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曲がってしまった背中、愛せなかった身体。 #わたしとあなたを愛すること

【注意】性暴力の表現があります。

2020年8月、私は有志のメンバーと共に「mimosas(ミモザ)」というメディアを立ち上げた。mimosasとは専門家チームと一丸となって、性暴力被害や性的同意について発信するメディアであり、”NO means NO”が当たり前になる社会を目指して、日々活動をしている。

mimosasのなかで伝えている1つの大きなメッセージ、「あなたのからだは、あなただけのもの」とか「わたしのからだは、私だけのもの」という言葉は、私自身がずっとずっと言えなかった言葉だった。

随分と前に、私はとある1本の記事を書いた。
『わたしのからだは、私のもの。幼きあの日の#MeToo 』

人生で初めて、大きな告白をした瞬間だった。携帯を打ちながら、私の手は震え、心臓はバクバク鳴っていた。

様々な活動を通じて何度か触れているが、私は小学生のころに性暴力の被害にあっている。当時の相手は高校生、「兄」のように慕っていた人間で、1度きりではなく何度も何度も、同じことを繰り返されていた。

著書などでも触れているので、敢えて詳細は省くが、その時の私は“ソレ”を「性暴力」とは認識していなかった。

なんだかとてつもなく強くて、抗えなくて、
自分がちっぽけな感じがして。

気持ちが良いなんてとんでもない、痛くて苦しくて、そして「なんだかよくわからないもの」だった。

「性行為」がどういったものなのかすら分からない年齢で、自分の身体が「誰のもの」かも理解していなかった。だからこそ「なんだかよく分からないけれど、なんとなく否定してはいけないもの」という記憶として心に染みついていた。

そして「解離症状」を伴ったまま、
それらの記憶はプツンと途切れてしまった。


「私のからだは私のものだ」
そう言い切れるようになったのは
それから20年以上経ってからである。

被害の記憶は曖昧でも、身体が"何か"を覚えていて、なるべく不特定多数に「値踏み」をされないように、私は小さく小さく背中を丸める癖がついていった。するとだんだんとそれが癖づくようになり、特に男性の前では猫背になることが多かった。私の背骨は、病院で指摘を受けるくらいに歪んでいった。

しかしある年齢になってから、私の中ではりつめていたものが溢れ出てしまう瞬間が来る。

そこからはとにかく自暴自棄のように「敢えて性的に見られる言動」をとるようになってしまった。そして「自分を愛せない」ことを罰するように、何度も何度も身体を痛めつけた。

人間は「理由」のない出来事にストレスを抱えやすい。

だからどこかで「こういった行動をとっているんだから、性的に見られても当たり前だろう」と思い込みたかったんだと思う。

専門的な知識を手に入れた今だからこそ、それは間違いなく「自傷行為」だったのだと確信をしている。

性別やセクシュアリティに関係なく性暴力の被害者が性産業に従事したり、不特定多数の人間と性的関係を持つケースは少なくないのだ。

私自身はそういった状況としては当てはまってはいないものの、「性的に見せる」ことで相手を試し、自分で舵をとっているように見せたかったのかもしれない。

そして、自らの傷が癒えないまま私の方が「加害」をしてしまっていた瞬間もあると思う。

だって私の身体は私のものじゃないなら、
あなたの身体だってあなたのものじゃない。

そう思い込んでいた。

そんな私がやっと自身の体験を取り戻し、自分の経験を「性暴力」として認識できたのは、臨床心理の大学院に通ってからだった。授業の中で取り扱われていたケースに、自分自身が重なり、まるでフラッシュバックのように鮮明に思い出されてしまった。

そして同時期に「加害者」が結婚したというニュースを目撃した。彼は芸能活動を行なっていて、相手の女性も著名な方だった。幸せそうな彼の姿を見ながら、何度もこう思った。
あなたはあの時のこと、覚えている?」と。

告発する勇気は私にはなかった。
だって「そんなのは嘘だ」と言われてしまったら、苦しんできた私の人生すら否定されてしまうような気がして。

あまりにショックな出来事で、失われてしまった細部の記憶がまるで「嘘をついている」と見られるような気がして。

私がその時にどう感じていたのか、向こうの目には「いやだ」と映っていなかったかもしれない、そんな「空白」が私の真実を公然と歪めてしまうのなら、口を閉ざして傷つき続けた方が楽な気がした。

でも「気がした」だけだったのかもしれない。

私が自分自身の身体を取り戻せたのは、
大切な人たちのサポーティブな関わりと
カウンセリングに行き始めたことでもある。

そのカウンセリングとは「教育分析」というもので、わかりやすくいえば「カウンセラーのカウンセリング」である。
通い始めて3年半、多い時は毎週のようにセッションを行なっていた。私がそのなかで性暴力について打ち明けられたのは、2年目のことであった。

