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攻殻機動隊と斎藤緑雨


 未だにこういう文章の文体に迷ってしまう。
 口語のようにくだけた文体で書いていいのか、それとも丁寧な文体で書いた方がいいのか。いや、そんなことはどうでもいい。少なくとも今日の本題はそれではない。

 既に先週のことですが、10月15日東京Brillia HALLで行われたVR能の攻殻機動隊を観劇しました。
 ストーリーはオリジナルのものでしたね。時系列としては少佐がいなくなった後であり、押井守監督の『イノセンス』と同じぐらいの時間軸でそのパラレルワールドのような感じかもしれません。

 私自身、押井守監督作品とSACと原作を読んだ程度の人間ですが、能を見た経験がないため興味を持ち、また能の中でもVR能だと聞いたので見てみようと思い立った次第であります。

 時間は約1時間半。能自体は1時間10分程度で終わったのですが残りの20分は公演の演出やVR面などで関わった方々のトークショーとなりました。15日の公演が最終だったからそのトークショーもあったのだろうと予想しますがなかなか深い話も聞けてよかったですね。
 
 公演自体はいなくなった素子の影を追い続けるバトーの悲哀が照明であったり演者の方の動きでひしひしと感じられました。派手な演出やアクションがあるとかそういわけではなかったので、ある意味押井守監督作品のような味わいがありました。またVRで言えば初見で言えば騙されること間違いなしです。実際にいると思っていた少佐が実はいなくて目の前で消えるなんてことが数回起こりました。空中に映像を投影するという技術を完全に目の当たりにしましたね。人形使いで出てきましたが奴もまた消えました。

 登場人物は少佐、バトー(パンフレットでは馬頭と表記されていました。漢字だとそうなんだ)、人形使いのみでした。もし続編があるのだとしたらもっと登場人物が増えてほしいですね。トグサも出してあげてほしい。


さて本題に入りたいと思います。

 公演の中でも紹介されていましたが、確かに攻殻機動隊は能や神楽、神道など日本の要素が絡んだものが多い作品です。
 『イノセンス』では世阿弥の『花鏡』に出てきた「生死去来 棚頭傀儡
一線断時 落落磊磊」という言葉が何度も登場します。
 
 この『イノセンス』という作品は攻殻機動隊関連作品の中で一番好きな作品なのですが、その中に登場する言葉でこういうものがあります。

何人が鏡をとりて魔ならざる者ある。魔を照すにあらず。造る也。
すなわち鏡は瞥見す可きものなり。熟視す可きものにあらず。」

 明治時代の小説家、斎藤緑雨が説いた言葉です。

私なりに意訳すると「鏡を見て悪にならない人はいない。鏡は人の中の悪を照らすのではなく、作り出すものである。そのため鏡は見つめてはいけない。チラ見ぐらいがいい。」というようなものですかね。

 私自身この言葉の意味がなんとなくわかるようなわからないような、そんなもやもやした理解に到達していない段階に長らくいました。
 しかしある日鏡の前に立った時、一つの考えにたどり着いたのです。

 それは日課の筋トレを終え、入浴のため服を脱いだ時のことでした。
その時既に筋トレを始めて数か月経った時のことだったので多少筋肉がついたように感じられました。始める前と後で写真を撮っておき、比較するということもなかったのでなんとなくそう感じただけだった。

「もし仮に私が写真を撮って比較できるようにしていたら、筋トレの成果を感じ図に乗っていたかもしれないなぁ。
図に乗って普段はゼロに等しい人に見てほしいという気持ちが高ぶってその写真を友人に見せるに飽き足らず、SNSに上げるなんて暴挙にでていたかもしれない。
そう考えると写真を撮っておかなくてよかったかもなぁ」

 何気なくそう考えました。そしていつも私の頭の中を漂っているあの言葉と結びついたのです。

 つまり斎藤緑雨の言う「魔」とは自慢や傲慢などではないかということだ。
 鏡を見るということが自分自身を見てその過去を振り返るということだとすると、人間ってのは私を含めてしばしば自分には甘くなってしまうもので、その過去を過大に評価したくなると思われる。そうしないと今の自分という存在を認めることができないからだ。

 過去を否定することは今の自分を否定することに繋がると私は考える。例え過去に過ちがあったとしても、それを過ちとして認めることが必要だ。何もかもを否定してしまうと存在の根幹が揺らぐ。

 しかし認めるにしてもどう認めるかが重要だ。過去の功績だけでなく、過ちすらもプラスに認めてしまうとそれは自分の過大評価になりありもしない自分の功績や能力を信じることとなり、そこから傲慢に繋がる。

 過去を見つめることは自己を高める上で大事なことだが、確かに見つめすぎるのも考え物だ。

 自分の上半身を眺めながらそんなことを考えていました。
テキトーに考えたことなので穴だらけの理論ではあるが、私なりの結論に達することはできた。

 とりあえず斎藤緑雨の書物をいくつか読まなければならないと感じた。エアプはだめだろう。

 もし今後VR能の攻殻機動隊があるなら見ることをお勧めします。
いろいろ面白い体験だからです。


 

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