなくなり、多くの場所で、いつもの野菜を食べることができなくなったことは、私自身の想像を遥かに超えて辛いものだったに違いないだろう。

〜 次回に続きます 〜

#ベトナムホアビン   
#ホアビン湖  
#ホアビンダム  
#ムオン   
#共生社会   
#東城敬貴            
#ケイヤン            
#アイアジア            
#毎日note                             
#外国人就労者24時間相談支援体制

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?