初めてカウンセラーの前で「ソレ」を口にした時、私の身体は細かく震えていたと思う。あまりに強く噛み過ぎて血が滲んだ唇に、涙の塩分がしみて痛かった。

カウンセラーの顔が歪み、苦しそうな表情になった時に「私の身に起こった出来事は、苦しいって叫んでいいことだったんだな」とぼんやり思った。

だってずっとずっと分からなかったから。私の身体が私のものだなんて、誰も言ってくれなかったから。

帰り道、パートナーに電話しながらこう伝えた。「今日ね、話せなかったことを話したんだよ」と。パートナーは「よくがんばったね」と言ってくれた。
初めて私が、自分自身の鎧を脱ぎ捨てた瞬間でもあった。

「あなたの身体は、あなただけのもの。」

その言葉を伝えるとき、いつも思うのだ。「これは過去の自分に向けたものでもあるんだ」と。そして、これを見ているすべての人に伝えたいことでもある。

なんで被害を受けた側である私が、ここまで色々なことを考えながら、生きていかなければならなかったんだろう。乗り越えたからといって、今だって完全には「消化」されるわけではない。
なんで被害を受けた人たちが罵倒され、「ウソだ」と値踏みされ、自分だけで乗り越えなければいけない現状を押しつけられなければならないんだろう。

こんなリスクを負いながらも、声をあげる人たちに私は「いくらでも嘘をつける」なんて言えない。
「あなたに隙があったんじゃないの?」とか
「あなたの服装が悪いのでは?」なんて言えるわけがない。

この文章を読んでみて、もしかしたら多くの人たちは「重いな」とか「長いな」と思うかもしれない。

でもそれが、私や、私たちサバイバーが「背負わされている」ものなのだ。そして、もしかしたらあなた自身や、あなたの大切な人が「背負わされてしまうかもしれない」ものなのだ。

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10月2日、mimosasでイベントを開催することになった。
このイベントは集大成ではなく、1つの「経過」に過ぎない。
フラワーデモも含め、これまでも様々な民間の団体が、
性犯罪の刑法改正の運動を行ったり、
性暴力の被害者、また加害者の受け皿になってきた。

しかしまだまだ日本では、それらの活動が「ニッチなもの」「触れてはいけないもの」のように扱われてしまう側面が多く、必要な人たちに必要な情報が届かない現状に胸を痛めている。私たちはもっともっとこの問題に、深刻に向き合わなくてはいけないと思うのだ。

だからこそ、 #わたしとあなたを愛すること が、誰かの「考えてみる」きっかけの1つになれれば、もしかしたらそこから少しずつ何かが変わっていくかもしれない。

そして誰かの想いが次に繋がっていくことで、今現在つらい思いをされている方の心の支えになるかもしれない。

このイベントは、私たちの「祈り」でもあると同時に、未来への「希望」でもあると感じている。

もし興味のある方は、こちらから申し込んでもらえたら嬉しい。

最後になったが、ここまでの文章は「mimosasの一員」としてではなく、
みたらし加奈として書かせてもらった。

イベントに来ていただけたらもちろん嬉しいが、私たちの目指すところは「性暴力を許さない、NOと言える」社会である。

それは加害者の糾弾とイコールではない。団体として特定の「人」を“許さない”スタンスは、一時的な解決にしかならない。被害者をなくすためには、まずは「加害者」を無くしていくことであり、そのためには「加害者」が生み出されてしまう現状とも向き合っていかなければならないのだ。

その背景には、「他者への尊重が軽んじられる風潮」や「精神疾患への偏見」など様々な問題点が挙げられる。また「被害者」がケアされなかった故に、「加害者側」になってしまうケースだってあると思う。誰もが自らの「加害」に自覚的になっているわけではないからこそ、多くの人が自分の中の「加害性」に気が付かなければならないのかもしれない。それは私にも同様に言えることだ。

だからこそmimosasが取り掛からなければならない問題は、今もこれからも、果てしなく続いていく。

最後にこれだけは伝えさせてほしい。何度だって伝えさせてほしい。

あなたの身体は、あなただけの大切な身体である。
あなたの心だって、あなただけのものなのだ。

あなたが苦しくてどうしようもなくて「救い」がないように感じてしまった時のために、私たちは活動を続けている。

自分を愛することはすぐにはできないかもしれないけれど、どうかこのハッシュタグから、あなたの考えを聞けたら嬉しい。

#わたしとあなたを愛すること

いつも応援いただき、誠に有難う御座います。 いただいたサポートは、今後の活動費として使用させていただきます。