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ゆで卵とドーナツ、ガザと猫ミーム、All At Once

先日、孤立困窮者支援を行うNPO「抱樸」の催する炊き出しにボランティアとして参加してきた。
炊き出しは冬期の間は毎週、それ以外は隔週での開催。
配膳されるのは、協力団体がその日の昼に作った弁当とパン、お茶等。
その日はそれらに加えて、ゆで卵もひとつずつ配られた。
食べ物以外にも薬などの物資を配布するブースや相談所も設置される。

設営が終わった頃には既に行列が出来ていた。
並んでいるのはホームレスの方達だけではない。
お腹が減っていてもいなくても、全ての人へ開かれている。

まずビニール袋が手渡され、弁当が配られる。
その隣で、その日私と同じく初参加で、この為に千葉から来たという男性がアルミホイルに包まれたゆで卵を袋に配る。
「こんばんは」と手渡す彼の声かけが、開始まもなく「こんばんは、ゆで卵です」に変わったのが印象に残った。
アルミの丸い包みを、長年続くこの炊き出しの場で渡されて中身を不安に感じる人は少ないかもしれないが、彼の、役割に機械的に徹しているだけでは生まれないだろう気遣いが、素敵だなと思った。

その声かけもあってか「お、今日はゆで卵があるんや」と特別メニューに受け取り手のほころぶ顔が見える。なんだかこちらも嬉しいような気持ちになったのを覚えている。

その隣で、小さめのパンがいくつか入った袋を渡すのがその日の私の役割だ。
プレーンのものとチョコチップ入りのものとが入り混じっているのが見えて、チョコチップの方が当たりだな等と考える。
配り始める前、テキパキ渡せるか、列の流れを止めてしまわないか不安だ、と先輩の女性にこぼすと「大丈夫。速く渡すよりも形が崩れないように渡したほうが喜ばれるよ」と教えてくれたので、丁寧に渡すよう心がけた。
「こんばんは」と渡すと多くの人が「ありがとう」と返してくれた。
ただこの場に来て用意されたものを渡すだけの自分には勿体ない言葉だと感じる。
「ツレの分も」と袋を2つ持って並ぶ方も何人かいた。
何かの理由でここに来たくても来られない人のことを想う。

一通り配り終わった後、その場に残った人たちに向けてカフェタイムもあった。
少しの時間、星空の下ホットドリンクを飲みながら各々歓談する時間だ。
インスタントのコーヒーかカフェオレ、レモンティーのどれかを選んで貰って、小さな紙コップにお湯を注いで作ったものを渡す。
先頭に並んだ男性は待ちきれないかの様に注文を伝えてくれて、
「レモンティーとカフェオレを」と聞き取れたので2杯とも欲しいのかなと思っているとどうやら違って、それらを半々で混ぜたものが欲しいとのことだった。
どんな味か想像もつかなかったが、その人の口ぶりから意外とイケる味なのかなと思いながら、ぐるぐる混ぜた。

それとまたその日は特別に、カフェタイム用の小さなチョコレートドーナツも用意(寄付)されていて、これがまた皆、嬉しそうだった。
途中、一人の若い男性がもう一つドーナツが欲しいとやってきた。
「だーめ、一人ひとつよ」とベテランの女性が優しくつっぱねる。
それでも男性は欲しいみたいでキャッキャと手を伸ばし、女性が背中でガードする。じゃれあいの末、結局彼の方が上手で、ひょいっと奪うようにドーナツを手にとり咥えて走るようにその場から逃げ、数メートル先で立ち止まり食べていた。
女性の方はというと、もーっ!と言いながら笑っていた。
(この日ドーナツの数にはすこし余裕があったので来場されたすべての人に行き渡った)
ルールは守ったほうが良い。だけど、
彼のような人にとってこの場が、多少ルールを破ったりわがままをしても許して貰える、と思え、甘えられる場所なのだな、とその事が、なんだかとても嬉しかった。

カフェタイムが終わり撤収作業を終え、催しは終了。
その後夜間のパトロール(その日来られなかった路上生活者にお弁当を届けたり)も同日にあるのだけれど、その日は自分は初日ということもあって参加を見送った。
次は参加しようと思っている。

今回この活動に参加しようと思った理由はいくつかあるが、雑に言ってしまえば、私自身が昨今のあれこれに疲れて、普段と違う何かの形で社会と繋がってみたいと思ったからだった。

日々、国内外の痛ましいニュースに胸が痛む。戦争、災害、事故、事件。
赤の他人の命は等しく重く感じられる。時に身近な人の命よりも。歪な感情だ。
次の瞬間手元の画面を撫でてSNSを開けば今度は流行りの可愛らしい猫の動画にニヤリとする。
その流れに身を任せるといつのまにか、マイノリティに向けられた暴力的なテキストの波に出くわし絶望的な気持ちがドロドロと湧いてくる。
次に、ひとつ間違った人へ、正義の名のもとに下される無数の鉄槌。
ルサンチマンと陰謀論に取り憑かれた弱き者たちの反旗の声。
そこから逃げた先で芸人のラジオ番組を観て、気づけばケタケタ笑っている私。

やがて、心底独りよがりでしかない自分がもはや気持ち悪い生き物のように思えてきて虚しくなってくる。そして思考は鈍り、眠りにつく。
誰からも安全を脅かされる事のない、なんとも暖かいこの部屋で。

その日もそうだった。
参加してみた感想を尋ねられて、ゆで卵とドーナツを介し微笑みあった体験を話すと先輩の女性は「心が通い合ったのね」と言ってくれた。
が、果たして本当にそうだろうか。
確かにそんな事を期待して参加した自分がいた。つながりたい、と。
しかし現実は、あの瞬間微笑みあった僕らの一方は寒空の下震えながら夜を明かし、もう一方の自分は家に帰り暖房の効いた部屋で布団を被りぬくぬくと眠りについたのだ。
どうも互いに心通わせた二人の物語には思えない。
罪悪感を感じる必要などない。私達は各々の営みの中で自己の幸福を探究し守り、その先で他者を思い遣ることが出来る。
そう自分に言い聞かせるも、冷蔵庫を開けると並ぶ卵や、SNSで流行りの店の、あの日のものよりも何倍も大きなドーナツを目にしては、彼らの顔をぼんやりと思い出す。

こんな感情も無責任でいられるからこそだ。生温い、と私は私に思う。
本気で支援に取り組む人たちの苦悩は、きっとここから先にある。

例えば、被支援者の為を想い、支援者は約束を立てる。
その内の少なくない数が、破られる。
ギャンブルやアルコール、病、障害、家庭の機能不全、様々な依存や理由で貧しさ(と言って良いのかは慎重になりたいが)に陥った人たちへの支援は、これをやればこうなる、といった簡単なことではない。

やってはいけないと分かっていてもやってしまう。
やらなければいけないと分かっていてもできない。
そういった経験は誰しもあるだろう。

そうして「貴方の為」を想って立てた約束が繰り返し果たされず、
時に、寄り添えば「お前に何がわかる?」と問われ、敵と見なされてしまう。
いつしかわかりあえなさに疲れ、
「もう救いようがない」とふと思う。
「自己責任」の文字が脳裏にチラつく。
それでもまた「私が救わなければ」と向き直らなければならない。
自由参加のボランティアの気楽さから、一歩踏み込んだその先にはこういう苦悩がきっと沢山ある。

今回このnoteを書くにあたって、こういった路上生活者等に向けた炊き出しに参加した方のテキストをいくつか読んだが
「受け取る時にお礼を言われなかった。当たり前だと思われていると感じた」という感想や、生活保護の不正受給の問題と並べて語るような方もいた。

そもそもこういった炊き出し等は「法や制度での救貧」が様々な理由で届けられない人を救済する為の活動の側面を持つ。
社会が、私達が、そういったモラルやルールの範囲から「救いようがない」と放った人達へ、これもまた社会の一部の人達の善意によって始まった受け皿の場でもあるのだ。

人に感謝ができない、ルールが守れない等、「それもまた」「それが」私達であり、私達が皆持つ弱さの一部に他ならないと思う。
無礼講も、掟破りも今、此処だけは、それでもいいじゃない。続けてごらん。と、どこからか声が聞こえる気がする。

留意すべきは、「救わなければ」には、支援する側のいる所が掬い上げる先で、彼らのいる所が下なのか外側なのか、社会の中での構造的な位置づけの意味合いを含む。
しかし例えば、路上生活者の人々で、路上生活が「自立」であり守るべき生活で、生活保護の受給や居住支援を受ける事が「甘え」である、と考える人は少なくない。
一人一人の営みに目を向ければ、どれもその人にとっての真ん中に居て、誰しも互いに誰かの外側でしかないのだ。
そうして私達は皆おなじ社会を生きている。

クッキーの生地に例えてみる。
型抜きされた大きな生地にヒト型の穴が開いている。
空っぽのヒト型の穴が私で、その形を作るのは穴の周りの生地だ。
私を私たらしめるのは私以外。私以外が私。
私とは何か?人間とは何者か?という人類の永きにわたる問いに対する答えはクッキーそのものかもしれないが、未だ人類の誰にもそれは見つけられていない。
ではその穴の周りが、誰かの外側の連なりが、私なのではないか、と思う。


私は今後もできる限りこの活動に関わり続けようと思っている。
空っぽの穴、クッキーの外側、私を私たらしめる為、私自身の為。
「心が通った」「繋がった」という私の勘違いがお互いのものになれば、それは確信になりうるのだ、と今は信じていたい。
そしてその小さな確信の連なりが遠い国の平和にも繋がるのだと信じている。


あと、久しく会えていない&まだ見ぬ友人達と、共にドーナツを食べたい。
カフェオレモンティーを試す勇気はまだないので、コーヒーでも飲みながら。



ここまで読んでいただきありがとうございます。
より専門的なことや私の知らない問題についてご指摘があればどうぞ教えて下さい。
抱樸の活動への寄付やその他の支援は以下から
https://www.houboku.net/webdonation/




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